第8話 足りないものを、埋めていく 3


 エルに魔法の使い方を教えてもらってからというもの、わたしは毎日、自室で一人練習に励んでいる。


 その結果、段々とコツを掴んできたことで、小さな怪我ならば完全に治せるようになっていた。お蔭でサマンサのせいで出来た傷も、全て綺麗になっている。


 治癒魔法を使える人間はとても少なく、かなり貴重なんだとか。きちんと学べば、仕事に困ることはなさそうだ。


 けれどエルは何故、魔法を使える年齢でもないのに、使い方やコツを知っているのだろう。それだけではない。彼は神殿や魔法使いについての知識もあるようだった。


 その上、属性まで見えるような特別な眼を持っているなんて、彼には不思議が多すぎる。ちなみに火魔法は眠っている状態らしく、まだ起こす必要はないとエルは言っていた。よくわからないけれど、そうしようと思う。


 

 ……そしてあの日エルが言った『そんなもの、俺にはいないし、いらない』という言葉が、頭から離れない。


 彼が過去に、家族に関してひどく辛い想いをしたことが想像出来る。今後は家族という言葉には気をつけつつ、謝ろうと思ったけれど。あの後改めて顔を合わせた彼は、こちらが拍子抜けしてしまう程、いつも通りだった。



 そんなある日の、午後。


 庭の隅にある、ピヨちゃんのお墓の周りに咲く花に水やりをしていると、エルがこちらへと歩いてくるのが見えた。


「エル? どうかした?」

「お前の好きなケーキが焼けたって、厨房のおっさんが」

「わあ、ありがとう。エルも一緒に食べよう」


 わざわざ彼が、こんなところまで呼びに来てくれるなんて珍しく、なんだか嬉しくなる。とは言え、わたしを待たずに歩き出した彼を、慌てて追いかけようとした時だった。


 強い風が吹き、壁に立てかけてあった廃材がぐらりと傾いたのが見えて。そのすぐ先には、エルの小さな身体がある。


「っ危な──」


 考えるよりも先に身体が動き、慌ててエルの背中を突き飛ばした直後、わたしの背中からはみしり、という聞き慣れない音がした。


 それと同時に感じたこともない痛みが全身を駆け抜けていき、廃材と共に地面に倒れ込む。


 あまりの痛みに意識が遠のく瞬間、最後に見えたのは呆然とした表情でわたしを見つめる、エルの姿だった。

 



 ◇◇◇




「…………いっ、」


 ふと意識が戻った瞬間、刺すような痛みを感じ慌てて目を開ければ、視界に飛び込んできたのは見慣れた天井で、自室のベッドの上にいるのだとすぐに理解した。


 そしてそのすぐ横の小さな椅子には、表情の読めないエルが静かに座っている。顔が整いすぎているせいか、本当に人形のように見えて、一瞬どきりとしてしまった。


「エル……?」

「ああ」


 ゆっくりと身体を起こせば、ずきずきと背中が痛んだ。


「ええと、今、何時?」

「夕方5時だ。お前、三日以上気絶してた」

「えっ」


 数時間くらいかと思いきや、まさかそんなにも時間が経っていたなんて。そんな大怪我だったのかと思ったけれど、エルに話を聞いたところ、命に別状はないらしい。


 流石の伯爵夫妻も医者を呼んでくれたようで、しっかりと手当てもされているようだった。


「なんで、助けた」

「…………?」

「そんな怪我をしてまで、今の俺に助ける価値なんてないだろ。今の俺は、何も持ってない。お前に何の得もない」


 どうやらエルは本気で、そんなことを思っているらしい。


 助ける価値、今の俺、というエルの言葉の意味は、わたしにはよくわからない。けれどエルが自分のことをそう思っていること、そんな風にしか考えられないことが、悲しかった。


「あんな一瞬の間に、そんなこと考える時間なんてないよ」

「…………」

「でもわたしはエルが痛い思いをするのも、危ない目に遭うのも嫌だから。何度でも、同じことをすると思う」

「……なんで、」


「わたしね、エルが可愛いの」


 そう答えれば、エルは「は?」と間の抜けた声を漏らした。


 ──ルビーだって、わたしにとても良くしてくれているけれど、身分の差や立場がある以上、常に一線を引かれている感覚はある。仕方のないことだとも思う。


 けれどエルは態度も口も悪いものの、わたしに対して何の遠慮もなく接し、側にいてくれている。むしろ、遠慮がなさ過ぎると思う。それでも、母が亡くなってからずっと一人だったわたしにとって、その存在はとても心地良くて。


 いつの間にか、エルのお菓子を嬉しそうに食べる姿も、時折見せる無防備な寝顔も。何もかもが愛おしく思えていた。もしも弟がいたら、こんな感じなのかもしれない。


「わたしは、エルが側にいてくれるだけで嬉しい」

「…………」

「それだけで、怪我くらいする理由になるよ」


 そう言い切れば、エルは戸惑うような表情を浮かべ「お前、やっぱり変だ」と呟いた。


「あ、それにわたし、だいぶ治癒魔法うまくなったんだよ」


 痛む体でなんとか背中に手をかざせば、包み込むような温かさと共に、痛みが和らいでいく。治癒魔法、便利すぎる。


「……よし、これで大丈夫。エル、付き添ってくれてたんだよね? 本当にありがとう」


 目が覚めて一人じゃなかったことも、嬉しかった。


 けれどそんなわたしに、エルは「勘違いするな」なんて言うと、そのまま部屋を出て行ってしまう。


 大きな音をたてて閉まったドアを見つめながら、いつかエルにも大切な人が出来て、この気持ちを理解できる日が来ますようにと、願わずにはいられない。



 けれど翌日から、エルに少しだけ変化が現れた。


 いつも独り占めしていたクッキーを1枚だけ、わたしにくれるようになった。

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