3章

3-1

 ウミネコの声。

 肌に纏わりつく熱気。

 噎せ返るような潮の香り。

 眩しい程に輝く白い砂浜とコバルトブルーの海面、そしてクリームソーダを思わせる快晴との映発が、真夏の化身のように海岸通りを包み込んでいる。

 古き良き商店街の街並みは、ごった返す義体の市民たちによりまるでハロウィンの仮装パーティの如き様相を呈していた。右を見ても左を見ても、奇抜な恰好をした義体の数々が目に飛び込んできて、情報過多に眼が回りそうだ。人型の恰好をしているのはまだ良いが、中には人外の領域に脚を踏み込んでいるようなものもあって、アイデンティティの暴走というフレーズが頭に浮かんだ。

「……目立っているな。」

 背中に集中する視線の熱に辟易しつつ、保科は独りごちる。

 正確にはその視線は、彼の横を歩くシリカに対して向けられたものだった。

 百鬼夜行の如きこの個性豊かな住民達の中でも、シリカの姿は不思議と注目を集めている。ファッションとしての義体はアクセサリーのような足し算の美である側面が強いが、シリカの義体は個性を極限まで削ぎ落した逸品であるからかもしれない。これはが個人的な理由で施した仕掛けだったが、実際素材が良いだけに良く映えた。

 ただ、こうして否応なく不躾な視線に曝されるのだけは困り物だと思ったのだが、本人はまるで気にしていない様子で、一人出店を品定めしている。

「どうかされましたか?」

「いや、人酔いしそうだと思ってな。それよりもう少しで目的地だぞ。」

「はい。ここまで料理の良い匂いが漂ってきます。――とりあえずここの通りのお店は全て制覇しましょう。ええ、余すところなく全て。」

「それ、当然経費では落ちないんだろうな。」

「ええ。期待してますよ。」

「帰ってもいいか?」

「冗談です。博士にそこまでの甲斐性は期待してません。」

 出店の並ぶメインの海岸通りに辿り着いて、早速シリカは眼に入った屋台に足を向けると、店先に立つ赤毛の義体が特徴の男性店員と二言三言会話を交わす。その間に屋根に掛けられたピカピカの看板の文字を眼でなぞると、『銀河風たこ焼き』の店であるらしい。ブラックホール級の美味さがキャッチコピーだが、コンセプトからして意味不明すぎて邪神の触手でも入っていないか不安である。

 シリカが店先に設置された象牙色の板に掌を載せると、ARグラスの視界を通して中空に緑がかったオーバーレイが表示される。それを切るようにシリカが手をかざすと、ピロンと音が合って表示が消えた。これが支払い完了の合図である――因みに彼女のカードは当然如くに限度額が振り切れた富豪仕様だった。

「祭りというものは想像していたより色々な出店があるのですね。」

 店員から受け取ったプラスチック製のパックを開きつつ、シリカは人の頭の犇めく雑踏を見渡す。確かに少し辺りを探すだけでも、先程の『銀河風たこ焼き』ような軽食から、最新鋭の拡張現実の技術を用いたアクティビティの店まで、ただの祭りにしては個性が豊かすぎるラインナップが並んでいる。

「自分の趣味を見せびらかす良い機会だからな。この街の住民に残された数少ない娯楽だ。」

 夏祭りで披露される出店は、多くがアストラルプレーンの住人が個人的に運営するものだった。

 その理由は至極単純で、暇だからである。

 内側の街で暮らすような市民達は、生存のために仕事をする必要がほとんどない。ついでに言ってしまえば、睡眠を取る必要も存在しないので、彼らは膨大な時間をその電子世界で持て余すことになる。故に、こうして外の世界で自ら鍛えた趣味の腕を見せびらかすというのは、数少ない楽しみとなっているのだった。執政部もそれを理解していて、祭りの出店に関しては寛大な措置を取っている。

「博士も一口どうですか。」

 横を向くと、爪楊枝にたこ焼きを刺したシリカが、その先端を保科の口許に近付けてくる。

「……いらない。」

「気を遣ってらっしゃるなら、無用ですよ。」

「私は今空腹を感じていないんだ。それに私は食べ物はデフォルトの味が好みだと知っているだろう。」

 一旦は顔を背けたものの、シリカはなおもその顔を追って爪楊枝の先を押し付けてくる。宇宙めいた暗黒のソースに白い星の斑点がちりばめられたアツアツのたこ焼きを見下ろし、頬を引きつらせた。

「ええい、しつこいぞ。」

 ひらひらと手を振って追い払うと、しぶしぶといった形でシリカはたこ焼きを自分の口に運んだ。

「可哀そうな人ですね。食事も楽しめないなんて。」

「……こうして見ると義体もたまには良いと思うよ。胃薬必要なさそうだし。」

 太陽はとっくに頂点を通り過ぎていたが、昼食という気分にはなれそうもなかった。大概よく寝た後には腹が空くものだが、これほど大寝坊をするとむしろ胃が凭れるらしい。

 つい先日に研究所での昇進を果たしたばかりだったが、あれからまた胃薬の数が増えた気がする。

 どうにもお役所仕事は性に合わないらしい。

 気の向くまま研究が続けられればそれで十分なのに――、なんて言葉を溢したら局長になんて言われるか分からないが。

「ならば仕方ありません。こちらは私一人で楽しむとしましょう。――博士は何か欲しいものなどありませんか。今なら私が大サービスでご馳走しますが。」

「――いや、構わない。君が楽しんでくれれば私はそれで十分だ。」

 その言葉は他意の無い真実だったのに、シリカには引っ掛かるところがあったようで、むっと眼を細めた。

「それは駄目です。祭りたるもの、屋台を楽しまないでどうするというのですか。」

「何故そんな不満そうに私を見る。」

「想像してみて下さい。自分が何かを楽しいでいても、隣につまらなそうな顔をした人が居たらどう思いますか?」

 ――成程。

 それはなんというか、一言でいうと不快だ。

「しかし、そうは言われてもこればかりは体質の問題だ。気合いでどうにかなるものではない。諦めてほしい。」

「なら――、」

 シリカはパックに残ったたこ焼きの最後の一つを口に放り込んだ。 

 ――最後まで味の感想は無かった。

「なら、食べ物以外はどうですか。」

 というと、アクティビティの類だろうか。

 正直それも余り気持が乗らないのだが、真正面からそれを言ってしまえば本気で彼女の機嫌を損ねかねない。

 彼女は飄々としているように見えて、一度臍を曲げると根が深いところがある。

「あまり激しいのはよしてくれよ。帰りの分の体力が無くなるのは困る。」

 遂に保科の側から折れると、シリカの表情がパッと華やいだ。

 まぁ、これも仕事のうちだと思えばなんてことはない。

「近くにあるお店は……」

 シリカはさっと辺りを見回して手近な店を見つけると、その方向へ歩き出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る