第4話

 セミの声がやかましい。窓から白い光が差し込んでいる。大広間の隅っこに、ぽつんと敷かれた布団に、私は横になっている。朝まで眠ってしまった。蒸し暑くて不快だ。ここは村会所。よそ者の私が、ひとりぼっちで寝ている。

 携帯を見たら午前7時。洋ちゃんからメールが来ていた。

「朝の8時くらいに迎えに行きます。村会所には鍵がかかっているので安全です。変質者なんていないけど、一応近所のお爺さんに見回りを頼んで置きました。何かあったら電話を下さい。冷蔵庫にコーラとあんぱんが入っています。それと、カラオケとファミコンもあります。真夜中に歌っても大丈夫です」

 私は笑った。真夜中に歌っていいなら、朝一で歌ってもいいよね。カラオケ、少し興味がそそられる。大広間の正面に、ごっついカラオケの機械が置いてある。これはレーザーディスクを使うやつだ。ジャケットを見てみたけど、知っている曲があんまりないなあ。

 寅さんの「男はつらいよ」を歌うことにする。私は割と機械に強い。やり方はなんとなく分かった。ステレオのシステムがやたらと豪華なので、部屋いっぱいに大音響で音楽が流れる。私もマイクのボリュームを上げて、眠気を吹き飛ばす感じで豪快に歌った。朝カラオケ、悪く無いね。「荒城の月」と「ソーラン節」を歌う。観客はいないけど、まるでコンサートをしてるみたい。冷蔵庫から出したコーラを飲みながら、次の曲を物色する。

 子供向けのラインナップが意外に充実している。私は「アンパンマンのマーチ」を歌う事にした。この曲は大好き。実はこれ、ロックなんだよ。私は絶叫して歌うことにしている。「そうだ! 嬉しいんだ生きる歓び」の所なんて、切なくて涙が出てくる。私の生きる歓び、どこにあるのでしょうか。生きることが嬉しいとか、遠い。


 村会所のドアが開いて、洋ちゃんと一緒に長身の女の子が中に入ってきた。お、あれが生徒会の会長だな。真っ黒で長い髪。しなやかな体付き。ぱっと見ですぐに分かる。相当に美人な子。

 もっと観察をしたいのだが、ロックを途中で止めるわけには行かない。二人が見つめる中、私は全力を込めてアンパンマンのマーチをお届けした。洋ちゃんは途中から爆笑して、床に倒れ伏した。女の子は胸の前で手を組んで、目をキラキラさせて私の歌を聞いてくれた。

 歌が終わった時、二人が盛大に拍手をしてくれた。私は深々とお辞儀をして、カラオケの片付けを始める。

「美香姉ちゃんはやっぱり凄い」

 洋ちゃんが片付けを手伝ってくれる。

「あの、初めまして。洋一君と同じ中学に通っている、犬丸朋子(いぬまる・ともこ)と申します」

 女の子が頭を下げて言った。いぬまる……名前も可愛い。

「よろしくね。私は里崎美香(さとざき・みか)と申します。洋ちゃんのイトコです」

 私は笑顔で言った。至近距離で見るとこれまた凄いなあ。もうなんか、顔の造作の次元が違う。アイドルというより女優系。少し面長で頭がちっちゃい。首が細い。指も細い。そういう趣味はないんだけど、この子をぎゅっと抱きしめてみたい。

「あの、美香さんって呼んでもいいですか?」

 犬丸ちゃんが言った。

「うん、いいよー」

「私、小学生の時に美香さんに会ってるんです。一緒に遊んでもらいました」

「あ、そうなんだ。私も昔は、毎年ここに来てたからね。みんなで川で泳いで、冬は雪合戦とかしてさ。楽しかったな」

 私は言った。

「美香さんが村会所で『津軽海峡冬景色』を歌って、それが凄い上手で……。私、憧れてました」

「あれ? 私、ここで歌った事があるのか。親戚の家で歌ったような記憶が……」

 私は物覚えが悪い。

「コブシを利かせて、本物の演歌歌手みたいだったよ」

 洋ちゃんが笑顔で言った。

「さて、絶叫して腹も減った事だし、家に帰って朝ごはんを食べたいね」

 私は言った。洋ちゃんが頷いた。

「あの、美香さん。お願いがあるんですけど」

「うん」

「みんなでファミコンをやりたいんです」

 犬丸ちゃんが、綺麗な顔で私をじっと見つめる。

「朝ごはんを食べてから、僕の家でやろうよ」

 洋ちゃんが渋い顔をして言った。

「今ここでやりたいの。この場の雰囲気が名残惜しい。勿体無いよ」

 犬丸ちゃん、ただの美人じゃないな。

「じゃあやろうか。カセットは何があるのかな?」

 私は言った。洋ちゃんがげっそりとした顔をする。私は笑った。

「『くにおくんのドッジボール』をやりませんか? 私、結構得意なんです」

 犬丸ちゃんが言った。

「悪いけど、私もそれは得意だよ。負けないよ」

 私は言った。


 犬丸ちゃんと私は、巨大なブラウン管を見つめて真剣にゲームをしている。洋ちゃんが私達の後ろで、ぼそぼそとあんぱんを食べてコーラを飲んでいる。犬丸ちゃんは外野を巧みに使って、私を攻め立ててくる。私は卑怯な技を駆使して、犬丸ちゃんを翻弄する。犬丸ちゃんが怒って、私の服を軽く引っ張る。私は犬丸ちゃんのお腹を指で突っつく。2人で笑い合う。楽しい。

「美香姉ちゃん、そんなに和むなよ」

 洋ちゃんがふてくされて言った。

「あんたもやればいいじゃん」

 私は言った。

「洋一君は、アクションゲームが苦手だよね」

 犬丸ちゃんが可笑しそうにして言った。

「2人でゲームとか、やってるんだね?」

 私は茶化して言った。

「小学校の時は、毎日一緒に遊んでたんです」

 犬丸ちゃんが私の顔を見て言った。洋ちゃんの反応は特に無し。

「でもね、犬丸ちゃん。洋ちゃんはだいぶマシな方だよ? 思春期の男子はもっとね、かなりムカつく感じになるもんだよ」

 私は言った。犬丸ちゃんが小さく笑う。洋ちゃんは目をそらして、ムッとした顔をしてる。上品で優秀な2人。だからこそ、なかなか狭まらないこの距離。私もこんな青春が欲しかった。

「もう10時過ぎてるよ。腹が減って死にそうだよ」

 洋ちゃんが言った。犬丸ちゃんが少し寂しそうにして、ファミコンの電源スイッチをパチンと切った。

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