7章

7-1

「ハハ。ハッハハハ!」

 突如屋上中に響き渡る笑い声に、珪は銃の引き金に掛けていた指を離す。

「……兄さん。それは何のつもりですか。」

 眉を顰めて笑い声の主である保科を――、正確にはその手に握られた真黒い拳銃の、更に真っ黒な銃口の穴を見詰める。

「何か起きるんじゃないかと思って念のため持ってきたんだが……、まさかこんなことに使う羽目になるとはなるとは思わなかった。」

 その銃はもしもの時の用心として執政部から支給されたもので、シリカからデートに誘われた時、明らかに何か企んでいる様子だったので、服の下に忍ばせて持ってきていたのだ。しかしまさかそれを妹に向けることになるとは思わず、まだ拳銃を握る手が僅かに震えている。

 自分のものと比べ明らかに人殺しに向いていそうな黒塗りの銃身に眼を遣り、珪は溜息を吐く。

「バッカじゃないですか? 最初からこんな状況になると決まったわけでもないでしょうに。見つかったら普通に現行犯逮捕ですよね。」

「ああ。正直今日は警備が多くてかなり冷や冷やしてた。でもそんなこと言ったらこのためにわざわざ特製の銃弾を用意してくる君も大概馬鹿だと思うがな。」

「私は天才ですけど、まぁ今回に関しては不確定要素もかなり多かったですし、一理ありますね。結局兄妹似たもの同士って訳ですか。」

「血は繋がってないはずなんだがなぁ。」

「そこはあれです。nurture over nature育ちは生まれより強しって奴ですよ。」

 一応今は形勢が逆転しているにもかかわらず楽し気な珪に、頬を引き攣らせることしかできない。

「兄さん、銃は苦手じゃなかったです? 昔ゲームで勝負した時には一発も当てられなかった気がするんですが。」

「今日は文明の利器がある。有意性はさっきの屋台で実証済みだ。試してみるか。」

 保科は空いている手の方でARレンズを嵌めた眼を指示し、口の端を歪める。

「あー。大丈夫です。私も兄さんで実証済みなので。しかし、本当に兄さんに私が撃てるんですか。自らの手で、可愛い妹が殺せると?」

「必要とあらば当然撃つ。――でも、珪ちゃんにとってはどっちでも良いんだろう?」

 そこで初めて珪は目を細めて保科の顔を見下す。

「……へぇ。それは何かホントに見透かされてるっぽくて不愉快ですね。で、どうするんですか? ここから探偵ごっこでも始めますか?」

「いや。死人は死人らしく君への言葉は慎むさ。でも、折角この場を用意してくれたんだ。質問の返事くらいはするのが礼儀だろう。」

 シリカはその言葉にハッと眼を見開いて、こちらを振り返る。

 身動ぎをするように、やっとのことで身体の向きを変えてシリカと顔を向き合わせる。

 呼吸が苦しい。どれだけ息を吸っても肺が満たされた気がしない。

 視界が霞んで、ほとんど彼女の顔も見えない。

 正直銃を持つ腕も限界だった。

 それでもスッと息を整えて、可能な限り落ち着いた声音で返す。

「シリカ。残念だけど、君の誘いは断らせてもらうよ。」

 一瞬瞑目して、シリカは努めて冷静な声で返す。

「理由を、教えて頂いても宜しいですか。」

「妹はあんなことを言っているが、私は君の行動を否定するつもりはない。だってシリカ、君は人間じゃない。人間には見えない視点から世界を見て、人間の常識で当て嵌まらない理想を語ることこそ、私が望んだことだ。そしてそれは妹だって同じだよ。」

「――なら!」

 彼女がこうして言葉を荒げる姿を初めて見た。

 大きな声を出すことに不慣れなせいか、不安定なその響きに緩みそうになる頬を締め直して、頭を振る。

「でも、ダメなんだ。」

「どうして……!」

 静かに、しかし有無を言わさぬ重さを持った語調で告げる。

「君は、少なからず私に自分を救った英雄としての像を重ねているのだろう。だが、今ここに居る私にはその記憶も、実感も存在していない。永遠を生きるというのは悪くない話だが、その差はいつか大きな溝を生むことになる。」

「それで……、博士は良いのですか。」

「それは自分が死んだ時のことを知らないから何とも言い難いな。……でも、私が死んだということは、伝えるべきことを全て伝えきったということだ。後悔なんてあろうはずがないさ。」

 それでもシリカは首を振る。

「分かりません……だって、それじゃ博士が報われない!」

「いいぞシリカ! この分からず屋に言ってやれ。カッコつけるのも大概にしやがれってさ!」

 お前はどっちの味方なんだよ、と文句を入れてやりたくなるがここは我慢する。

「今の私なら、もっと貴方との時間を大切にすることができる。今の私なら、もっと貴方の言葉に応えることができる。今の私なら、もっと貴方を愛することができる!」

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