第五章

第28話 緋色の季節

冷たくなった風が憲介の頬を撫でた。


あんなにジメッとした死にたくなるほどの暑さはすっかり消えた。


「コナン・ドイルは俺を描かないだろうな。」


そんな独り言を地面に落とし、またその言葉もホコリと一緒に箒で掃いた。


事務所は前よりも声が響くようになった。

そして『円谷興信所』という名前すら失った。


「こんなに汚れてたんだ。」


中学から積もったホコリはやっぱりただの埃で、箒で掃いてしまえば『箒の前の塵に同じ』だった。


憲介は掃除をしながら水森に面会し行った日を思い出した。




初めての面会室にケツをソワソワ動かしていると、扉が開いた。

憲介は思わず立ち上がった。


散らかった髪、腑抜けた顔立ち、そして子供のような雰囲気があった。

でもそれは憲介には今までで1番美しい彼女の姿に思えた。


「おお、けんくんじゃん!」


それは彼女じゃない。けど1番彼女だ。


「久しぶりだな。お前はだいぶ変わったな。」


「今が1番楽しいんだ。」

彼女はむふふんと笑った。


「そりゃ良かったけど、ここは罪を償う場所だからな。」


「分かってるよ。」


「もう、私はやる事やったよ。あとは人生の暇つぶしをここでするだけ。」


「ちゃんと反省しろよ。」


「分かってますって。」


「お前酒飲んでんのか?」


「飲んでないよ。てか、ここじゃ飲めないし。これが本当の私だから。」


そのあと憲介と水森は出会った日から事件の日までを面会時間を気にしながら早巻きで話した。


「そういや俺、お前の日記勝手に読んだよ。」


「読んだから全てがわかったんでしょ?読まなきゃ私の完全な勝ち。」


「でも、勝つ気無かっただろ?」


「あー、部屋に鍵がかけて無かったから?実は、アレただのかけ忘れ。アイツを殺すことに頭がいっぱいで忘れちゃった。」


「忘れてたのかよ。てっきり俺に全てを委ねてるのかと思ったよ。」


「そう思ってもいいよ。」


なんか水森の奥にいる警察が居心地が悪そうだ。


「日記見て、それから挟んであった写真みて、驚いたよ。お前ら双子だったんだな。」


水森の目が小さくなった気がした。


「死んじゃったけどね。」


水森は本当に悲しそうな顔で言った。

憲介が水森に対してずっと心のどこかで思っていた「何かが欠けている」という感覚の答えが出た気もした。


「死んじゃったって、お前が...」


「死んじゃったんだよ。私の中で。母を忘れようとして、あんなこと言うから。母が残したお金を勝手に使うから。

私の中にいた清らな彼女はもう死んだんだよ。」


静かな音が二人の間の壁を通り抜けた。


「言葉通り似たもの同士、瓜二つ。母でさえ写真だけじゃ分かんないって言ってたよ。だってホクロの位置も一緒なんだよ。」


「だからこんな事ができたのか。」


「そう。瓜二つなら左右を入れ替えてもバレないよ。もうこの世に私しか私と彼女の違いを知っている人はいないんだから。」


彼女はなぜか瓜にこだわって話し続けた。


「見かけは二つの瓜があるように見えても、片方は中身が食われてるんだよ。でもね、人は他人のことを気にしてないからひっくり返して確かめる人なんていない。みんな二つの瓜があるようにしか思わない。しかも瓜だからさ。西瓜でも南瓜でもないんだよ。ただの特徴のない瓜。」


「でもさ、瓜がなきゃ西瓜も南瓜もないんじゃないか?」


「何それ?深い意味あるの?」


「ない。」


「何だよ。」

水森は今日1番の笑顔を見せた。


話は進み、いつしか物語の『ヤマ』に来ていた。


「アイツが私の事を調べているって分かってたから、それを利用してアイツを呼び出したの。そしたら、逆に私が来いって言ってきた。」

「そういや、けんくん はなんでアイツの依頼なんて受けたの?」


「おいおい、脱線すんなよ。せっかくヤマだったのに。」


「ヤマって。」

憲介は意識せず言った一言に水森はツッコミを入れた。


「ヤマだろ?」


「ヤマだね。」


気づけば2人は互いに幼なじみくらいの感覚で話していた。

憲介は気を取り直して真面目に答えた。


「俺が西畑に1000万貰ったから。」


「え?」


「俺は欲に負けたんだよ。」


「本当にそれだけ?違うでしょ?」


「脅されたってのもある。」


「やっぱり汚い手を使ってるね。しかも、自分のためなら金は払うんだよアイツは。」


「てかなんで けんくん が依頼されたんだろ?」


「昔の事件での因縁があったらしい。因縁って言うほどカッコイイもんじゃないけどな。」

「って、脱線しすぎだ。続きを話してくれよ。」


「おーけー、おーけー。」


憲介は水森のこの調子に慣れてきた。

水森は『ヤマ』もこれまでの調子でざっくばらんに話し始めた。


「会社の受付で名前言ったら最上階の社長室まで連れていかれたの。

案内人に言われるがまま透明エレベーターに乗り、最上階に着いた。

そこは都市が一望できるガラス張りの暗殺には最高の舞台だった。

ヒットマンみたいって思ったね。」


「そんなん知ってるのか。てっきりゲーム興味ないかと思ってた。」


「知ったかだよ。1回知り合いの家行った時に遊んだだけ。」


「危ない、危ない。また脱線するところだった。」


水森は拗ねたような顔で「いいじゃん」とか言っていたが、憲介はそれを許さなかった。水森は渋々続きを話し出した。


「社長室に入ったら鍵閉められてさ、『何の用だ?』とか言ってきて。普通は久々に娘に会えたんなら『元気か?』とかでしょ。

私はもう隠す必要ないなって思って『なんで私のこと調べてんの?』って言ったの。」

水森の憲介を見る目が強くなった。


「いいよ。大丈夫。続けて。」


「そして出てきた言葉は全部保身のためだった。

離婚してから数年後には会社の経営が上手くいくようになり、ある程度のクライアントがついたらしい。そのとき西畑太輔に『お前、家族捨てたんやろ?やったら過去のことバレたら顧客はどう思うだろうな。』って言われて、焦った西畑はすぐに大金を使って探偵に私たちを探させた。もちろん私たちがアイツの過去をバラさないか監視するため。それからずっと監視を続けていたらしい。

それであるとき探偵から姉妹が一人欠けていることを伝えられて、焦ったアイツはあなたを雇ったってわけね。」


「なるほど。そういうことか。」

これで憲介の中のもやは晴れた。


「アイツさ、私が懐から包丁を取り出したらビビって尻もちついてやがった。今なら笑えるけど、その時の私は真面目だったから怖い顔してたと思う。」


「どんな顔?」


「いや、やらせる気?」

そういいながらも水森は『怖い顔』をやって見せた。

憲介は思わずニヤけた。


「何?そっちだって脱線してんじゃん。」


「だってさ、俺、お前と会うのこれで最期だから。最期にするから。もう思い出したくないから。けど、お前という存在は忘れたくないから。だから今を楽しもうと思ってな。」


「何それ告白?」


「違う、違う。俺がお前を忘れたら、この世にはお前の、『良さ』を知っている人は、いなくなるだろ?」

憲介は歯切れ悪く、恥ずかしながらに言い切った。相手を褒めるのは得意じゃない。


「そうだね。ありがとう。」

水森は3歳児みたいに笑った。


「続き話してよ。この事件を全部知って、全部忘れたい。」


「意味ないじゃん。」


「意味あるよ。たぶん。」


「じゃあ再び続きから。

尻もちをついたアイツに私は詰め寄って『今までの事を謝れ。』って言ったの。

そしたらまさかの『嫌だ』という答えが返ってきた。

私はまずアイツの太ももに包丁を突き刺した。」


憲介はそのちょっとグロテスクな様子を想像して、ちょっと爽快な気分になった。


「そしたらさ、アイツ、私がマジなんだって分かって焦ってさ、『恭子、お前、昔はもっと優しいやつだっただろ?1度でいい、俺にチャンスをくれ。』なんて言ってきてキショかったわ。」


あと少しで終わりだというのに、ここで面会時間が終わってしまった。警察官の「面会時間は終わりです。」の一言と共に水森は肩を掴まれて出て行かされた。

彼女はちゃんと最後まで憲介に話きりたくて、部屋を出る寸前にこう言い残し去った。



「双子の娘の顔も見分けられないんだよ、アイツは。」


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