第31話 日常のふりした非日常

『それじゃおれがおとなになったら、おになんてぜんぶやっつけてやるよ!』

『そしたらさ、いっしょにミセスドーナツいこうぜ! うちのじーさんにたのめばつれてってくれるとおもうし!』

 ――暖かい日差しが差し込んでくる真っ白な病室の、真っ白なベッド。

 俺はそのかたわらの椅子に座って、忘れ去られた昔話を聞いていた。

 過去の自分の短絡的な発言に、思わず天井を仰いでうなる。

「……そんなこと言ったのか? 俺」

「……言ったし」

 みのりは俺と向かい合う形でベッドのふちに腰かけていた。入院用のパジャマ姿で、みのりが頬を膨らませる。

 意識も人の姿もほぼ取り戻したとはいえ、その右頭部にはいまだにねじれた角が一本残ったままだ。

 歴史生物科学研究所内の施設……特にお針子たちの居住区は、今回の事件でかなりの被害を受けてしまった。鬼人化の後遺症が心配されるみのりは、しばらくは検査入院という体で、研究所と提携しているこの病院で過ごすことになったらしい。

「そもそもお針子の問題ってそんな、〝わるものをやっつければぜんぶかいけつ!〟みたいな話ですらないよな」

「それはそうなんだけど……当時は私も成海も小さかったしね」

「あーなんか思い出してきたぞ……あのブレスレットも、これキレイだからやるよ! くらいのノリで渡した気がする」

「そうそう、でもそれが逆に嬉しかったな。普通の友達って、こんな感じなのかなって」

 みのりは少し恥ずかしそうに笑いながら、左手を目の前に持ち上げた。

 桃色数珠のブレスレットが、窓からの日差しを受けて手首できらめく。

「これ、無事だったの奇跡だよね」

 特別な力を持つみのりには不釣り合いな、なんの変哲もない量産品の数珠ブレスレット。

 それなのにしぶとく生き残ったそれが、なんの変哲もない俺自身と重なる。

「十年以上前の、安物のブレスレットなのにな」

「あ、でも中の紐はね、切れちゃって二回くらい替えてるんだ。私、人からプレゼントしてもらったものってこれだけだし、アクセサリーもこれしか持ってないから」

「マジか……あーでもそっか、途中から外との交流自体、ダメになったんだもんな。SNSもダメってことは、通話とかチャット機能のあるオンラインゲームとかも全部ダメか。……いやいやいや、鎖国かよ」

「あはははっ、うん、だいぶ近いかもね」

 俺だったら一週間で発狂しそうな生活を揶揄する言葉に、みのりは他人事みたいに笑う。

 ……そっか。こいつ、こんないい顔して笑うんだな。

 声を上げて笑うみのりは、夏希や志乃、『らいこう』の外にいる普通の女の子たちとなに一つ変わらない。

「学校も行ってなかったのに、鎖国は分かるのか」

「『らいこう』の中でだけど義務教育はちゃんと受けたよ。それに本はよく読んでたしね」

 みのりは目を細めて、いとおしそうにブレスレットをなでた。

 現代の自由な生活とは無縁だったが故の、純粋と無欲、なのかもしれない。

 だから、そのきれいな心を汚してしまうような気がして、一瞬だけ言葉にするのを躊躇する。

「あの……さ。なんか欲しいもんとか、興味あるもんあったら遠慮なく言えよ? あんま高いものは無理だけどさ、俺になんとかできるものなら差し入れで持ってくるし」

 みのりの命を助けることと、みのりに会わせてくれること。

 あの研究所内のドームで、俺が気を失う直前に兎呂に託した二つの願いは、一応は聞き入れられていた。正確には保留なのかもしれないが、少なくともこの病院にいる間は、俺はみのりと自由に面会することができる。

「本当に?」

「ホントホント」

「それじゃあ……」

 トントント、ガチャッ。

「……おや? この雰囲気は、もしかしてお邪魔でしたかね?」

 こちらの返事を待つ気などさらさらないノック音と共に、開いた扉の隙間から白いうさぎが飛び込んでくる。

「へい! なるなる! みのりん! ミセスドーナツ買ってきたよ!」

 次いで入ってきたのはツインテールをなびかせた夏希。一人と一匹に少し遅れて入ってきたのは頼さんだった。なぜか複雑な表情をした頼さんとは対照的に、カラフルなミセスドーナツの箱を手にした夏希はニコニコ顔だ。

「氷雨……それに、うさぎ、と……」

「櫻井夏希! なるなるの鬼退治仲間です! よろしくね、みのりん!」

「あ、え、えと……北条みのり、です。よろし、く……?」

 いやお前初対面だろ。いきなりあだ名で呼ぶなて。

 人知を超えた力を持つお針子と初めて会うなら、もうちょい緊張感持つだろ、普通。逆にみのりの方が困惑してるじゃねーか。

「ちょっ、お前ら……なにしに来た?」

「なにって、みのりさんのお見舞いに決まってるじゃないですか」

「なるなるも病院に行ってるって聞いて、私もついてきちゃった! これは差し入れ。みんなで食べる用ね!」

 夏希はやたら横に長いミセスドーナツの箱をずいとこちらに見せつけてきた。

 いやだから近いって。

「あ、シュガーバターは私のやつだからね」

「よく箱で買ってきたな、高いのに」

「へへん、ひーちゃんにおねだりして買ってもらっちゃった!」

 顔面に押しつけられたドーナツの箱をさらに押しやって、夏希の肩越しに頼さんを見やる。

 頼さんは少し気まずそうに、口元にこぶしを当てて咳払いした。

「まぁ……あの時、戻ってきた夏希のおかげで、市内に現れた鬼の討伐がはかどったのは事実だからな」

 大人の財力を見せつける頼さんの前で、ドヤ顔の夏希が上機嫌に胸を張る。

「成海も、よくみのりの暴走を止めてくれた。すまない、お前たちには結局、『らいこう』がやってきたことのしわ寄せを押しつけてしまったな」

 鬼人化して鎖につながれ、『らいこう』の大人たちに囲まれていたみのりの姿を思い出す。

 のどまで出かけた感情を、俺はぐっと飲み込んだ。

 いくら平和のためという大義名分があったとしても、『らいこう』がみのりにしてきた仕打ちは許せない。今は許せる気さえしない。

 でもその気持ちを頼さんにぶちまけたところで、みのりの〝これから〟がよくなるわけじゃない。そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと深呼吸する。

「それは、お互い様です。結果はともかく、俺が自分勝手な理由で避難命令を無視したのは事実ですし……俺だけじゃ、きっとみのりを助けることもできなかったと思います」

 そう、これからも。

 俺は無知で、無力で、一人じゃなにもできない子供だ。

 だからきっと俺一人の力じゃ、みのりに並走することすらできない。

「だから、俺は俺のできることをします。追い詰められたみのりが『らいこう』を逃げ出さなくてもいいように……みのりが抱えている不安や恐怖を、俺が一緒に背負います」

 頼さんはちらりとみのりの方を見たが、みのりはあからさまに頼さんの視線を避けていた。みのりが頼さんへの……『らいこう』に対しての不信感をぬぐうには、まだまだ時間がかかるだろう、と思う。

 それでも今は『らいこう』の存在がなければ、みのりを守ることはできないし、平和な日常も保てない。

「これからも、ここを退院して研究所に戻った後も、俺がみのりと会えるようにしてくれませんか? 一方的に犠牲を強いられるだけじゃない……外の世界にも仲間がいるんだってことを、これから先もみのりに実感させてあげたいんです」

 平和のためにみのりが犠牲になるんじゃなくて、みのりのために平和を犠牲にするのでもなくて、どちらも共存させるために。

 精一杯の自制心を使って頼さんに頭を下げる。

「……みのりの処遇は俺の一存で決められることじゃない。だからこの場で確約してやることはできない、が」

 たっぷり数秒の沈黙を破って、頼さんがため息をつく。

「『らいこう』の上層部には俺が直接、掛け合ってみよう。とはいえ……上層部は曲者ぞろいだからな。あまり期待はするなよ」

「! ありがとうございます、お願いします!」

「お、なんかよく分かんないけど、よかったねみのりん!」

「うん……もしもこれから先も成海に会えるようになるなら……そうだね。私も嬉しいな」

「さぁさぁ、では堅苦しい話はこれくらいにしておいて! 今回の事件で頑張った皆さんの労を一刻も早くねぎらい合おうじゃありませんか!」

「お前は早くドーナツが食いたいだけだろ」

 俺は病室の隅に置かれていた丸椅子をもう一つ持ってきた。兎呂の分は除いたとしても席が一つ足りないので、俺は椅子を夏希に譲ってみのりの隣に移動する。

「あ、そういやさ……さっきなんて言いかけたんだ?」

「え?」

 みのりはきょとんとして俺の顔を見た。

 シーツを汚さないように気を付けながら、夏希からチョコレートがかかったオールドファッションを受け取る。

「欲しいもんとか、興味あるもんの話。あるんだろ? なんか」

「ええとね……なんか、いきなり叶っちゃったみたい。だから、大丈夫」

「え?」

 今度は俺がきょとんとする番だった。

 箱の中からフレンチクルーラーを選んだみのりが、照れくさそうに笑う。

「一緒に、ミセスドーナツ行こうぜってやつ。もう叶っちゃったから」

 俺たちの普通。

 俺たちの日常。

 俺たちの、当たり前。

 みのりが望んだ、ささやかすぎる幸せの時間を一緒にほおばる。

「……だからといって無茶を許したわけじゃないからな。今回は無事だったからよかったようなものの――」

「分かった分かった! お説教はあとでゆーっくり聞くから、ひーちゃんも食べよ?」

「ちょっと夏希さん! そのプレミアム生チョコドーナツだけは譲れませんよ!」

 俺は目の前で繰り広げられているドーナツ争奪戦を眺めながら、ぼんやりとこの先のことを考えていた。

 ふいに、学校の机の奥に封印したままの進路希望調査のことを思い出す。

「なあ、みのり」

「ん?」

「俺はお針子じゃないし、特別な能力もないし、今は結局、豆まいて鬼退治するくらいしかできないんだけどさ……」

 俺でも知っている有名な大学の名前をいくつか思い浮かべる。

 次元の壁やお針子の妖力について研究して、根本的な解決を目指すなら、理系に進んだ方がいいんだろうか。

「もうちょい頑張るから。この先も、見ててくれるか?」

「うん」

 明るい日差しの病室で、甘いドーナツをほおばって。

 どこにでもいる普通の女の子みたいに、みのりは笑った。

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節分とかいう行事(イベント)考えた奴ちょっと来い 新屋敷マイコ @arayasiki_san

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