第4話 嫉妬(三日目・夜)

 七限目終わり。日の入りの時間が遅くなりつつある四月とはいえ、辺りはすっかり真っ暗。学内は明るく電灯で照らされる。

 俺はそそくさと大学のバス停に向かう。早く家に帰らないと、夜中になってしまう。終電ルートはゴメンだ。

 「——あ、優クンじゃない‼」

 「へ?」

 大学に親しい友人はいない。名前を呼ばれ馴れていないため、背筋が伸びる。

 バス停の行列に並ぶと、たまたま前にいた人がモネちゃんだった。帰りのバスで会うのはこれが初めて。なんとなく、テンションが上がる。

 「モネさんも今、帰り?」

 「もちろん!」

 「そのまま、家に直行?」

 「う~ん、それはどうかな——」

 表情に陰り生じる。今晩も夜遅くまで彼氏さんと居るつもりだ。

 「——大変だね」

 「ううん。私が好きで彼と付き合ってるから」

 その様子を見る限り到底、幸せそうには見えない。好きというのも建前だろう。どうして自分を追い込んでまでその彼氏と付き合っているのか、納得できない。だが、人様の色恋沙汰に首を突っ込むのは気が引ける。あくまで、モネさんとは数日前に出会ったばかりの浅い仲。それ以上でもそれ以下でもない。よっ友に近い存在。ほとんど赤の他人に等しい。だというのに——、

 「彼氏さんと別れた方がいいよ」

 無意識に口を滑らせた。思っていたことが口に出てしまった。真っ直ぐな視線で、モネの顔を見詰める。

 「「——」」

 俺としたことが——。二人の間に流れる沈黙の時間。容赦なく後悔が押し寄せる。

 「——?」

 当然、モネさんはキョトンとした顔。目を丸くして、俺の顔を窺う。

 超恥ずかしいじゃん。あまりこっち見ないで。講義終わりで疲れたフィジカルとメンタルにこの辱しめは堪える。

 「——今の彼氏と別れて欲しい?」

 「別れて欲しいというわけじゃなくて、別れた方がいいのではないかな、と」

 「嫉妬じゃなくて?」

 「し、しっと⁉」

 モネさんに嫉妬は有り得ない。まだ彼女に対して恋心は芽生えていない、はず——。だよね?

 「個人的に嫉妬だと嬉しいなぁ……」

 「それはどういう意味?」

 あともう少しでガチ恋距離に到達。じりじりと俺の元へ詰め寄る。

 「私のこと、スキ?」

 「ハイ⁉」

 俺の視線に合わせるように背伸び。股に足を入れられ、体を固定される。

 ちょっとでも気を抜けば、お互いの唇が当たる距離間。傍から見れば、キス寸前のカップル。徐々に俺のドラ息子が起き上がりつつある。最悪だ。

 「ねぇ、スキでしょ?」

 艶のある声が直接、脳内に響く。一向に頭の処理が追いつかない。取り敢えず、興奮のあまり失神しそう。情けなく、口をパクパクさせる。

 「——フフッ。やっぱ、ムリだよね……」

 何か誤魔化すようなから笑い。眉を八の字にして瞳を揺らす。

 そのまま唇を奪われると思いきや半歩後ずさり、俺と距離をとる。

 「あれ、なんか目頭が熱くなってきちゃった」

  表情を見せないように両手で顔を覆う。どういう感情なんだ。

 「なんか俺、悪いことした?」

 「ううん。してない……」

 再度、正面に向き直る。

 通常通り、モネさんの飾り気のない笑顔。なんとなく、瞼がいつもより赤くなっているように見えたのはアイシャドウのせいだろう。

 ちょうど、目の前に駅前行きのバスが停車する。

 「——バス、乗ろっか?」

 「うん」

 俺とモネは乗車口の段差に足を乗せる。

 遅い時間とあって、乗客は比較的少ない。無事、二人で座れる後ろの席を確保した。朝と同じ席だ。

 「「——」」

 沈黙が続く。不思議とこの時間が苦じゃない。疲れた心が癒される。なんでだろう?

 「夜景、キレイ」

 食い入るように窓の外を眺めるモネさん。

 あちこちで灯りがともる新興住宅地。大学周辺は田舎と都会が隣接するベッドタウン。夜の八時を回った今現在。ちょうど、家族全員で夕食を食べている頃合い。僅かだが、カーテン越しに子どもと大人の人影が映る。

 「いいな……」

 その人影にモネさんは羨望の眼差しを向ける。心底、羨ましそうだ。

 「家族とは上手くいってない感じ?」

 「——かもね」

 窓の外を眺めたまま、どこか憂いを帯びた笑顔でそう答える。

 「——」

 あまり過去について語りたくない様子。暗い表情で俯いてしまった。

 「——全部、私のせい」

 「ん?」

 「私がこんなんだから、家族が崩壊した。自業自得だよ」

 「だから、無理に同情しなくもいいよ」と引きずった笑顔を作る。下手に気を遣わせたようだ。

 「「——」」

 さすがにこの後の沈黙は気まずい。何か明るい話題がないか必死に思考を巡らす。

 「——腕細いね」

 たまたまモネの真っ白な肌が目に入った。ただ、それだけ。

 思いついた話題がクソ過ぎる。これは酒が入ったセクハラ上司の発言。素直にキモい。

 「そうかな。これでも女の子にしては太い方だとも思うけど」

 良かった。なんとか話題に乗っかってくれた。

 袖をまくったモネさんは自分の腕を鷲掴み。怪訝な顔で腕の細さを確認する。

 「ご飯、ちゃんと食べてるか?」

 「なに急に、オカン?」

 「違う」

 昨日、車内でモネさんの体を受け止めた時。やたらと体重が軽かったのを記憶している。女性の平均体重はよく知らないが、あれは軽過ぎた。俺からすれば、マシュマロとほぼ同格の軽さ。少しでも衝撃が加われば、どっかに吹っ飛んでしまう脆さを感じた。

 「こう見えても、体脂肪率が二十三%あるんだよ。腹筋も若干割れてるし、いたって健康体」

 「そうかな……」

 モネさんに疑いの目を向ける。今日は厚着なため、目視では分かりにくいが——。

 「全然プニプニだよ。ほら、触ってみ」

 「え、ええ……」

 目一杯袖をまくって、二の腕を触るよう手招く。まさかの二の腕⁉

 「じゃ、じゃあ、失礼します——」

 見るからに柔らかそうな二の腕。高価な宝石を扱うがごとく慎重に手を伸ばす。

 「どう? プニプニでしょ?」

 「——」

 無言で二の腕を触り続ける。職人の手つきで、触感を堪能する。

 「——す、凄い触るね」

 「——」

 程よくついた脂肪が、俺の指を優しく包み込んでくる。人をダメにするクッションと同格か、それ以上の柔らかさ。これは誰もが病みつきになる。

 「もぉ、触りすぎだって~」

 「——」

 今の俺は軽く理性を失いかけている。本能のまま、動く猿だ。俺の脳は二の腕に支配されている。

 「——ァア、——んん♡」

 モネさんの生々しい吐息と喘ぎ声。二の腕を揉まれて、感じているようだ。

 「優クンに良いこと教えてあげる」

 「——」

 「二の腕の柔らかさって胸の柔らかさと同じらしいよ」

 「——ハッ⁉」

 モネさんの言葉によってようやく理性を取り戻す。同時に賢者タイム以上の背徳感を味わう。

 「ご、ごめんなさい‼」

 「謝らなくてもいいよ。良いマッサージになったから☆」

 可愛く顔の横にピースと片目ウィンクをお見舞い。またまた心臓がキュンとなる。 そろそろ彼女の虜になりそうだ。


 『——次は○○駅、○○駅~。終点です』


 モネさんと一緒にいると時間はあっという間だ。三十分では全然、足りない。もっと彼女と一緒にいたい。欲望が暴走する寸前だ。

 「優クン。また、明日」

 「ああ、また明日」

 モネさんは早足にバスを降り、駅とは逆方向の夜の繫華街へ消えてゆく。今から彼氏と会うのかな。なんだか、複雑な気持ちだ。

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