第2週 「あ」

 対岸の火事でなくなれば、それだけ興味をそそるというのは、人間の性であって、決してそれが人でなしだとかという訳ではないだろう。…ひとでなしですらない自分達のような存在が言うのも難なのだが。

 定命の者や、死を理解する者、死を予期する者―――つまりは、自分の人生の残り時間の使い方を理解している存在というものが、「関心を持つ」ということそのものが素晴らしいのではないだろうか。祈ることしか出来ないもの、祈ることだけを選択したもの、生きて『キリストの教え』に逆らうことを選択したもの、死んで『キリストの教え』に従うことを選択したもの。それらを面白おかしく書き、想像力や正義感を掻き立てるような商売が野卑とは言わないし、寧ろその仕事で幸せになれるのなら、そういう記事を書いたって良いだろう。だが、それによって自分が不幸になるのなら、例え世間の意見とズレていようとも、自分が幸福になった方が良い。紛争地のための募金に使う100円玉で、駄菓子を大人買いして何が悪いというのだ。その駄菓子を食べて、少しの間だとしても、心が和やかになるのなら、少なくとも神は、紛争地の子どもの笑顔よりも、その笑顔を喜んで下さるに違いないのだ。

 2022年5月8日、極東の島国の朝ミサで、そんな話をした。世界は今世紀も、絶賛殺し合い。メディアの発達に伴い、『隣人』が増えたものの、それと同時に『隣人愛』は酷く廃れていった、そんな時代だった。


「―――約300年前の日本の詩人、ミツヲ・アイダの『わけ合えば』という詩の、ごく一部を切り取り、加工した画像であることが、検証の結果わかりました。」

「―――決して、当時の時勢について嘆いていたクリスチャン・ポエマーがいたわけでは無かったのですね。」

「寧ろミツヲ・アイダは、ブッディストです。悪意のある切り取りなのかどうかは分かりませんが、いくら優れたポエムだったとしても、だからといって作者名だけを削るのは、良くないことではないかと思われます。況してそれが、政治的プロバガンダに利用されたとすれば大問題です。」

「当時の日本の………。」


 ピッ、と、モニターを消した。久しぶりの日本の5月は寒い。兄の家では、まだこたつが出ていた。電源こそ入れていないが、入っていると温かい。床暖房なんかよりも温かい。これは素晴らしい。こたつに入って食べるみかんとアイスは格別だ、ということは、先日召された末娘の好むところであったので、マーティンも覚えている。

「ん? モニター消したのか?」

「消したよ。」

「結局誰だったんだ? 『わけ合えば』の作者って。」

「………あのね、兄さん。」

 こと、と、アイスとホットコーヒーを置いて、こたつに入った兄の顔に手を伸ばし―――ぐにーっと頬を横に引っ張った。

「いひゃひゃひゃ!」

「どーして日本の兄さんの信者なかま達って、あーゆうことするかなあ!? ヨーロッパだとそういうことしないのに!」

「いひゃいいひゃい!」

 ぱっと手を離すと、その台詞だけでなんとなく意味を解した兄は、頬を擦りながら言った。

「えーと、アレだろ? 2020年代に流行ったっていう、反戦詩の検証だったよな。半年前アメリカでやったっていうやつの吹替え再放送。」

「そーだよ! 日本から始まった、あの名文! おっかしいと思ったんだよ、日本のクリスチャンから広まったのに、『極楽』って言葉が出てくるあたり! 英語だとparadiseになってたから、一般人は気付かなかったみたいだけど!」

「………あー、そういえば。」

 すっとアイスを押し出して兄は斜め上を見上げた。

「あの頃、俺のいた教会矢追教会だったんだけど。」

「うん。」

「変な信者なかまがいたな。」

「変な信者なかま?」

「うん、著作権がどうのとか、ウクライナがどうのとか、なんか俺にはよくわかんなかったんだけど、老人達から煙たがられてた。元々変わった子達だったんだけど、あの時はやたらと激しく抗議してきたな。」

「21世紀冒頭って言ったら、僕のハニーもベイビーも日本人だったな。そんな問題、僕の教会では聞かなかったけど。」

「じゃあ、やっぱりあいつ等が変わってたんだろ。―――戦時下で著作権問題に気付くような子だったんだな。」

 そっかそっか、と、兄は少し寂しそうな顔をした。その表情が、その後その信者なかま達の末路を物語っているようだった。兄は一口ホットコーヒーを飲むと、あ、と、こちらに口を開けた。

「………何?」

「それ、半分くれ。」

 それ、というのは、自分の手元にあるアイスの事だろう。一つのケースに二つ入っているタイプのものだ。こたつに一番合う、老舗のアイスだという。

「………分け合っても戦争だからだめ」

「えー!」

 そう言って、一つかじる。牛皮に包まれたアイスクリームが、如何にも日本人の好みそうな触感だった。日本のアイスなら緑茶が合いそうだが、コーヒーにすると口の中でアフォガートのようになって、それはそれで美味しい。久しぶりに日本に来た自分に合わせたのだろう。

「ん。」

「ん?」

「一個で寒くなったから、半分残す。」

「わーい。」

 これで自分より1500年は永く生きているんだよなあ、と、思うと、少し兄の信者なかまの未来が憂鬱だ。もしやそのことを、件の信者は案じていたのではないだろうか。


―――


 うばい合えば足らぬ

 わけ合えばあまる

 うばい合えばあらそい

 わけ合えばやすらぎ


 うばい合えばにくしみ

 わけ合えばよろこび

 うばい合えば不満

 わけ合えば感謝


 うばい合えば戦争

 わけ合えば平和

 うばい合えば地獄

 わけ合えば極楽


―――相田みつを

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