第21話 ドーナツとアプリのバグと二ケツ

 兎呂を自転車の後ろに乗せて、休日の住宅街を疾走する。

 時々スマホを取り出して、鬼ごっこアプリの地図を確認する。地図上の点滅はお隣、龍門渕市の一角を示していた。

 電車でいえば三駅分ほどの距離がある。移動手段が自転車では、到着までは少し時間がかかりそうだった。

「あ」

「どうしました?」

 突然、スマホの画面に『充電してください』の文字が現れる。

 それから数秒も経たないうちに、画面は無情にも断末魔のバイブレーションとともにブラックアウトした。

「充電くらいしといてくださいよ! スマホはもはや生活必需品でしょう!」

「うるさいな! あんだけトキメキドキドキ鳴らしてるからだろ!」

 兎呂とやいのやいの言いながら、とりあえずは方角を合わせて自転車を走らせ続ける。が、時折すれ違う通行人たちの視線に気づき、俺は仕方なく声のボリュームを落とした。

「点滅の位置は覚えていますか?」

「まぁ……だいたいは」

「仕方ありませんね、私が案内しましょう」

「場所、分かるのか」

「この長い耳はなんのためにあると思っているんですか?」

 兎呂は誇らしげに、両の耳をピンと立てた。

「この耳は妖力を感知できるんです!」

「へぇ、ふーん、すごいな」

「反応があいまいですよ! もっと大仰に!」

「分かったから行け」

 拍手を要求する芸人のように、荷台に立って両手をあおる兎呂を、しっしっ、と手で促す。

「なんですか、うさぎを犬みたく! まったく、これだから文脈も空気も読めない童貞学生は……」

「ぶっとばすぞお前!」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、兎呂は自転車の荷台から飛び出した。

 四つん這いで駆け出す兎呂を追って、ひたすらペダルをこいでいく。兎呂の案内に従ってしばらく自転車を走らせ続けていると、やがて表のメイン道路と並行して走っている旧道に出た。その旧道をいくらか進んだところで、前を行く兎呂の足が緩む。

「着いたか?」

「……待ってください」

 二足歩行に戻り、耳を四方八方に向けてぴこぴこさせる兎呂に合わせて、いったん自転車を止める。

 進行方向には潰れたスーパーの駐車場があった。これまでの鬼の出現場所を振り返ってみても、ここが今回の現場なのだろう。

「どうしたんだよ、早く行こうぜ」

「え、ええ……そうですね。すみません、行きましょうか」

 歯切れの悪い兎呂に首をかしげつつも、改めて目の前の目的地に向かう。

 がらんがらんの駐車場の空き店舗近くに、人鬼らしき巨人の影を発見する。

 そのかたわらには大太刀を手にしたツインテールの姿もあった。

「おっっっそーーーい!」

 自転車を降りて適当なところにとめた瞬間、夏希が人鬼の剛腕を避けながら叫ぶ。

「なにしてたの! ひーちゃんも来ないしなるなるも来ないし! 大変だったんだから!」

「ごめん」

 カバンの中から升を取り出そうとする。が、夏希が振るった大太刀が、すでに黒い煙を上げ始めていた人鬼をたたき伏せる方が早かった。

 人鬼がひざから崩れ落ち、ぶすぶすと空間に溶けて消えていく前で、夏希が背中の鞘に大太刀を収める。

「……えーっと」

 完全に出遅れてしまい、俺はカバンの中に手を突っ込んだまま動きを止めた。

 一息ついてこちらに振り向いた夏希は、半眼で頬を膨らませている。

「……ごめん。その、今日だけじゃなくてさ。鬼退治、押しつけちゃって」

 改めて謝ると、夏希はじーっと俺の目を見つめてきた。

 それから唐突に、ニコーっと笑いかけてくる。

「ミセスドーナツおごってくれたら許してあげる」

「……分かりました」

「ホント? やった! シュガーバターの新しいやつ食べたかったんだよね!」

「私はチョコがかかっているやつがいいです」

「なんでお前まで入ってくんだよ」

 どさくさに紛れて便乗してくる兎呂に半眼を落とす。

 急に、少し鼻にかかった甘い歌声が、ポップな曲調とともに流れ始めた。

 曲名は知らないけど、最近、店の有線とかでよく流れているやつだ。

「えー、またぁ?」

 どうやら夏希の鬼ごっこアプリのアラームらしい。

「俺も見せてもらってもいいか? スマホの充電切れちゃって」

「しょうがないなぁ、ドーナツもう一個追加ね!」

 スマホを取り出した夏希の手元を、一緒にのぞき込む。

「……は?」

 目に飛び込んできたのは黄色の点滅。

 に、次ぐ、点滅、点滅、点滅、点滅……

 場所は同じく龍門渕、歴史生物科学研究所近辺。その地域に固まって、鬼の出現を知らせる印が無数に表示されていた。

「これ、バグだろ」

「ねーとりょりょ、アプリちょっとおかしいよ? 直せる?」

 夏希が兎呂にもスマホの画面を見せる。

 瞬間、兎呂の顔が明らかに引きつった。

「……アプリの不具合であればいいんですが」

「え、じゃあこれ、本当にこれだけの鬼が出てるってことか? マジで」

「先ほども、研究所方面から大きな妖力の波を感じたんですよ。あ、今もですね……鬼が出たこと自体は確かなんでしょうが……」

「なんだよ、なんか煮え切らないな」

 耳をぴくぴくさせる兎呂を横目に、再び自転車にまたがる。

「とりあえず、行ってみればどういう状況なのか分かるだろ」

「そうだねー、どのみちアプリが反応してるなら行かなくちゃだし!」

「ふーむ……」

 兎呂はいつになく慎重だった。あごに手を当て、少考の時間を取る。

「分かりました。私は先に行って、状況を把握してきます。ただしお二人とも、どんな事態であったとしても、くれぐれも無茶だけはしないでくださいよ!」

 決断すると、兎呂の行動は早かった。

 また四つん這いになって走り去り、ポストへ屋根へと飛び移って、あっという間に姿を消す。

「じゃあー、私はなるなるの後ろに乗せてもらおっかな!」

「ちょっ……」

 拒否する間もなく、自転車の荷台に夏希がひらりと飛び乗る。あやうくバランスを崩しそうになって、避難がましく後ろを振り向く。

「二人乗りしてるとこ見つかったら補導されるだろ」

「街の平和と補導歴、どっちが大事か、だよ!」

「なんかどっかで聞いたな、そのフレーズ……」

 まぁ、ここでごねても仕方がないか……

 荷台に横座りする夏希を乗せて、重くなったペダルをこぎ出す。

 こぎ始めは少しふらついたが、スピードが乗ってくるにつれて安定してくる。余裕ができたところで、俺は一瞬だけ夏希を振り返った。

 鬼退治の直後だからだろう。至近距離で、汗の匂いが入り混じった女の子の匂いがした。

 風に乗って後方になびくツインテールを慌てて見切り、本能の疼きをごまかすように口を開く。

「夏希は、さ。聞いてるのか? 北条みのりが捕まった、ってこと」

「それはもちろん! あ、ちなみに、なるなるが鬼退治サボってた理由も知ってるから」

「マジか……」

「ひーちゃんは教えてくんなかったんだけど、とりょりょがね」

「あいつ、ホントろくなことしねーな……」

 でもまぁ……鬼退治の負担を押しつけられていた夏希が事情を知りたがるのは当然か。

 なんだかんだで、兎呂は大事なところではうまく立ち回ってくれているような気がする。

「夏希はどう思う? みのりのこと」

「どうって?」

「大勢のための犠牲なら仕方ない、って。割り切るしかないと思うか?」

 背中で数秒、んー、と悩む声が聞こえる。

「分かんない! それはね、かわいそうだなとは思うけど。ただ、ひーちゃんがみのりんの犠牲に目をつぶってるなら、そうするしかないんだと思うな」

 夏希は頼さんのこと、完全に信頼してるよな。

 確かに頼さんは女子が好みそうなイケメンだけど、夏希の慕いっぷりは少し盲目的にも見える。

「そういえば夏希はどうして鬼退治してるんだ?」

「え、ひーちゃんの助けになりたいからだよ?」

「ごめん、ちょっとわけが分からん……夏希は頼さんに勧誘されたのか? 鬼退治しませんか、って」

 ちらと横目で背中をうかがう。

 夏希は目を細めて、いつもとは違う穏やかな笑い方をしていた。

「んーん、ひーちゃんにはね、助けてもらったことがあるんだよ。だから今度は私がひーちゃんを助けるの。ま、最初は鬼退治するの、反対されたんだけどね」

「助けてもらったって……鬼に襲われたりしたのか?」

「んー……ま、そんなトコかな! あ、次の交差点、左に曲がるよ!」

 夏希のナビに従ってハンドルを左に切る。

 理由は分からないが、いつもはずけずけとモノを言う夏希がにごしたのはあえてだろう。だから、俺もあえて深くは聞かない。

「ひーちゃんは優しいよ。私たちに鬼退治させてしまってることを悪いと思ってるんだよ。全然そんなことないのにね。だからね、本当はなるなるにも隠しておきたかったんじゃないかなあ」

「? なにを?」

「みのりんがみんなのために、とっても辛い思いをしてるってことを。だってさ、これってどうにもならないことじゃない? 知れば私たちが苦しむって、ひーちゃんは分かってたと思うよ」

 ……そういう考え方もあるか。

 みのりからしたら、頼さんは都合の悪いことを世間に隠す、ずるい大人だ。

 でも夏希の目を通せば、責任や葛藤を一身に引き受ける別の一面が見えてくる。

 遠くに龍門渕駅が見えてきて、俺は周囲の様子を見渡した。

 前に来た時も思ったが、やはり主要都市だけあって栄えている。背の高い建物に挟まれた広い道には、当然ながら人通りも多い。二人乗りへの視線を気にしながら、さらに自転車を走らせる。

「もうすぐ着くよ! えっとね、道の左側の角地にビルが見えてくるから――」

「いや、ちょっと待て……」

 夏希の指示をさえぎったのは、まさにそのビルの向こうに異変を見つけたからだった。

「なんか煙、上がってないか?」

 目を凝らして、そう夏希に問いかけた瞬間。

 ドゴォォォォォン……!

 突然、ビルの一角が崩れて、通行人たちの間から悲鳴が上がった。

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