第2話 眠りに落ちる

 7月に遠藤の家に行ってから、私は時間があればスマホとにらめっこをする日々を過ごしていた。


 何度も何度もあの日のことを思いだし、何が悪かったのか考えた。


 友達にも誰にも言えなかった。

 男の子と一緒に寝たら何があるのか、知らなかったその先のことは、少し背伸びした漫画で知った。



 着古したスポブラを遠藤に触られたことも、汗でびっしょりだった身体の匂いを嗅がれたことも、全部恥ずかしかった。


 家に帰ってから、脱いだTシャツは自分とは違う遠藤の匂いがして、洗濯かごには入れられなくて、自分で手洗いした。


 ずっと彼からの連絡を待っていた。でもずっと来なかった。

 私が寝てしまったから、汗くさかったから、嫌われたんだと胸の奥に遠藤への思いを封じ込めた。


 やっと、スマホをみる回数が減り、頭の中が遠藤より部活のことで忙しくなり始めたころ、彼から連絡が来た。


 遠藤柊:

 俺ん家来て


 10月の土曜の朝7時のことだった。瑠衣は吹奏楽部の練習に行くため、起きたところだった。

 演奏会が近く、練習は絶対にサボれない。考える余地もなく、さっと返信を返した。


 三村瑠衣:

 今日は午前中は部活があるので行けません。


 午後なら行けるという願いを込めつつ、呼ばれたからといっていつでもホイホイ行く訳ではないという瑠衣の意地を、密かに込めたメッセージだった。


 瑠衣と同じ中学に入学したみっちゃんの遠藤情報によると、彼は中学でもモテており、ファンクラブのようなものもできているらしい。


 遠藤からの返事はすぐきた。


 遠藤柊:

 17時までなら家にいる


 その返事をみた瑠衣の心はどくんと高鳴った。返事は返さなかった。

 セーラー服をきて、いつもはおろしている髪の毛をポニーテールに結んだ。少し肌寒くなった季節にそぐわない制汗剤をリュックに入れて、瑠衣は家を出た。


 部活が終わった後、瑠衣はいつものように部活の友達と一緒にハンバーガー店でお昼を食べた。トイレにいった時に、制汗剤のスプレーを背中と脇に振りかけ、遠藤にメッセージを送った。

 鏡を見て、ピンクの色つきリップを塗り、いつもは膝丈のスカートを少し短くした。


 三村瑠衣:

 13時半過ぎ位には行けると思います。


 返事の代わりにすぐに既読がついた。


 早く会いたくて、家にも戻らずにそのまま彼の家に向かった。



 着きました。

 前と同じようにメッセージを送ると、入ってきてと返事がきた。

 瑠衣は門をそっと開けて、遠藤の家の庭に足を踏み入れた。

 瑠衣が玄関のドアを開けるのをためらっていると、遠藤がそっと中から開けてくれた。


 遠藤は瑠衣の制服姿に少し驚いたようだった。じっと見つめられる。

「部活終わりに来たから」とつい聞かれてもないのに言い訳してしまった。


 遠藤の学校は確かブレザーだ。出てきた彼はロングTシャツにスウェットのラフな私服だった。

 彼の制服姿をみてみたいと瑠衣は思った。


 前を歩く彼の後ろを着いていく。彼の背中が前よりも逞しくなっている気がして、瑠衣はどきどきした。


 今回は少し話せるだろうか?

 彼は私のことをどう思っているのだろう?


 今回は彼はリビングに行かなかった。階段を上がって、上の階に上っていく。


 ドアに「しゅう」と書かれたプレートが下がっている部屋の前で、遠藤は止まった。


 ドアを開けた遠藤に中に入るように促される。

 遠藤の部屋は広くて片づいているが、物があまりなかった。


 参考書がきれいに並べられた勉強机にベット、本棚があるだけで、衣類は全てウォークインクローゼットに収納されているようだ。


 ずらりと取手が並んだクローゼットは広く作られていることが想像できた。


「座って」

 遠藤に促されたのはベットだった。勉強机に椅子が1脚あるだけの彼の部屋には、他に2人でくつろげる場所はなさそうだった。


 おそるおそる腰かけると、ベットはとても寝心地よさそうに瑠衣の腰を受け入れた。


 遠藤はそのまま、瑠衣をチラ見してから、クローゼットを開けて、中をごそごそ漁っている。


 遠藤は何をしているのだろうか?

 彼の様子が気になりながらも、勉強机の上にある見慣れた背表紙の冊子が瑠衣の目に止まった。

 小学校の卒業アルバムだ。唯一遠藤の写真が見られるので、瑠衣はいつも手に届くところに置いている。他の参考書とは明らかに異なるその一冊が、机の上の目の届くところに置いてあるのを見て、遠藤も同じ気持ちで見ているのかもと思うと瑠衣は胸が熱くなった。


「サイズ合いそうなのこれしかなかった。着なよ」

 いつの間にか遠藤はクローゼットから出てきていた。見慣れたジャージを手渡される。

 それは、小学校の長袖の体操服とハーフパンツだった。


「えっ?これ、なんで?」

 不思議そうに瑠衣が遠藤を見上げると、

「制服のまま寝たら、しわになるだろ?」と遠藤はさも当然かのように言った。

 そして、瑠衣が何か言う前に「着替え終わったら教えて」と言い部屋を出ていった。


 白の長袖体操着には遠藤と名前が入っていた。長袖の袖は少し長かった。見慣れた青色のハーフパンツは瑠衣にはウエストが大きくて、気を抜くとずり落ちそうだった。

 遠藤が自分より大きな男の子だということを実感して、その服を着ていることを瑠衣は恥ずかしく思った。


 着替えが終わって、瑠衣が部屋の外を覗くと、遠藤はドアの横に座っていた。

 少し大きな体操服を着た瑠衣とベットの上の畳まれたセーラー服をみた遠藤は、クローゼットからハンガーを出してセーラー服とスカートをかけた。

「あっありがと」

 そのまま、クローゼットに制服をかける遠藤にお礼を言う瑠衣に遠藤は

「寝るとき靴下履く人?」

 と聞いた。


 どうしたらよいかわからなかった紺色のソックスを、瑠衣は履いたままだった。


「俺は脱ぐ」

 遠藤は履いていたくるぶしソックスを、ベットの脇で脱いで床に置くと、ベットの右側に横になった。


 ベットの左側を開けた遠藤は、立ったまま動かない瑠衣を見て

「来ないの?」と言った。


 その言葉に導かれるように瑠衣はソックスを脱ぎ、遠藤の左側におずおずと横になった。


 ふわっと布団がかけられ、

「とるよ」と言われて、ポニーテールにしていた髪の毛がとかれた。


 服も布団も遠藤の匂いがした。

 少し大きめの枕を2人で一緒に使った。

 背中にぴったりとくっついた彼の身体は温かかった。頭の後ろに彼の息がかかるのがわかった。

 少し冷たくなっていた瑠衣の脚は、からまってきた遠藤の脚で暖められた。


 何も言えなかった。聞きたかったことはたくさんあるのに声が出なかった。


 どきどき鳴っていた胸の音は、次第に聞こえなくなり、瑠衣の意識は心地よい眠りに落ちた。



 ピピピピピ…


 夢から現実に引き戻したのは、遠藤のスマホのタイマーだった。16時50分にセットされていたそれは、部屋の中に騒音として響いて2人を起こした。


 瑠衣よりに先に起き上がって、タイマーを止めた遠藤は、瑠衣を避けてベットから降り、クローゼットから瑠衣の制服を出した。


「5時過ぎには親とか帰ってくるかもだから、着替えて」


 そういい残して、遠藤はまた部屋の外に出ていった。


 ぐちゃぐちゃになった髪の毛を手櫛でなでつけ、急いで着替えて瑠衣がドアを開けると、遠藤が待っていた。


 遠藤はそのまま瑠衣の手を引き、玄関まで連れていった。


「今度は寝やすい格好で来て」

 そう言って、遠藤は瑠衣に手を振り、ドアを閉めた。



 感情が色々沸き上がって、しばらく収拾がつかなかった。

 なんで?なんで?

 その答えはいつまでも出なかった。


 誰にも言えなかった。


 思い出すのは心地よく眠りに落ちたこと、本当にぐっすり寝て気持ちよかったこと。遠藤といると胸がどきどきすること。



 それから数年、瑠衣は遠藤と一緒に眠る日々を送ることになる。

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