第41話 ラグの答え

 肉体に戻ったラグランスは泣いていた。ベッドから身体を起こし、必死に嗚咽を堪えて涙する。

 友人の、かつて憧れた同級生の背負った罰の大きさに苦しくなる。本能のままに食らった後に、憚らずに涙する彼を見てしまうと、その辛さが伝わってしまう。

「っつ」

 吸血鬼にとって人間を食べることは、ラグランスたちが牛肉を食べることと変わりがない。しかし、罪悪感には大きな差がある。そして、それをマクスウェルはこの三年間、ずっと背負い込んできたのだ。それが悲しい。

「失敗だったかしら」

 そんなぐずぐずと泣くラグランスを、こっそりと見ていたマーガレットは、少し後悔していた。先ほどの幽体離脱は彼女が施した魔法だったのだ。吸血鬼としてのマクスウェルを再び見ることで、ラグランスの気持ちが固まるのではないか。そう思って試したことだったが、ラグランスを深く傷つけ、さらにはマクスウェルに同情させてしまったらしい。

「優しい魔導師、か。かつていなかった存在は、伝説の吸血鬼に勝てるのか」

 マーガレットはそっとドアを閉め、深々と溜め息を吐いていたのだった。




「ひでえ顔だな」

「知ってる」

 翌朝。修行最終日の朝の挨拶はこれだった。泣きはらしたせいで目がパンパンに腫れているラグランスに、トムソンは呆れることしか出来ない。そして、鏡で確認してきたラグランスも、溜め息を吐くことしか出来なかった。

「どうした?」

「後で話すよ。先に走っちゃおう」

「ああ」

 まだ頭の中では昨日の光景がぐるぐるとしている。食べるまでの一連の流れは嫌悪感しかないというのに、マクスウェルの涙を見ると、どうして救いがないのかという気分に苛まれる。その繰り返しだった。

 そして、それはここに来るまでの三年間、考えていたことでもあった。魔導師試験を受けている最中、そして魔導師になってここに来るまでの道中、ずっと考えていたことと同じだった。

 人を食らう吸血鬼は許せない。でも、彼に恋した自分は、倒したいという気持ちだけを純粋に持ち続けられない。

 器用に走りながら溜め息を吐くラグランスに、トムソンも釣られて溜め息を吐いてしまう。だが、こちらは過呼吸になりそうになった。なんだかんだでやっぱり魔導師は凄いと、変なところで感心してしまう。

「若さの差もあるけどなあ」

 さらにはぐんぐん走る速度でも差を開けられ、魔導師って体力もあるよなと思う。思うが、向こうは二十代でこちらは衰えつつある三十代。足の速さは魔導師関係なしに素直に負けを認める。というか、こんなに真面目に走り込みをしたことなんて、トムソンの適当人生において初めてのことだ。

「ああ。ちょっとはすっきりしたかな」

「そ、そうか」

 だから、六日間の走り込みによって得られた差はさらに大きい。ラグランスは余裕綽々で、もはや十キロマラソンなんて気分転換に使えるほどだが、トムソンは相も変わらずへばり込む。

「俺、やっぱりマクスウェルを救いたい」

「あっ?」

「でも、それは殺すことと同義なのかもしれない」

「――」

 意外な言葉に、トムソンは寝転びながらじっと耳を傾ける。何かがあって泣いて、そして今、そんな結論に達したはずだ。となれば、素直に耳を傾けてやることが出来ることの総てだ。

「俺、マクスウェルがもうこれ以上苦しむ顔を見たくない。そのためには、誰かの血肉を食べるという行為を終わらせなければならない。ということは」

「吸血鬼としての奴の人生を終わらせるしかないってことか」

「うん」

 相反する気持ちに決着を付けるにはそれしかない。それに、マクスウェルがこれ以上罪の意識に苛まれることを終わらせるにも、やっぱりそれしかない。

「俺、昨日、どういうわけかマクスウェルが食事をするところを見たんだ」

「ほう」

 唐突な話だが、魔導師だったらそういうことも可能なんだろうなと、疲れているトムソンは疑うことなく頷く。

「泣いてたんだ、あいつ。お腹いっぱいになるために人間を食っている。俺たちにしたら飯を食うのと一緒のはずなのに、すげえ泣いてた」

「――」

「本当はマクスウェルだって、生き長らえたいと思って食っているんじゃないのかもしれない。それに気づいたんだ。マクスウェルは俺に向かって言ったんだよね。魔導師としての理性が残っているのが辛いって。それって、食べた後に冷静になると、自分の残虐行為が許せないってことだったんだ」

「なるほど」

 トムソンもラグランスが、そしてマクスウェルが言いたいことが解った。もし本当の化け物に成り下がっていたのならば、多くの苦悩を抱えなくて済んだはずだ。しかし、マクスウェルはこの町を独立国家として統治出来るほどに理性を持っている。それが最も苦しい。そういうことだ。

「食っている時は本能、というか吸血鬼という立場に引っ張られているだけなんだよ。それだけなんだ」

「なるほどね。そして自分の行いを見て罪を意識する、か。神様ってのはとんでもない罰を考え出すものだな」

「うん」

 神に背くと、魔導師になった時に与えられた使命に背くと待ち受ける罰。それこそが吸血鬼だったのだ。そしてそれは、使命を背負い込んででも倒してくれる誰かが現れるまで続く。

 もちろん、その使命を与えられた奴だって苦しむ。本当に倒さなければならないのかと悩む。でも、その運命からは逃げられないのだ。

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