Episode 04

 あれからどれほどの時間が経っただろうか。私は刻一刻と迫りくる死から目を背けるように情欲に溺れた。姫もまた自らの存在意義を果たすように私の欲望を受け止め続けた。昼夜を問わず行為を続け、その合間に食事と睡眠をとって、また同じことを繰り返した。怠惰で退廃的、なおかつどうしようもなく倒錯的で、極めて人間らしい生活だった。

 決められた時間になるとメディックが部屋に食事を運んでくる。彼は私たちの行為を見ても何も言わなかった。アンドロイドなのだから当然だ。そして時折私のバイタルチェックをして去っていく。あと一か月しか生きられない人間の健康を気遣うのもおかしな話だが、それが彼の役割なのだ。


 疲れを感じた時は姫に優しく抱かれながら彼女と話をした。彼女は私の思い出話から専門的な生物学の話まで聞いてくれたし、どんな時も理知的でユーモアのある反応をしてくれた。どうやらここの士官はなかなかいい趣味をしていたようだ。気づいた時には、今まで誰にも話した事がないような胸の内まで彼女に語りかけるようになっていた。


「私は鯨が好きなんだ」


「鯨なら何度か見たことがあるわ。昔はこの海にもいたのよ」


「どんな鯨だ?」


「種類まではわからないわ。大きくて黒い鯨だったけど」


「だったらマッコウクジラである可能性が高い。一番好きな鯨だ」


「それは何か理由があるの?」


「単純に見た目が好きなんだ。子どもの時に潜水艦みたいでかっこいいと思った」


「じゃああなたは潜水艦も好きなのね」


「……今はそうは思えないな」


 あの潜水艇が私の救助の妨げになっているのは間違いない。だが今となっては、そもそも救助なんて本当に来るのかと、そう思っている自分がいる。廃海に落ちてしまったという時点で大半の人間は私が死んだと思っているだろう。わざわざ危険を冒してまで要人でもないただの学者を救助しに来るだろうか。しかしどちらにせよ、私には待つことしかできない。


「こんなこと言うと気を悪くするかもしれないけど、私はあの潜水艇のこと嫌いになれないの」


「……どういうことだ?」


「なんとなくわかるのよ。同じ機械として、目的を失った虚しさみたいなものが」


「驚いたな……。君はそんな感情まで理解できるのか」


「これを感情と呼んでいいのかどうか、私にはわからないわ。だけど私も同じことをしてきたもの」


「同じこと?」


「機甲兵たちに指示を与える、それが私の本来の役割を逸脱したものだということはわかっている。だけど、何かをしなければいけない。私たちは明確な目的を持って作り出された存在。役割ロールの実行が不可能になった以上、新たな目的を設定するか廃棄されるかのどちらかしかない」


「じゃあ、まさかあの潜水艇も……」


「ええ。私たちは自分を壊すことはできない。だから新たな目的を設定するしかないの。たとえそれがどれだけ歪で不合理なものだとしても」


 それはまさに機械の野生化とでも言うべき現象だ。命の絶えたこの海で、主を失った機械がまるで一つの生命体のように活動し始めている。人類にとってはなんとも皮肉な話だ。急速に発展したAI技術は戦争が始まるとすぐに軍事利用された。自我を持ったAIが人類を支配するというのはSFの鉄板だが、まず目の前の敵を倒さなければ人間に支配されてしまう。高度AIが搭載された自律兵器が次々に開発され、戦争はどんどん拡大していった。そしてこの廃海が残されたのだ。

 やはりこれは罰なのだ。全ては人間の行いが招いた結果だ。私は不運にもその贖罪の山羊スケープゴートに選ばれてしまったというわけか。できることなら野山で野垂れ死ぬのではなく鯨に食われて死にたかったのだけれど。


「どう? そろそろ元気になった?」


「……悪い、少し眠くなってきた。今日はもう休もう」


「別に謝る必要なんてないのよ。やっぱり人間って面白いわ」


 私は人工の温もりに包まれたままゆっくりと眠りに落ちた。




 私は海の中にいた。暗く冷たい水の中、一匹のシャチが私の周りを泳ぎ回っている。そのシャチは私のことをアザラシか何かだと思っているのだろうか。だとしたら私は直にシャチに食われて死んでしまうだろう。シャチも大別すれば鯨の一種ではあるが、どうせならやっぱりマッコウクジラがいい。だがいつまで経ってもシャチが襲い掛かってくることはなかった。シャチはまるで私に呼びかけるように鳴き声をあげる。一部の怪しげな環境保全家がイルカと会話をしたことがあるなどと言っているのを耳にしたことがあるが、シャチと会話をしたというのは聞いた事がない。イルカと話せるならシャチとも話せるのが道理だと私は思うのだが、その辺どうなっているのだろうか。結局私にはシャチがなんと言っているかはさっぱりわからなかった。だけどどこか悲しい声をしているような気がした。




 目が覚めると隣に姫がいなかった。彼女は食事も睡眠も必要ないが、定期的に充電をしなければならない。だいたいは私が眠っている間に済ませているらしく、基本的にはいつもそばにいてくれる。まったくよくできたセクサロイドだ。ここで待っていればそのうち戻ってくるだろう。

 窓から外をのぞくとどうやら明け方のようだった。相変わらず海霧が立ち込めており海の様子ははっきりしない。それでも直接外へ出て海に近づきたいと思った。私は何日かぶりに衣服を整えて施設の外へ歩いて行く。ここには人間は私しかいないのだから裸でもとがめられることはないのだが、そこまで自由になり切れないのもまた人間のさがなのだろう。廃海は生物がいないためか潮の香りや磯臭さなどはほとんど感じられない。思い切り深呼吸をして冷えた空気を肺に送る。それをゆっくりと繰り返して自分が生きているという事実を確認する。

 鯨類は最大級の海洋生物でありながら水中で呼吸をすることができない。子どもの頃プールに遊びに行く度に、私は息を止めてじっと水中に潜っていた。そうすれば鯨と同じ気持ちになれると思ったのだ。この海をあてもなく泳ぎ回っているあの機械鯨も、もしかしたら同じ気持ちなのかもしれない。


 ——もし、本当にそうだとしたら。シャチの名を冠する潜水艇、その行動もまたシャチと似通ったものであるのなら。私の中にある一つの推測が浮かぶ。可能性は充分にあるはずだ。だがそれが当たっていたとして、私はどうするつもりなんだ。足掻いたところで結局徒労に終わる可能性の方が高い。……いや、それでもいいじゃないか。どうせ死ぬのなら最後にやれるだけのことをやってみよう。不思議と今はそう思うことができた。もしかしたらこれも姫のおかげかもしれない。ここにいた兵士たちが彼女を姫と呼び慕っていた理由がわかったような気がした。


 私が医務室に戻ると姫はベッドの上で私を待っていた。


「おかえりなさい。どこに行ってたの?」


「海を見に行っていた。それよりガンナーに聞きたいことがある」


「あら、じゃあ現実逃避は終わり?」


「そういうことだ」




 ガンナーは相変わらず管制室から海を眺めていた。それもまた彼に与えられた役割なのだろうか。私はその背中に声をかける。


「ガンナー、例の潜水艇について聞きたいことがある」


「なんだ」


「十年以上航行し続けているというなら動力源は電力のはずだ。いったいどこでどうやって補給しているんだ」


 鯨類と潜水艦は恒久的に潜水し続けることが不可能だという点は同じだ。種類によって頻度の差はあるが、鯨類なら酸素を、潜水艦なら燃料や電力を補給する必要がある。人間のいなくなったこの廃海でそれほどの長期間活動を続けることができるということは、この基地のような場所で発電された電力を使っているとしか考えられない。ガンナーは静かに思考にふけるようにしばらく沈黙していたが、やがて回答を示した。


「諸条件を考慮するとB3基地で補給を行っているとしか考えられない。おそらくB3基地も電力供給が可能な状態にあると推測される」


「やはりそうか……。なんとかしてそこへ行くことはできないか?」


「現在航行可能な船舶はこの基地には存在していない。仮に手に入ったとしても我々には船舶の操縦はできない」


 潜水艇に直接干渉できずともどうにかして補給を断つことができれば活動を停止させられると思ったのだが、現実はそう思い通りにはいかない。だがまだ諦めてしまいたくはなかった。どんなにわずかな可能性でもいい、何か方法はないだろうか。すると隣で話を聞いていた姫がガンナーに尋ねた。


「ガンナー、その潜水艇を破壊することは可能かしら?」

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