第3週 うみのおや

 もしも生まれ変わったら

 私は少女になりたい

 恋をしても良い少女に

 愛されても良い少女に


 もしも生まれ変わったら

 私はとんびになりたい

 彼を守る為に空高くから

 彼を導く為に空高くから


 ―――とある■■■と▲▲▲の下に送られた●●(前半)。


 めんどくさい。

 なるべくそう顔に出さないようにして、ローマンは粛々と神父として、悩み不安を抱える子羊の話を聞いている。

 ローマンが着任している教会がある矢追町は、様々な宗教施設が犇めき合う町だ。当然自分の弟妹も済んでいるし、伯父も叔父も住んでいるし、親友とは良く呑みに行く。相互理解を深めようと積極的になる者もいれば、拒絶する者もいる。ローマンはどちらかというと、『来る者拒まず』だ。それはローマン・カトリックのあるべき姿でもある。

 …あるのだが。

 めんどくさい!! うっとうしい!! ばかばかしい!!

 三ループ目に入った辺りから、ローマンの踵が動き出してきた。何でも目の前の老人は、オカルト雑誌が真面目なリアルを発信するような、そんな悪質な陰謀論に引っかかってしまい、盲目になってしまったようだった。

 …否や、死んだ直後ではなく、死んでから三日経って墓から死体が無くなったと言うだけで、復活だなんだかんだと、大まじめに信じている自分達も、めんどくさくてうっとうしくてばかばかしいのかもしれないが。

 それにしたって、アトランティス人の地を引く半魚人がどうたらこうたらの下りは、吹き出しそうになった。なんでも、数年前に上がった水死体は、禁断のアイによって海に入水したもので、その嘆きと呼応して、アトランティス人の………。あ、だめだ。真面目に考えることが辛い。

 その他にも、光と闇、善と悪の戦いが今起こっているらしいが、そう言う話は、幼い頃から割と数百年前まで大真面目に掲げ、戦争をやっていた黒い恥部を持つ自分に言わないで欲しい。二重の意味で辛い。

 …まあ、実のところ。

 老人の言っていることが、荒唐無稽で全く非現実的な話か、と言ったら、そうでもなかったりする。

 無論人間には分からないし区別がつかないものなのだが、信仰じぶんたちには、時々分かることがある。

 神に非ず、人に非ず、無論ひとでなしに非ず。さりとて悪とも反逆者サタンとも違う存在。

 所謂『人外』というものだ。神がそのように生れと創り、そのように生きろと誂え、そのように在りて笑えと祝福し、聖別した存在。若い身空では、自分も随分彼等と争ったものだが、今は時々、教会に遊びに来ることさえある。そんな時は、好きなように過ごさせているし、構って欲しいならそれなりに相手をする。

 矢追町は海に近い町なので、海に纏わる人外が、時々海に帰れないと彷徨っていることがある。大体は、余所からきた観光客に面白半分でついていって、海に帰れなくなったパターンだ。そういうものの世話をするのも、仕事の一つである。

 …しかし、人間の陰謀論の相手は、流石に身に余る。自分達のような存在でなければ、分からないことも分かることも、出来ることも出来ないこともあるだけに、はて、このたかが一つの教派ごときモノが、人の想像力という祝福を裁いていいものか、ローマンは未だに分からない。こと、情報化社会が進んできて、陰謀論が活発になってきてからは、尚のこと分からない。

 もう進展しなさそうなのだが、とにかく話が止まらない。この老人の家族からも、『家人が陰謀論に染まってしまって参っている、お祈りして下さい』と、相談を受けているのだ。ここで喋らせないと、『あの神父も騙されている』と言って、家で怒鳴り散らすかもしれない。

しかし、一応自分は人を模したモノである。疲れもするし苛立ちもする。

 自分を落ち着けるためのコーヒーポットの底に、茶色い淵浮かび上がり始めた頃だった。突然、何とも言えない『来客』の気配を感じ取って、ローマンはテーブルに手をついて立ち上がった。

「ど、どうしました?」

「すみません、急用を思い出しました。また今度お話ししましょう。」

「『今度』なんてありませんよ、世界はもう―――。」

 構っている暇はない。これは『ガチ』の奴だ。老人を押し出して、勝手に戻らないように司祭館に鍵をかける。ぽかんとしている老人を残して、司祭館の外へ飛び出した。

 パッと見渡した限りだと、特にそれらしき影はない。方向も明確ではない。老人が尚も追いかけてくる気配がしたので、司祭館の裏に回る。ここは倉庫にしているところだが、古株の信者であればあるほど知らない。何故なら、教会を子どもが探検して遊び場にしてよくなったのは最近だからだ。

「気配がする。この国で俺は誰も裁くことは出来ない。出ておいで、何か言いたいことがあるんだろう。」

 そう呼びかけると、気配は目の前に集まってきた。やはり、『人外』のようだ。強い敵意も感じるが、悪意は感じない。

 分かりやすく言うなら、『怯え』だとか『警戒』だとか、そういう感じだ。信仰じぶんたちに向かってそのようなものを向けてくる人外というのは、過去に自分がしでかしたことの被害者、その新しい姿である事が多い。

 現れた細身の女の腕には、原油かタールか何かのようなもので、真っ黒に汚れた鳥が死にかけていた。

「その鳥を癒して欲しいのか?」

「………おれは。」

 女の声は低く唸っていたが、確かにその声は女のものだった。

信仰おまえたちをゆるさない。」

「そうか。」

「おれの神は、おれの今際の際の願いを聞いてくれた。でも彼の神は、彼をこんなふうにした。見ろ! お前達が好む悪魔の使いの姿だ!」

 悔しそうに女は、愛おしげに抱く鳥を見せつけた。小さいが、呼吸は正常のようだ。

 …というか。

「悪魔?」

「そうだ! お前達はカラスが嫌いなんだろう!」

「いや、それカラスじゃないだろ。」

「またおれ達を騙す気か!?」

「ちょっとおいで。」

 先ほどの老人が諦めて帰ったことを確認し、香部屋に入った。ミサの準備道具なんかがいろいろある、神父達の更衣室だ。その中に、外に持って行く時のための聖水のボトルがあるのだ。手頃な布が無かったので、自分が首から提げている白いストラを濡らす。そしてその先を、女に渡した。

「これで拭ってみ。それでその鳥の楔が解ける。」

「毒が入ってるんじゃないのか!?」

「この水、確かにもとは水道水だけど、一応儀式を通した聖水だから、がぶ飲みとかはしたくないんだ。それに毒だったら、今裾を持っている俺の手が爛れてると思うけど?」

 女はじっとローマンを睨んでいたが、その鳥を心底愛しているようで、恐る恐るストラを掴み、十分握りしめ、ただの無害な水であることを確認すると、黒い鳥を拭った。

 ストラは見る見る内に黒く染まり、そして臙脂色になっていき、最期には錆色にまで色素が薄くなって拡がっていき、あっという間にローマンの首下までせり上がった。溶け出した血が、ローマンの祭服アルバの首下を汚す。

「…あ!」

 鳥を拭き終わると、闇だの暗黒だの、そんなチープな言葉では表せないほどに黒かった鳥は、茶色く雄々しい羽を艶めかせていた。

「そりゃ、とんびだよ。」

「とんび。」

 驚きの余り、女はオウムのようになる。すると、とんびは明確な意思を持って、首を持ち上げ、ローマンを見上げて言った。

「僕も信仰あなたがたをゆるしません。」

「そうか。」

「ですが、それは僕の怒りが澱んでこびり付き、妄執になっているからではありません。僕の愛する人が、ゆるさない人を僕はゆるさないからです。分かって頂けますか。」

「勿論だとも。安心して、お前達は新しい姿で暮らせ。」

「もうここには来ません。」

信仰俺達はどこにでもあり、どこにもない。お前達は社会俺達から解放された。愛し合う二人を引き裂いてはならない。教会もお前達を今、ゆるすことは出来ないが―――我が神がゆるし祝福し、与え聖別したものを、罪だの穢れだの言うことをする国じゃない事は確かだ。」

「…ありがとうございます、さようなら。―――僕を育てた神父様。」

「ああ、今度こそ幸せになれよ。―――この国は、お前達の国の『対岸』だぜ。よく歩き続けたな。」

 とんびは何も言わなかったが、女の顔つきは優しくなっていた。しかしローマンには何も言わず、女は、否や彼等は、今度は隠れもせずに、堂々と正門から教会を出て行った。


 神は万物を創造されました

 私達の母の胎に、神なる父は、私を形作られました

 だから私達は、土ではなく、海に帰ります

 私達は、この世を出て

 道徳あなたがたの与り知らぬところに行きます

 どうか探さないで下さい。見つけないで下さい。


 もう、ゆるして下さい。


 ―――とある指導者ファザー指導者イマームの下に送られた遺書(後半)。

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