第29話 一難去ってまた一難

「起きろ、少年」

 はっとして目を開けると、白狐の面がこちらをのぞき込んでいた。

 モニターが照らす薄暗い部屋のど真ん中に、俺は仰向けに転がっていた。右半身に感じる重みとぬくもりで、自分の上に裸のみのりが覆いかぶさっていることにも気付く。

 どうやら一瞬、気絶していたらしい。が、すぐに自分が置かれている状況を思い出す。

「まさか本当に、みのりを助けてくれるとはね」

 俺とみのりの見守り役を名乗り出てくれたお針子が、狐面の下であきれたように笑う。

 起き上がろうとしたが、もう一歩も動ける気がしなかった。失礼を承知で、床に寝転がったまま応答する。

「みのりは……助かったんですか?」

「大丈夫、とは言い切れないが生きているよ。君のおかげで妖力の暴走も止まったようだ」

「そっか、よかった――」

 ため息をついて、目を閉じる。

 今後のみのりの処遇については分からない。それを思えばまだ全然、安心できる状態じゃないのかもしれないけれど。

「みのり、お前もそろそろ起きなさい。いつまでもそこに突っ伏していたら少年が重たいだろう」

「え……?」

 気を失っているとばかり思っていたみのりの身体がぴくりと動いた。

 触れ合った部分から伝わってくる鼓動が少し、早くなる。

「みのり……?」

 預けっぱなしにされていたみのりの身体がもぞもぞと動く。

 おそらく俺と同じか、それ以上に疲弊しているのだろう。鎖につながれた不自由な手で胸元を隠しながら、みのりはゆっくりと上体を起こした。

 白紫色の髪の下からのぞく目は熱っぽくうるんでいる。

「……ごめん、ね」

「あああいやっ! いいんだ! 全然そのままでも……ああいや決して変な意味じゃなく!」

 みのりはほんのりと赤く染まった顔をふいとそむけた。

 いまだ下半身は俺の上に重ねたまま、身体をもじもじさせている。

「でも、びっくりした。私のことなんてすっかり忘れてるんだと思ってたし……まさか、来てくれるなんて思ってもなかったから」

「それは……ごめん、本当に」

「でも、嬉しかった。守ってくれたことも……寄り添って、くれたことも」

 あっ、これはアレですね。鬼人化してた時のこと、全部覚えてる、ってやつですね。

 待って、いろいろな意味で急に恥ずかしくなってきたんですけど。

「と、とりあえず服着よう! 服! はおるだけでも!」

 一瞬オチて休めたとはいえ、身体はまだとてつもなくだるい。芋虫のようにもそもそと上着を脱いで、下からみのりにはおらせる。

 こちらのやり取りを眺めていた狐面から、クックッと押し殺したような笑みがこぼれた。

「妖力の暴走も収まったようだし、とりあえずはひと段落か」

「はい。本当に……ご迷惑をおかけしました」

 俺の上着で胸元を隠しながらみのりがうつむく。ほぼほぼ元の状態に戻ったとはいえ、右側に生えた角だけは残ったままだ。

「それはみのりが謝ることじゃないだろ?」

「ううん。私が原因で、多くの人たちを危険にさらしてしまったのは事実だから」

 自分だって命の危険にさらされていたのに、とことん根が真面目なんだな……

 俺と同じ感想を抱いたのか、狐面のお針子がぽりぽりと頭をかく。

「ひとまず、外に追い出してしまった『らいこう』の面々に報告しなければな。二人とも、起き上がることはできるか? 少年も妖力を充填した豆など食べたのだから、ただでは……」

 ドンッ!

 突然、部屋全体が揺れるほどの衝撃が会話に割って入ってきた。

 仰向けに寝転がった状態のまま、目を見開く。

「な、なんだっ?」

「なにか音が、天井から……!」

 天井?

 ここはドーム型のてっぺん、最上階のはずだ。

 そのさらに上から音なんてするわけが……

 ドオォォォォオン! バリバリバリバリッ!

「みのりっ!」

 あれほど重かった身体が反射的に動いた。

 差し込む陽光と共に、ひしゃげて崩れた天井の壁やモニターの破片が降ってくる。

〝それら〟が降り立った場所が、自分たちの真上ではなかったことだけがせめてもの救いだった。降り注ぐ破片からみのりをかばいながらも、目の前の光景にぞっとする。

 できれば二度と遭いたくなかった、俺のトラウマがそこにいた。

 天井を破った張本人はまずこいつだろう。二本の角と黄ばんだたてがみを持つ巨大な赤虎が、がれきの中で悠然としっぽをくねらせている。

 そしてこいつが開けた天井の穴からは、取り巻きの餓鬼や見たことのない小型鬼も一緒に、ばらばらと降ってきていた。

 そうか……

 みのりが元に戻っても、すでに裂かれてしまった次元の壁まで一緒にふさがってくれるわけじゃないんだ。

「ぬかったわ……こんなに近くで発生していた裂け目に気付けないとは!」

 狐面のお針子が猛鬼に向けた両手が、薄紫色に発光する。

 瞬間、猛鬼の全身からぶわっと黒煙が上がった。

 周囲にいた数匹の餓鬼があおりを食らい、一瞬で次元の向こうに還される。が、さすがに猛鬼クラスになるとそう簡単にはいかないらしい。お針子の妖力に抵抗して、猛鬼が上げた咆哮が空気を揺るがす。

「みのり……!」

 耳も頭もおかしくなりそうな状況の中で、みのりの顔色をうかがう。

 みのりの能力に頼るのは……さすがに無理か。

 みのりはすでに妖力も体力も消耗しきっている。

 だが狐面のお針子一人の妖力では、その場にいるすべての鬼を捉えることはできていない。そうしている間にも、鬼たちは次から次へと天井の穴から降ってくる。

 俺はみのりの頭を抱いたまま、床に転がしておいた升に手を伸ばした。

 歯を食いしばり、空になった升を必死に手元にたぐり寄せる。

「成海!」

 みのりがなにかを訴えるように、力なく俺にすがりつく。

 逃げだそうにも身体は重く、なによりみのりは鎖で床につながれたままだ。

 震えるな、俺。

 升のふちを強く握りしめ、迫りくる餓鬼の群れをにらみつける。

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