第27話 彼女はなにを欲していたか

「君はもしかして、桃原のご子息じゃないのかな?」

 白狐……正確には、白い狐の面をつけた男は、近所で知り合いと行き合ったかのような足取りでこちらに歩み寄ってきた。

 年齢は分からない。性別も、声質から男と判断しただけだ。

 ただその白紫色の髪から、『らいこう』が抱えるお針子の一人なのだろうとは推察できる。

「俺のことを知っているんですか?」

「君のことを、というよりも、桃原一族のことをだね。慰問があった当時、みのりと遊んでくれた少年がいたのは記憶しているよ。まぁそれも、みのりがあのブレスレットを後生大事にしていたから覚えていただけ、だけれどもね」

 なぜ狐の面などをつけているのかは分からないが、口ぶりや態度からして、お針子の中でも年長の人間なのだろうということは分かる。

 狐面のお針子は『らいこう』の面々に語りかけるように、ぐるりと室内を見回した。

「どのみち八方ふさがりだったんだ。ここでこのまま膠着しているよりは、奇跡にすがるのも悪くはない。そう思わないか?」

「いや、しかし……」

「いざという時のために、私が彼の監護にあたる。責任も私が取ろう」

 狐面のお針子は周囲の大人たちを黙らせると、今度は俺の方に向き直った。

「君も、それでいいかな?」

 狐の面の上からでは、男の表情はいっさい見えない。

 大人は時に真実を伏せるし、非情にもなる。

 もしもこのお針子が、お針子としての使命を最優先に考えているとしたら?

 仮に、俺がみのりを守るバリアを突破できたとしても……その瞬間に、みのりを殺しにかかられてしまうかもしれない。

「……信じて、いいんですか」

 たっぷり悩んで絞り出した答えに、狐面のお針子は苦笑した。

「こちらとしては、むしろ信じてもらうしかない。血こそつながってはいないが、お針子同士はみな家族同然の存在だ。できることなら私は家族を救いたいし、みのりのことを思ってくれている君に、賭けたい」

 俺にできることと言ったら、せいぜい豆をまくことくらいだ。

 俺を奮い立たせた夏希に、猛鬼から逃がしてくれた頼さん。自らおとりになって餓鬼を引きつけてくれた兎呂。一人じゃきっと、ここにたどり着くことさえできなかった。

 今もそうだ。

 俺には大勢の大人を説き伏せるだけの信用も話術も、強引に事を進める力もない。

「ありがとうございます……すみません」

 俺が頭を下げると、狐面のお針子は手でほかの『らいこう』メンバーの退出を促した。

 スーツや白衣の大人たちは顔を見合わせ、とまどいつつも制御室を後にしていく。

「……いざとなったらすぐに呼べよ」

「分かってる。最低限の線引きはわきまえているつもりだよ」

 俺をいさめたスーツの男が最後まで残り、退出の直前に、狐面のお針子にささやいていく。

 なにもかもが不確定なのは、百も承知だ。

 狐面のお針子が一歩身を引くと同時に、俺はすぅっと息を吸い込んだ。

「みのり!」

 周囲の全てを拒むみのりに、ありったけの声量で呼びかける。

 みのりはゆらゆらと白紫色の髪を揺らすだけで、ぴくりとも反応しない。

 右側だけに角の生えた頭も、相変わらず床に向けたままだ。

「ごめん。俺、お前のことなんにも分かってなくて。思い出したんだ。でも、やっぱりお前のことは分かんないままでさ」

 本当に、自我が飛んでしまったのだろうか。

 まだ分からない。反応がなくても、声は届いているかもしれない。

 揺らめく白紫色を目で追いながら、今はかすかな希望にすがる。

「お針子の使命とか慰問の意味とか、ガキだったころはなんも分かってなくて。いや、今だって俺がのんきに暮らしている間に、お前がどんな思いで生きてきて……どんな思いで逃げてきたのか、ちゃんと理解もしてなくて」

 思いはうまく言葉にまとまらなかった。

 こんなことを伝えてなんになるのか、と思わなくもない。

 それでも俺には期待があった。

 意図的にしろ無意識にしろ、もしもみのりが防御という手段を〝選んで〟いるのだとしたら。かろうじてコントロール可能な妖力を、自分の意思で、攻撃ではなく防御に全振りしているのだとしたら。

「こんな状況になっても、お前は自分のために、誰かを傷つけたくないんだろ?」

 床をつかむみのりの指が、かすかに動いた気がした。

「……自分がされて嫌だったことを、別の誰かに返したくないんだろ?」

 駅近くの裏路地で聞いたみのりの言葉が、目の前の、鬼人化したみのりの姿と重なってよみがえる。

『私だって……できれば人が死ぬのなんて見たくない。自分の代わりに誰かが死ねばいいなんて、思ったこともない』

 みのり自身が、誰かのために傷つけられる側だったから。

 自分が生きるために誰かの人生を、思いを、存在を殺す。その殺される側の痛みを、みのりは誰よりも知っているはずだから。

「でも本当のところは分からないんだ。俺が勝手に、そう感じただけだからさ。違ったら違うって言ってほしいし、そうならそうだって、お前の言葉でちゃんと聞かせてほしいんだ」

 みのりは『らいこう』を逃げ出し、必死に外に手を伸ばそうとしていた。

 その手をすぐに取れていれば、せめてみのりの痛みに寄り添うくらいはできたかもしれないのに。

「今から聞かせてもらうんじゃダメか? これから先を一緒に考えていくんじゃ、もう遅いか?」

 ふわふわと中空を漂っていた白紫色の髪が、徐々にその浮力を下げていく。

 ぽたりと一つ、伏されたままのみのりの顔から、しずくが落ちた。

 みのりが顔を向けている床に、一つ、また一つと、小さなしみができていく。

「みのり……」

 もう一度、みのりに近づこうとして、自分の足が震えていることに気付く。

 みのりのバリアに阻まれた指先が、じんじんと痛みを発して警告する。

 怖い。

 いくら口先で思いを伝えたって、いくらみのりの妖力が静まったように見えたって、あの見えないバリアが消えているなんて保証は一つもない。

 俺は無意識に、血で汚れたままの指先をカバンの中に差し入れていた。

 豆をぶつけてみれば、まだバリアが張られていたとしても解除できるかもしれないし、バリア自体の有無も確認できる――

 ………

 ……いや。

 この豆を投げてしまったら、俺も、みのりを囲い込んで追い詰めた大人と同じだ。

 みのりが自分を守るために張った最後の砦を、力ずくではがすのは絶対に違う。

 俺は豆を握らずに、カバンの中から手を抜いた。その手を前に差し出しながら、みのりに歩み寄る。

 これでダメなら、諦めよう。

 みのりは危険な処置を施されても、銃や刀を向けられても、身を守ろうとするだけで決して攻撃し返さなかった。

 それなら俺だって、腕の一本くらい賭けてやる。

 決意とは裏腹に、差し出した手はこの期に及んで震えていた。下唇をかみ、自分を襲うかもしれない痛みへの恐怖に抗う。

 指先から前腕が、さっき分厚い壁にはじかれたあたりを通過した。

 ひじまで通過したあたりで、細めていた目を少しずつ見開く。

「……通っ、た……?」

 半信半疑のまま、伸ばした手に引きずられるように、おそるおそるみのりに近づいていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る