21話 ユージンは、神獣に挑む


 俺は、こちらを見下ろす冥府の番犬ケルベロスに向けて剣を構えた。


 弐天円鳴流における守りの構え。

 救助が来るまで、なんとか時間を稼ぐ。



「魔法剣・炎刃フレイムブレイド



 刀身が赤く輝く。

 ……ジジジ、という音が耳に届いた。


 高密度の魔力マナが弾けている。

 トロールやゴブリンキングに相対するなら十分な火力。

 

 しかし、伝説の神獣相手にどこまで通用するだろうか?


 そんな疑問を挟むまもなく、ケルベロスはその巨体からは考えられないほどの速度でこちらに迫った。


「ガアアアアアア!!!」


 冥府の番犬ケルベロスの鋭い爪が、黒い風となって伸びる。



 ――弐天円鳴流『林の型』柳流し



(痛っ!!!)


 完全に受け流したはずの攻撃は、避けきれなかった。

 しかも、俺の身体を守る結界を易易と突き破ってくる。 


「……大回復ハイヒール

 ざっくりと鋭い爪で切られた腕を、瞬時に癒やす。



「っ!!」

 大きな冥府の番犬の足が、横から迫っていた。

 躱しきれない!



「結界魔法・光の大盾!!」

 とっさに結界魔法を使って防御する。


 ドォン! と気が付いた時は、結界魔法ごとふっとばされていた。

 地面の上を数回バウンドし、それでもなんとか受け身をとった。

 


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 信じられないくらい息が上がっている。 

 

 ……ズシン、……ズシン、と重い足音が近づいてくる。


 冥府の番犬ケルベロスは、まるで期待外れだという顔でこちらを見下ろしている。


(無理だ……)


 時間稼ぎなど不可能だった。

 さっきのケルベロスの攻撃は、おそらく様子見。


 その証拠に、三つ首の頭を持つ怪物は一度も俺に向かってその牙を向けていない。

 本気をだされていれば、その瞬間に終わっていた。


「ふぅ~」

 息を整える。 


 防御ではだめだ。

 こちらから攻めなければ。


 守りの構えを解き、自然体に直す。

 重心を下げ、ゆっくりと次の攻撃に備える。

 



 ――弐天円鳴流『風の型』空歩




 冥府の番犬との距離を一気に詰める。

 トロール相手なら、一瞬だけ視界から外れることができた。


 が、相手は神の獣。

 当然のように、こちらの動きなど読んでいる。


(構うか!!!)




 ――弐天円鳴流『火の型』獅子の舞




 10階層の階層主ボスを倒した技。

 回転の力をそのまま剣撃に加える。


 赤い刃に宿るのは、炎の神人族イフリートの魔力。

 それを冥府の番犬の首元に叩きつけた。


 ガキン!と堅い金属にぶつかったような音がした。

 ケルベロスの牙に弾かれた。


「うおおおおおっ!」

 構わず剣を振るい続ける。


 ガン! ガン! ザシュ! 


 幾つかの斬撃はケルベロスの皮膚を切り裂く。

 僅かにそこから血が吹き出る。


 しかし、致命的な傷は負わせられていない。


「ガアアアアアア!!!」


 怒ったケルベロスが、大きな口を開け俺を飲み込まんと迫る。


「ぐっ!」

 相手の攻撃をギリギリで避け、斬撃を叩き込む。

 

 逃げるのではなく、攻めるための回避。


 どれだけ素早くともトロールやゴブリンキングの数倍の巨体を持つ冥府の番犬。

 その足元から死角をつけば、こちらに分がある。


 しかし、わずかでも判断を誤れば一瞬でこちらは潰される。

 ギリギリの攻防。


 つかの間の、互角の戦い。


 しかし――


 ジ……ジジ……


 俺の持つ『魔法剣・炎刃』の魔力マナが、少しずつ減少している。


 これはスミレから貰った『赤魔力マナ』。

 俺自身の魔力マナではない。


 だから、いずれ底を尽く。

 スミレの『赤魔力マナ』が無くなれば、俺は攻撃ができない『欠陥剣士』。

 

 ザン! 


 ケルベロスの鋭い爪が、俺の結界魔法を抉る。

 さっきの攻撃で三重の結界を、ぶち破られた。


「っ痛!!」

 肩の肉を抉られた。


回復ヒール

 大回復をする暇がない。


 止血だけして、とにかく動く。

 止まったら死ぬ。


「結界魔法・鎧」

 結界も張り直さないといけない。

 生身なら、あっという間にひき肉だ。

 

 しかし、俺自身の魔力マナもどんどん消費している。

 

 俺はスミレのように無尽蔵の魔力マナを持っていない。

 結界魔法が無くなれば、俺はボロ雑巾のように引き裂かれるだろう。


(……駄目だ、もたない。あと数分で、俺は負ける……)


 しかし、20階層にはスミレが居る。

 逃げることも出来ない。


(一体、どうすれば……?)

 焦る気持ちを抑え、何か打ち手が無いか考えていた時。




 ――ユージン、私と……しなさい




 頭の中に、美しい声が響いた。


 いつかの魔王エリーニュスとの会話が、脳裏をよぎった。




 ◇




「ねぇ、ユージン。実は私とユージンって『』状態なのって知ってた?」

「は?」

 それはある日、いつものようにエリーと一夜を過ごした時。


 その日もエリーが激しかったので、うつらうつらしていたが、眠気が吹き飛んだ。

 仮契約?

 

「どういうことだっ!?」

「そんな顔しないの」

 エリーは妖艶に微笑み、俺の髪を優しく撫でた。


「ユージンは定期的に私に『抱かれて』るでしょ? これは五大契約のひとつ『躰の契約』にあたるの。だから私たちの身体は、お互いの魔力マナで繋がっているってわけ。魔法使いたちが使う魔力連結マナリンクみたいなものね」

「そう……なのか……? 全ての契約には双方の『合意』が必要じゃなかったか……?」


「交わっている時点で合意に決まってるでしょ?」

「そ、そりゃそうか」

 当たり前の話だった。


「ま、知らないうちに結ばれてるなんて『躰の契約』くらいよ。他はきちんと『契約の儀』が必要だから。というわけでユージン、もし私と契約したいならいつでもできるわよ。ふふっ、おめでとう」

「なんか知らないうちに高額商品を買わされてたような気持ちなんだが……」

 詐欺にあった気分だ。

 知らない間に、魔王との仮契約か……。


「いいじゃない、魔王エリーニュスと契約できる人間なんてそう居ないわよ。私とユージンの身体の相性はとってもいいの。多分、人族で私と契約ができるのはユージンだけね」

「……そうなのか? 結界師なら誰も出来るんじゃ」


「な、わけないでしょ。そもそも私とこうやって普通に会話すらできないわよ。誇りなさい、ユージン。貴方は大したものよ」

「…………」

 魔王エリーの言葉は、どこまでも優しく甘い。


 幼馴染との別れで傷心だった俺には、それが天使の囁きのように聞こえた。


 ……実際、エリーは堕ちた天使なわけで。

 兎に角、こちらの心に付け込むように口説いてくる。


「ところで私のアビリティについては知ってる?」

「当たり前だろ」


 目の前に居るのは千年前の暗黒時代、南の大陸を支配した伝説の魔王。

 その伝説の力については、幼子でも知っている。

 

「天界を追放された堕天使エリーニュスは、慈愛の『白』、光の『黄』の力を失った、変わりに暴力の『黒』、毒の『藍』、死の『紫』の力を得た……だよな?」

 俺は昔、士官学校で習った言葉を口にした。

 

「そうね、一般的にはそう言われてるわ」

「違うのか?」

あるの。私と契約をすればその力も手に入るわ」

 エリーが俺の頬を撫で、優しく耳元で囁く。

 

「ユージンが困った時、迷わず私を呼びなさい。わざわざ大牢獄まで来なくても、最終迷宮の探索中でもいいわ。私の魔力マナは、ユージンの身体の中で出番を待っている。ただ、一言だけこう言えばいいの……」




 ◇




 冥府の番犬の攻撃を避ける。


 あと数回は避けられる。


 そして、その後はもう無理だ。


 迷いに迷った末、俺は決めた。


 許されることではないのかもしれない。


 魔王との契約。


 しかし、力を得ることを望むのも、また本心だった。


 目の前に迫るのは、冥府の番人と恐れられる伝説の神獣ケルベロス。

  

 何も試さず、ただ敗れる……のを待つのはしたくなかった。


「…………」

 覚悟を決める。


 俺はその言葉を口にした。




 ――ユージン・サンタフィールドは魔王エリーニュスと『契約』する




 次の瞬間、俺の身体をおぞましい瘴気が包み込んだ。

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