第8話 失望と希望

 逮捕から三日後、五月一〇日の木曜日、志保と光宏の勾留が決定した。その翌日の金曜日、久野は留置場へ鹿原志保に会いに行った。容疑者の友人と称して面会した。

 接見室に通された。すぐに警察官が志保を連れてきて席を外した。志保は長い髪をバッサリ切ってショートにしていた。心境の変化か環境が変わったからかと思ったが、あとで振り返るとそのときすでに覚悟ができていたのだろう。

 一五分の制限時間内で一つ訊きたいことがあった。

 久野の顔をギロリと睨みつけ、志保は無言で俯いた。

「いけんしてあなたは町をパニックに陥れたの?」

 観念したように項垂れていた志保は俯いたまま、ふふ、と無表情で口元だけを動かし、

「人が嫌い、町が嫌い、世の中が嫌いなのよ。ただそれだけよ」

 そう言うと横を向いた次の瞬間、舌を出して思い切り噛みきった。悲鳴が上がり、さきほどの警官が慌てて入ってきて、救命措置を施そうとした。

 あまりの痛さのせいか、志保は椅子ごと仰向けに倒れて失神した。

 久野はびっくりして立ち上がった。

「志保さん、死んだらだめよ。あなたは自分が犯した罪を償わなきゃならないのよ」

 久野は透明な仕切りを必死に叩いて、大声で呼び掛けた。けれど、久野の願いも虚しく、一時間後、志保はそのまま息を引き取ったらしかった。

 残された恋人の光宏のことを顧みない死に様だった。最初から最後まで、独りよがりな女だった。久野は哀れに思った。彼女にだれも手を差し伸べられないのを寂しく思った。心の闇は深すぎた。

 光宏に関しては、殺人罪、強盗致傷罪、共謀罪、犯人隠匿罪などでそれ相応の重い懲役刑になるだろうと思った。

 主犯容疑者のあっけない死亡を目の当たりにして、やるせない思いで胸が締め付けられた。もっと早くに志保を捜し出し、凶行を思いとどまらせていたら。


 一連の事件で猪里市の評判はガタ落ちになり、市長は責任を取って辞職せざるを得なくなるに違いない。久野も気づいていた。町の未来を考えると、真実を曲げずに報道するのは、一方では職責があり、他方では躊躇と動揺があった。志保とはちがった意味で、久野の心の中にも一種のせめぎ合いのようなものがドロドロしていた。

 それでも、編集長の言葉どおり、真実は一つでも書かれて困惑する人たちの心を癒してゆかねばならない、と思った。

 それは横に置き、猪里市の未来に泥を塗ることになっても、今後の教訓として、復帰している飯野に事件の特集記事の原稿を書かせた。もちろん、それは捜査関係者に対する取材に基づくものだった。


 特集 猪里市連続殺人事件 二人の容疑者のうち、鹿原容疑者は、辺鄙な町だから未来に希望が持てず、就職も決まらないまま大学を休学中で、退屈な毎日を持て余していた。四件の殺人のうち、三件はカムフラージュの殺人であり、軽微なきっかけからゲーム感覚で罰を与えたと供述。本来の目的は、四件目の被害者が父の後釜を狙う政敵であり、小学校のとき大切に育てた花壇を踏み荒らしたのを根に持って大人になり、殺す計画を恋人の福松容疑者と立てた。

 市長である父に大学を休学しているのを厳しく叱られ、テレビが来れば市が脚光を浴びる、父も市長の仕事をつづけられなくなるとの安易な考えを持った。ある種の歪んだ心を持ち、愉快さを求めていた。

 高校のとき飲酒事件をメディアに取り上げられそうになったのがきっかけでインターネットに実名が出回り、周囲からいじめを受け一時不登校になった。大学に入るも周囲になじめないこともあり、三年の終わりから休学中で、一部の大人に対する不信感を抱いていた。

 たとえ物的証拠が挙がっても、市長の娘だから絶対に逮捕されないという勝手な決めつけと、市民の生活を顧みない自己中心的な性格が犯行をエスカレートさせた。

 残忍な犯行を実行した鹿原容疑者と福松容疑者は全面的に犯行を認めたが、刑が確定する前に鹿原容疑者が留置場で自殺を図り、そのまま息を引き取った。

 町をパニックに陥れた残酷な主犯容疑者は罪を償うことも、被害者やその家族への謝罪の言葉もなくこの町から消えた。

 その後、検察は鹿原容疑者を被疑者死亡のまま殺人容疑で不起訴にした。これから、福松容疑者を起訴し裁判も開かれる予定である。はたして事件の真相は解明されるのか。

 新聞記者として事件に関わり、二度とこのような事件を起こさせないよう、猪里市が暮らしやすく明るい町に戻るのを期待する。(飯野悟)


 飯野の書いた原稿に目を落とし、久野はやるせない気持ちでいっぱいだった。最後まで残念な結果となった。


 翌週から五日間の代休を取り、二一日の月曜日から久野は出勤した。社会部の記者として、次に原稿を書くときは、猪里市の明るい、望みの持てるネタを仕入れたい。そう願い、気持ちをリセットした。平穏な日常に戻ろうと、久野は今日も、稲和県内の道路をクラウンで走っていた。

 ちょうどそのとき車のFM放送が一一時を知らせた。それに合わせるかのように、携帯が着信音を鳴らし、電話口で中平デスクの明るい声が響いた。

「Qちゃん、いい町ネタが入った。すぐに猪里市へ飛んでくれ」

「はい、これから向かいます」

 久野の声も弾んでいた。心なしか空の雲が減り、青い空が午後にかけて広がっていくようだった。

                             〈了〉

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パニックの町 森川文月 @hjk-0731

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