第17話 女と声が震える(2)

憲介の気分はサイアクだった。


人に怒ることも、疑うことも苦手なさがだ。


それがあの人に対してだったら。


憲介は西畑が帰ったあともしばらく動揺で動けなかった。

倒れるように椅子に座り、頭の中を整理した。

この職に就いてから頭の中を冷静に保つのは得意となっていたが、今回ばかりは時間がかかった。


なぜ、西畑は姉のことを知っていたんだ?


憲介の姉は5年前から東京中央第一病院で入院している。しかも、昏睡状態で。

憲介にとって姉は一番の味方だった。学校で友人と喧嘩したときも、憲介が母親に怒られているときも、いつだって庇ってくれた。

「憲介はいつだって間違ってないよ。姉ちゃんは憲介の正義感が好きだよ。」

そういつも言ってくれた。

3つ年上なだけだが、姉は憲介よりずっと立派だった。憲介はいつも姉の背中にしがみついて、甘えて育ってきた。

姉は憲介の『探偵になりたい』なんて言う馬鹿げた夢も全力で応援してくれた。

「憲介にピッタリなんじゃない?お母さんとお父さんの反対なんて振り切って、私に憲介の夢を見せてよ。」

この言葉がなければ今はない。


5年前の7月28日。

姉は自殺未遂を起こし、昏睡状態となった。


母親からの電話で病院に向かい、姉の姿を見たとき、憲介は崩れた。でも、悲しくなんてなかった。

ただただ悔しかった。

「なんで。なんで俺に相談してくれなかったんだ?俺は頼ってばっかだったのによ。俺にも頼ってくれよ。」

そう寝ている姉に叫んだ。


行ける時は今でも見舞いに行っている。

もう声かけはしなくなった。

声かけしたら、まるで死人に話しているみたいだと思ったからだ。


そんな姉の入院している病院の名を西畑は口にした。


姉のことを西畑に漏らした人物。


離婚のことを西畑に漏らした人物。


そもそも、西畑が憲介の性格を知っているかのような立ち振る舞い、最初から自分のことを知っていて依頼したのだと憲介は考えた。


憲介はそんな人物を1人しか思いつくことが出来なかった。



待ち合わせはやっぱりカフェにした。


彼女は憲介よりさらに早くから来て、コーヒーを飲んで待っていた。


「早いね。」

憲介はそう言いながら彼女の目の前の席に座った。

「そんなことより何の用事なの?」

彼女はいつも以上に真面目な雰囲気だった。

「弥咲に聞きたいことがあるんだ。」

弥咲は意外そうな表情をしていた。

憲介は1杯のコーヒーを頼んでから、思い切って本題から聞いた。

「今回の依頼について他の人に話したりしたか?」

弥咲は目を細めて、それから下を向いて、顔を上げたら少し怒っているような表情をしていた。

「何?心外なんだけど。言わないって約束でしょ?なんで他の人に言わなきゃいけないのよ。」

できるだけ弥咲の言葉を受け流すようにしてさらに質問した。

「依頼者の社長に話したりしたか?」

弥咲はまた下を向いて、さっきより長い時間が経ってからまた顔をあげた。

「私を、裏切り者か、なんかと、思っているかもしれないけど、あの、こっわい西畑さんと私が繋がっているとでも思っているの?」

様子は明らかにおかしかった。

そのとき、憲介は弥咲が尻尾を出したことに気づいた。

「本当に話してないのか?」

「してないってば!」

憲介は間を置いてから、こう言った。


「じゃあなんで西畑のこと知ってるんだよ。」


憲介が反応を見ようとしたら、間が悪い店員がコーヒーを持ってきた。

流れる空気の悪さを感じたのか、苦笑いしながら後ずさりしていった。

弥咲は店員が行ったことを確認すると憲介の目を見て言い返した。

そこからは熱のこもった言い合いになってしまった。

「憲介が名前を言ったんじゃない」

「俺は言ってないぞ、大企業の社長としか」

「言ったって」

「言ってない。」

「そんなの憲介の記憶でしょ?」

「逆に言えば弥咲の記憶にすぎないだろ?」

「そもそもなんでそんなこと聞いてくるのよ。」

「裏切り者ものがいるんだよ。」

「裏切り?」

「西畑が俺が離婚しようとしていることとか、姉のことを知ってたんだよ。」

「お姉さんのことも?!どうゆうこと。」

「だから裏切りがいるってことだよ。」

「それが私だって言うの?」

「そうだよ。一番可能性が高い。」

「私がやるなんてありえない」

「どうして」

「だって.......」

そこで急に弥咲のエンジンは止まった。

「ほら言えないじゃないか」

そこで憲介はコーヒーを飲み干し、それから何も言わずに席を立った。



男が帰り際に見た、うつむいた女の唇は震えているように見えた。


男は知らない。

女が震えた小声で言った言葉も、

この後の女の運命も、

この事件の真相も。


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