6章

6-1

 初めは何か太い針のようなものが脇腹に突き刺さったのを想像した。

 震える掌で衝撃のあった場所を抑えると、焼けた棒を押さえつけられたような熱が脳を焦がす。ぎょっとして手を離してみると真っ赤に染まっていて、一体何事かとますます思考が錯綜する。

 錆びた鉄の匂い。未だ混乱する頭に急速に危険信号が鳴り渡る。

 全て自分の流血だった。ぽっかりと肚に空いた穴からは、たらたらと緩やかに、しかし決して留まることなく赤い液体が流れ続けている。認識が及び出した途端、唐突に夥多しい痛みと吐き気が奥底から込み上げてくる。

「……なんだこれは。」

 しまいにはベンチに座ることすらできなくなって、油圧の漏れた機械人形のようにするりとその場に頽れた。

「博士……!」

 すかさず駆け寄ろうとするシリカ。

 しかし何処からともなく響いてきた声にはっと足を止める。

「ちょお――っとストップ! シリカはそこから動いちゃ駄目ね。」

 人が一人撃たれているというのに呑気なその声には、余りにも聞き覚えがあり過ぎた。 

 芋虫のように床を這いながら、なんとか首だけを回して声の主を探す。

 すると少し離れた所の大きめの花壇を回って、手のひらサイズの銃をクルクル回しながら白衣姿の女が現れた。

「安心して。人間を即死させる性能は無いからさ。その代わり銃弾にAIには特攻のウイルスを仕込んでるから、当たったら問答無用で機能停止させられるよ。」

 肩口でバッサリと切り揃えた黒髪。

 スッキリと整った美貌は眼の大きさから耳の形までシリカと瓜二つではある。顎の線の長さなどに些か大人びた印象を感じさせられたが、ほとんどドッペルゲンガーも同然だった。

 女は薄い唇をニヤリと歪めて、保科を見下ろす。

「や。その様子だとしっかり当たってくれたみたいで良かったです。どうですか、鉛玉の味は。」

「珪――ちゃんなのか?」

 アストラルプレーン執政部科学局局長。

 情報科学の天才にして、齢十八で上級AIシリカを開発した今世紀最高の科学者。

 ――そして保科硫のただ一人の家族いもうと、保科珪その人だった。

「その呼び方、子どもっぽいから止めて下さいって言ったのに……ま、ここには誰も居ませんし良いでしょう。許します。」

 珪は不満そうに少し唇を尖らせる。

 無垢なその表情には余りに似つかわしくない、メタリックな拳銃を掲げたまま。

 始めは悪い夢か、質の悪いドッキリかと思った。

 だってこれは――この展開は、流石に出来過ぎとしか言いようが無いだろう。

「やっ、久しぶりですね。保科博士。いや、ここではお堅いのは止めにしましょうか――、硫一兄さん?」

 シリカは両手を挙げたまま、唇を一つに結んでキッと彼女を睨みつける。

「――思ったより遅い登場でしたね、局長。」

「ほら、言うでしょ。ヒーローは遅れてやってくるとか。」

 一方シリカの敵意など全く浴びていない風に、銃を持った手を前に突き出して決めポーズを取る珪。まるで玩具遊びのようにあっけらかんと笑って見せるが、手元のそれが確かに人を傷付ける力を持つ武器であることを、保科は身をもって知っている。

「……馬鹿言え。今のお前は誰が見ても悪役の方だろ。」

「やっぱそうですよねー! って、腹に鉛玉食らってよく喋る元気ありますね、兄さん。死にはしなくても死ぬほど痛いはずなんですが。生命力ゴキブリですか。」

「こっちも一言文句を言ってやらないと、死んでも死にきれないからな。」

「ふふっ。それ最高ですね。えぇ、まぁ? 私としてもそんな簡単にくたばられたら期待外れも良いところな訳ですが。」

 口許を抑えながら心底楽し気に笑ってみせるが、銃口はピタリとシリカに突き付けたまま離さない。確かめるまでもなく、ARレンズによる補正を利用しているに違いなく、シリカは隙を伺っているが迂闊に動けないようだ。

「なっつかしいですねぇ、この花火。何年前でしたっけ。お兄さんが成人する前ですから……、四年? それとも五年ですか?」

「五年だ。お前はまだ十五歳だったからな。」

「そう。まさしくこの時この場所です。私が人類の進化のための第一歩を踏み出したのは! あの日、脳と機械の演算能力を同期した新型AIによる人間の電子世界への進出という構想を、私は兄さんに初めて打ち明けたのです。」

 また一つ打ち上がる花火を感傷深げに見上げる珪。

 柵を隔てた街の向こうでは、クライマックスへ向けて花火の舞ますます激しさを増してゆく。きっと人々は光溢れる独善的な空間に取り込まれて、ただ圧倒されるままに空を仰いでいるのだろう。もしかすると、一人ぐらい、花火に紛れた銃声に気付いた人が居るだろうか。

 ――ああ。視界が滲む。

 今も尚滾々と溢れる血の赤に、きっとこのままだと自分は死ぬのだろうという漠然とした予感が深まってゆく。それにもかかわらず、心を満たしていたのは今この瞬間を邪魔されたくないという強い思いだった。

 強く祈る。

 後少し。

 もう少しだけ素敵な夢に微睡んでいて欲しいと。

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