第18話 俺を好きなのは妹だけかよ

 力強く、それでいて繊細な筆運びで書かれた『世界平和』。


 書き終わった達筆な文字を、四姫シキはどこか決意を秘めたような目で見つめていた。

 そして正座の姿勢のまま俺の方を向くと、小さく頭を下げた。


兄様あにさま……。ど、どうか……コチラを、お受け取りくださいっ……!」


 習字による精神統一を終えたはずなのに、また頬を染めてモジモジしている。

 それでも書道のおかげで行動に移すことができたのか、帯の中から一枚の紙を取り出し、俺へと差し渡してきた。

 細長く折り畳まれた、時代劇で見るような書状。そこには縦書きで、『果たし状』と猛々しく刻まれていた。


「こ、今夜……! お一人で、またこの部屋に来てください! お待ちしております!! 兄様も、腹を括ってくださいませ!」


「えっ、決闘するの俺達?」


 八千枝ヤチエ以外にも、俺のこと刺してくる妹がいたってこと!?




***




 シキからの果たし状を――拒否しようと思ったが――とりあえず受け取り、それをポケットに入れたまま、昼食を済ませた。

 午後は自分の部屋で勉強し、雛森先生からの課題をこなしていく。休日だというのに、全く休めない量の宿題を出すんだもんな、あの美人教師。

 だがその間も、果たし状の内容が気になってしまっていた。何度6秒を数えたことか。


 そして陽が暮れて、夜も更けて。

 夕飯のカレーライスを食べ終え、風呂に入って歯も磨き、あとは寝るだけとなったが――果たし状に従い、寝間着パジャマ姿で和室へと向かった。


「……シキー? 入るぞ?」


 襖を開け、裸足で入室すると――。


「……お、お待ちしておりました、兄様……!」


 畳の部屋には一枚の布団が敷かれており、その上でちょこんと、白い着物姿のシキが正座していた。

 襦袢じゅばんとか言うのだろうか? 薄手の純白な和装で、時代劇で見るような寝衣だ。


 和室には灯篭や盆提灯のような、置き型の照明ライトが設置されている。

 そこから淡いピンク色や薄紫っぽい光が放たれており……なんか、いやらしい雰囲気だった。和がモチーフのラブホかな? ラブホ入ったことないけど。


「わ、わたくしは、覚悟を決めました……!」


 布団の上で正座し、俯きながら恥ずかしそうにしているシキ。

 二つの枕はピンク色で、両方ともハートマークや『YES』という文字がデカデカとデザインされていた。そこは英語なんかい。


「兄様の妻になるものとして、こ、婚前交渉とはなってしますが、しょっ、しょ、初夜を……っ!」


 桃色のエロティックな灯りに照らされていても、小さな顔が真っ赤だと分かる。

 俺の方をマトモに見ることができないようで、頭を下げつつ布団や畳を凝視して決意表明している。

 だが、どれほど恥ずかしくて緊張しようとも、『女』になる決意は揺らがないらしい。


 ただ――。




「うーん……。違うんだよね」


「はへっ!?」


 完全にしているシキを前に、万端すぎるほど準備された据え膳を前にして。


 俺は6秒を数える必要もないほどに、落ち着いていた。


「なんかさ、ここまで来ると……。逆にエロくない」


「逆にエロくない!?」


 そんな馬鹿な、といった彼女の驚いた感情が、分かりやすいほど伝わってくる。


 だがコッチは中学時代にハーレムラブコメ小説を執筆し、Webサイトに投稿して黒歴史を作った男だぞ。

 俺の妄想力と比較したら、この程度の演出セット幼稚チープと言わざるをえない。


「いや、女の子が好意を向けてくれるのは嬉しいよ? でもさ、色々な段階をすっ飛ばして、グイグイ来られると……。男としては引いちゃうっていうか。成人向け作品なら、それもそれで良いんだけど……。やっぱさぁ、雰囲気ムードをムンムンにすれば良いってもんでもないんだよね」


 オタク陰キャ特有の早口で、持論を展開していく。

 恋人がいた経験もないのにペラペラ喋る今の俺を、金次郎キング寿珠ジュジュが見たら、冷静に「いやキッモ……」とドン引きするだろう。


 だが今夜の和室は、ツッコミ不在。


 布団の上で正座するシキへ、まるで犯人を言い当てた名探偵かのように、俺はビシリと人差し指を向けた。


「――この部屋には、エロのびが足りていない!」


「エロの侘び寂びが足りていない!!?」


 シキは大変なショックを受けた様子で、「こ、このわたくしが、侘び寂びを理解していなかったなんて……!」と猛烈に反省しているようだった。


「というわけで、俺は部屋に戻るね。おやすみシキ」


「お待ちぉぉおおおッ!」


「ぉおうっ!?」


 背を向けて二階に戻ろうとしたが、シキが正座したまま布団から前方へジャンプし、俺の右足に抱きしがみついてきた。なんだその技術。


「い、色々と気持ちがはやって、大失敗してしまいましたが……! せ、せめて、もう一度だけ挑戦させて頂きたく……! というか、ご慈悲を! というかもう、同衾のみでも良いので!! あっ、お金! 一晩15000円イチゴでどうでしょうか兄様!!」


「うわぁあ兄のパジャマの中に現金をねじ込むんじゃない!!」


 どうしてそんなに必死なのかは分からないが、このまま無碍むげにするのも、乙女に恥をかかせるだけかもしれない。

 兄妹とはいえ、抱かれる覚悟で果たし状を書いて、部屋の照明なども用意したわけだし。


 とりあえずスケベ提灯の電源は切って、押し入れから布団をもう一組出し、適切な距離を取って寝る――ということで合意した。久々に和室で寝るのもだろう。


 そして布団を二枚並べて、俺はシキと隣同士、今夜はベッドではなく布団で就寝となった。


「あ、ありがとうございます、兄様……。危うく、わたくしが破廉恥な女子おなごだと勘違いされたまま、一人寂しく寝るところでした……」


「いやもう既に、だいぶムッツリスケベな子だなとは思っているけどね?」


「はぅうっ……!」


 言った直後に「ストレートな表現すぎるな?」と自分でも思ったが――実際、最初に出逢った時から今日まで「兄様の未来の妻」だの「食事か風呂か、わたくしか」みたいなことを頻繁に口にしていたし。

 清楚な大和撫子に見えて、中身は肉食系だなと感じてはいた。


「し、仕方ないではありませんか……!」


 部屋の電気を全て消し、淡い月明りだけが照らす和室の中。

 薄暗い部屋の中で、横並びになって天井を眺めつつ、シキの弁明に耳を傾ける。


「わたしくは一姫イツキ様や三奈ミナ様や九龍クーロン様ほど、肥えた身体ムチムチボディではありませんし……。……こんなことなら、もっと貪欲に食べていれば良かったです……! そうすれば、彼女達と同じ体型になれたはずなのに……!」


「肥えたって言い方はやめなさい」


五子コーコ様やセブンス様のような積極性も、イレヴタニア様のような大胆さもありませんし……」


「サウナ上がりに全裸でウロウロするような妹が、三人も四人もいたら困るけどね?」


六花リッカ様のように、漫画やアニメといった共通の話題で兄様と盛り上がることもできませんし。……八千枝ヤチエ様は……えっと……」


「ヤチエは……?」


「……ですので、わたくしなりに知恵を絞った結果がコレでして……!」


 ヤチエへのコメントに困って、強引に話を進めたな今。


「……そもそもさ、どうしてそんなに俺を慕うんだよ」


「え……?」


「誰が本当の陽菜か分からないし、10人の中に陽菜がいるかどうかすら曖昧だ。なのに……どうして『陽菜達』は皆、そんなに俺のこと慕ってくれるんだよ。……ジュジュという例外もいるけどさ」


「――その答えは、実に簡単でございますよ兄様」


 穏やかで、それでいてハッキリした声で、シキは語り始める。


「雷に怯えるわたくしの頭を撫でてくれた雨の日も、習字教室が終わるまで待っていてくれた夕方も、わたくしが初めて柏木家に来た日の朝も、血が繋がっていないからと上級生にイジメらからかわれているのを庇ってくれた平日の学校も、一緒に『銀河カウボーイ・ステップ』の映画を観に行った休日も……」


 シキがスラスラと語る過去の思い出は、全てだった。

 間違いなく、正確に。他人には、知りようのない情報だ。


「シキ……」


 身体を横にし、天井からシキへと目線を移す。

 シキもいつの間にか俺の方を向いていて、和風なお姫様みたいな整った顔で、微笑んでいた。

 布団の中から伸ばした小さな手で、俺の手を握り。指同士を絡めていき、ぎゅっと力を込めてくる。


「兄様は陽菜わたくしにとって、いつだって世界一のお兄ちゃんでございますから」


 キングと違って俺は、本命チョコなんて過去に一つも貰ったことがない。

 母さんと陽菜と、クラスの女子がクラスメイト全員に配った義理チョコを含め、最高記録は三つだけ。


 そんな俺の目の前に、ある日突然現れた10人もの少女は――全員が俺を兄と呼び、そして俺を慕ってくれる。


「お慕いしております、兄様。兄様のためなら、生きられるほどに」


 握った手から伝わる体温は、いつかの幼い日に、陽菜の手を握って家に帰ったあの頃を、思い出させた。

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