結末は夢の中

@tonari0407

第1話 【R-15】彼は触れる

 名前を呼ばれたのは一度だけ。好きとも言われてないし言ってない。彼女でも友達でもない。それでもずっと、彼は夢に出てきて私をときめかせる。



 私がはじめて遠藤えんどうしゅうに触れられたのは、小学校5年生の夏のことだった。


 その日は暑かった。太陽がギラギラと照りつけるアスファルトから逃れるために、私は木陰で水筒の麦茶を飲んでいた。汗がだらだらと垂れてきて、いくら飲んでも喉の渇きは潤わない。その代わり、お腹の中が水でたぷんと膨れた。


 ふと、誰かの視線を感じて振り向くと、そこに彼が立っていた。私は彼のことを知らなかった。知っていたのは、同じクラスのみっちゃんが彼のことをかっこいいと騒いでいたことくらいだ。


 彼は私の方にずんずん歩いてきて私の手を掴んだ。何も言わなかった。ただ、私の手を掴んで、私の顔をじっと見ていた。

瑠衣るいちゃーん」遠くで友達の声が聞こえるまで動けなかった。

 その声を聞いて、彼は私の手を離したし私は声のする方に駆け出した。


 彼の名前が遠藤えんどうしゅうで今年5月に隣のクラスにきた転校生だと知るのは、翌日みっちゃんが楽しそうに彼の話をするのを聞いてからだった。


 みっちゃんが彼の情報を仕入れてきて聞かなくても教えてくれるので、彼のことを知るのは容易かった。

 親の仕事の都合で引っ越してきたらしい。元々は私立の小学校に通っていて、中学受験を予定しており塾に通っている。頭が良くてサッカーが得意。家に遊びにいった子によると大きな一軒家に住んでいるみたい。

 口数は少ないがはっきり二重で整った顔立ちの彼はとてもモテていた。


 そんな彼に地味な私が手を掴まれたなんて、絶対嘘だと思われると思ったから、私、三村みむら瑠衣るいはそのことを誰にも言わなかった。


 次に彼に触れられるまで、そんなことは忘れていた。

 2回目に触れられたのは、小学校6年生の4月だった。彼とはまた別のクラスだった。けど、私はそんなことより、仲良しの友達と同じクラスになれなかったことを気にしていた。

 委員会で少し帰るのが遅くなり、私は1人で帰るために、下駄箱で靴を履いていた。

 靴ひもを結んでいると、目の前に誰かが立ったのがわかった。友達かなと期待して、頭をあげた。

 しかし、視界に入ってきたのは、前に近くで見たときよりも少し大人びた遠藤柊の顔だった。遠藤の顔は私をじっと見つめていた。

「な、なに?」

 驚く私を無視して、遠藤は私の手をとって一緒に歩き出そうとした。


「しゅーう!」

 遠くから遠藤の名前を呼ぶ声がして、遠藤の足は止まった。そして、私の手は離された。

 そのまま、遠藤は去っていった。




 遠藤は目立つので、すぐ見つかる。気になって、ついいつも目で追ってしまう。でも、そんな私の目と遠藤の目が合うことはなかった。

 遠藤と同じクラスになったみっちゃんが、遠藤が有名な私立中学を受験することを教えてくれた。


 前から聞いて知っていたけれど、遠藤の姿を見れなくなるのが、私は寂しく感じた。


 バレンタインは渡さなかった。大量に貰う彼にとって、ずっと見ていても目も合わない自分のチョコは何の意味もなさないと思った。




 3度目に彼が私に触れたのは、小学校の卒業式のことだった。

 多くの友達は近くの公立中学に進学する。彼は希望校に合格したらしい。卒業式で少し遠くで歌う彼の背中に、彼を見るのはこれが最後だと思うと、涙で視界が滲んだ。


 なんで話したこともない彼のことが、これ程気になるのか、私にはわからなかった。でも、気がつくと目で追っていた。


 式が終わると、仲の良い友達と寄せ書きを書き合った。彼は人気で囲まれていた。とても近づけなかった。


 家に帰ったあと、普段着に着替えて、小学校へもう一度行った。彼に初めて触れられたあの木陰は今はピンク色の花の天井で覆われていた。

 風で花びらがひらひら落ちてきたので、手でそっと捕まえた。

 その瞬間、私の背中が温かく包まれた。


「えっ?だれ?」

 背筋がぞわっとした。誰かに後ろから抱き締められていた。


 不審者?ちかん?


 私の頭の中に嫌なイメージがぶわっとわいた。


「驚かして、ごめん」

 声を聞いた瞬間、嫌なイメージは消し飛んだ。


 いつも遠くから聞いていた声が耳元で聞こえた。

「あの、俺…隣のクラスの遠藤柊」

 言われなくてもわかっていた。


 私の心臓がどきどきとその鼓動を大きくした。背中がとても熱かった。


「三村瑠衣…えっと、これ」

 遠藤は桜の花びらを包んでいた私の手をそっと広げ、その上に紙をのせた。


「待ってる」

 そういい残して、遠藤は去っていった。


 私がそっと紙を広げると、そこにはこう書いてあった。


 三村瑠衣 様

 よかったら連絡ください。

 ID:○○○○○○○

 遠藤 柊


 四つ折にされた紙は、ずっとポケットに入っていたのか、しわくちゃだった。



 スマホを持っていなかった瑠衣が遠藤に連絡できたのは、小学校卒業から4ヶ月後だった。




 渋るお母さんをやっと説得して、私はスマホを手に入れた。

 そこから、遠藤にメッセージを送るのに1週間かかった。文面を何度も何度も読み返した。

 何も予定のない夏休みの1日の昼過ぎ、やっと送信ボタンが押せた。



 三村瑠衣:

 遠藤くん、お久しぶりです。

 連絡が遅くなってごめんなさい。小学校が一緒だった三村瑠衣です。



 メッセージに既読がついたのは送信から1時間後、そして返事がきたのはその10分後だった。



 遠藤柊:

 俺ん家来て。


 遠藤が返してきたのはそれだけだった。短いメッセージのあとに、家の住所と家の特徴が細かに記されていた。

 その描写の丁寧さに遠藤の気持ちが込められている気がして、気がつくと私はスマホと財布を持って家を出ていた。


 遠藤の家を探すのは簡単だった。遠藤の説明が丁寧だった上に、広い敷地にそびえ立った彼の家は目立っていたからだ。

 あまりの家の大きさに瑠衣はインターホンを押すのをためらった。

 その代わり、遠藤に着いたよとメッセージを送った。


 すると彼はすぐに家から出てきて、門まで迎えに来てくれた。

「遠藤く…」

 言いたいことを言い終わる前に、遠藤の手が瑠衣の手を掴んで引っ張った。

 質問を許さない彼の手は、素早く門を閉め、瑠衣を家の中まで引っ張りこんだ。


 カチャリ…


 静かに玄関の鍵が閉められる。

 瑠衣は冷たい汗が背中に流れていくのを感じた。


「遠藤くん…?」

 汗をかいた瑠衣の顔をいちべつした遠藤は、サンダルを脱ぎ、家に上がった。そして、瑠衣の手を早く上がれというようにつつっと引っ張った。

 瑠衣は捕まれた左手はそのままに、右手で左右のサンダルを脱いで、遠藤の家に上がった。


 遠藤の家は広かった。そして、生活感を感じないほどに片付いていた。家には誰もいないようで、しんと静まり帰っていた。

 導かれるままに着いていくと、リビングらしき部屋についた。

 紺色のソファーは大きなL字型で、同じ色のクッションが数個置いてあった。ソファーの前には、瑠衣が両手を伸ばしたよりも大きそうなテレビがあった。

 大きなカウンターキッチンには、家族で食事を共にするであろうテーブルと、椅子が4脚並んでいた。


 光がほどよく入る大きな窓からは、カーテン越しにきれいに整えられた庭が見え、隙間から日の光がきらきらと輝いていた。空気は涼しく、エアコンが気持ちよく効いていた。


 遠藤は瑠衣をリビングまで連れていくとまたドアを閉めた。

 有無を言わせぬ手の力でそのまま瑠衣をソファーの真ん中に座らせた。そして、遠藤は瑠衣を自身の両足の間に挟むような形で、瑠衣の後ろに座った。


 すとんっと瑠衣の後ろに遠藤が座った瞬間、彼の匂いが瑠衣を包んだ。遠藤は瑠衣のことを後ろからそっと抱き締めていた。


 瑠衣の胸はこれ以上ないくらい高鳴った。

 卒業式の日と同じ、背中に遠藤の温もりを感じた。

 何か言おうと思った。でも何も言えなかった。

 エアコンの効いた部屋の空気に瑠衣の汗は引きかけていたが、遠藤に触れられている部分だけがじっとりと汗ばんだ。


 最初はそっと包むように抱き締められていたのに、段々遠藤の息づかいが聞こえるほどに近づいてきているのがわかった。

 首筋に遠藤の息がかかって、そこだけむず痒く、熱く感じた。


 瑠衣の上半身はじっとりと汗ばんでいた。

 背中全体も、後頭部も、両腕も遠藤と密着していた。


 熱くて、恥ずかしくて、仕方がなかった。


 彼の汗と自分の汗が混ざって香り、いけないことをしているようで、逃げ出したかった。


 でも、それが気持ちよくて、瑠衣は動かなかった。


 汗に濡れた瑠衣の髪の毛を掻き分けて、遠藤の口が瑠衣の首に触れた。


 汗をちろりと舌で舐められた気がして、瑠衣の身体はぴくんと動いた。


 遠藤の手は瑠衣のお腹の上に置かれていた。その手が、違う動きをするのを瑠衣は見逃さなかった。遠藤の手はTシャツの裾から入って、そのまま一直線に瑠衣の胸までやってきた。

 スポーツブラに触れると戸惑うように一旦動きが止まったが、汗で濡れたそれを遠藤の手はいとも簡単に上にずらした。


「えっ、遠藤くん?」

 瑠衣の声に、遠藤の抱き締める手が固くなった。遠藤の口が瑠衣の首に口付けた。


 瑠衣が戸惑いで前を見ると、大きなテレビに瑠衣と遠藤の姿が写っていた。瑠衣の首もとに顔を埋める遠藤の表情はみえない。しかし、彼は瑠衣を後ろから抱き締め、その手は瑠衣の胸に伸びて、動いていた。


 彼の手が瑠衣の胸に触れたとき、瑠衣は心臓が高鳴るのを感じた。まだ発展途上の瑠衣の胸は彼の手には小さかった。でもその微かなふくらみを確かめるように、遠藤は瑠衣の胸を優しく揉んだ。胸を包む遠藤の指の間で瑠衣の乳首は徐々に主張を強めた。


 瑠衣はその手の動きを恥ずかしいと思った。しかし、彼の手が動くたびに、じんっじんっと微かに感じたことのない気持ちが出てくるのを感じた。


 遠藤に何か言いかった。でも何か言ったら、この時間が終わってしまう気がして瑠衣は何も言えなかった。


「横になって」

 不意に遠藤の声が聞こえた。力が抜けていた瑠衣は言われるがままに横になった。


 ソファーのクッションが瑠衣の頭の下に置かれ、遠藤も瑠衣と一緒に横になるのが見えた。

 横になったまま、また後ろから抱き締められた。当たり前のように手を入れられて胸を触られる。遠藤の脚が瑠衣の脚に絡まった。


 テレビにうつった2人の姿はいけない光景のようで瑠衣は目をつぶった。


 遠藤の息が瑠衣の首や頬にかかる。優しい胸を包まれた手は温かかった。


 瑠衣はいつの前にか眠りに落ちていた。



 瑠衣の夢の中の遠藤は優しかった。瑠衣にキスをして、「ずっと好きだった」と囁いた。瑠衣はそれが嬉しくて仕方がなかった。



 つんつんっ


 頭をつつかれる感触で瑠衣は目を覚ました。

 つつかれた先を見ると、遠藤がソファーに寝ている瑠衣を見下ろして立っていた。


「もう、5時。帰ったら?」


 瑠衣が慌てて起き上がり、スマホを見ると17時2分になっていた。遠藤の家に来てから3時間ほどたっている。

 黒のTシャツとその下のスポーツブラは何事もなかったように戻されていた。


「えっ遠藤くん!あの、さっきの…なんで?」

 瑠衣が遠藤に質問しようとすると、遮るように遠藤は瑠衣の口に手を当てた。


「帰ったら?」

 遠藤の目は早く帰れと言っていた。その目が怖くて瑠衣はそそくさと遠藤の家をあとにした。


 何て送ったらいいのかわからなくて、その後瑠衣は遠藤にメッセージを送れなかった。


「俺ん家来て」


 同じ文章が次に送られてきたのは、10月のことだった。






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