捨てた数字、夢見た可能性

 アジア、グリーンアメジスト領内。元ネパール。

 世界最高のエベレスト始め、登山成功確率の低い山が連なる山の中で、多くの人が恐れる山がある。


 死亡率40パーセント。

 南は岩壁。北は雪崩れの多発する雪壁。

 ヒマラヤの豊穣の女神。別名、キラーマウンテンことアンナプルナ。


 標高8000メートルを超える山頂の上に、強風に煽られるヘリコプターが1機。


「本気で飛び降りる気か?! ハッキリ言って、死亡率40パーどころじゃないと思うんだが?!」

「ここまで来ておいて断念する選択肢があるものか。いいからさっさとドアを開けろ」

「ったく……! 無駄死にだけはするんじゃねぇぞ!」


 最早名物、金刀比羅ことひら虎徹こてつのスカイダイビング式戦場投下。

 しかし今回は、そこにもう一人。


「ほ、本当にこれ飛ぶんですか……?」

「怖気付いたか」

「その……やっぱり実際に見てみるとキラーマウンテンならではの迫力が……」

「威勢が良いのは最初だけか」

「な、舐めないで下さい! 私だって――ってちょっと! 見切り付けるのが早過ぎます!」


 パートナーとはいえ、臆した相手を待ってやるほど、虎徹は優しい人ではない。

 パラシュート無しでの垂直落下。我が身をあっさりと投げ売った虎徹の体は、本来人命救助等の緊急時でもヘリコプターが飛ぶ事を許さない気流の中を掻っ裂いていく。

 万物切断の術式が無ければ、まともに落ちる事さえ出来ない中で、虎徹は今回の標的となる魔性を発見した。


 標高8000メートル超の山頂を巣にして羽を休める怪鳥。

 頭上よりの敵襲を察して広げた翼の数は6枚。億を超える数の羽同士の摩擦から生じる雷電と共に、蛇の頭をした怪鳥が獅子にも勝る怒号で、鉛色の空を断ち切って降り来る虎徹へと吠えた。


 混合獣キメラ型魔性、バジリスク。格、S級4位。


「臨、ぴょう、闘、者、皆、陣、列、在、前――万魔ばんま調伏ちょうぶく九々如律令きゅうきゅうにょりつりょう

「いやあああぁぁぁ!!!」

「……うるさい」


 何だかんだ言って飛び降りて来た根性は認めるが、悲鳴が邪魔になるので止めて欲しい。

 しかし今そんな事を言っても仕方ないので、そちらは無視。取り出したる白銀の礼装に、轟く雷雲の中で命じる。


戦場いくさばに臨め、白光びゃっこう


 一本の鉄棒に力が通う。

 万物切断の術式を受けた鉄の塊が、バジリスクの吐き出す火炎を斬った。


毘沙門天ヴァイシュラヴァナ抜棍ばっこん――」


 翼を広げて、怪鳥が跳ぶ。

 飛翔能力はないが、飛翔と呼んでもいい滞空時間。その中で火炎を吐き、雷電を放ち、虎徹を撃ち落とさんとして来る。

 が、虎徹の鉄棒の一振りが全ての熱を両断し、炎熱も雷電も叩き潰した。


「“武装鉄棍ガダーウダ業力カルマ”」


 炎も雷も両断し、振り下ろした鉄棒が怪鳥の額を穿つ。

 頭蓋が砕け、眼球が飛び出し、血反吐を吐いて体勢が落ちた巨体が落ちる。

 山の北側に落ちた巨体は雪崩と共に滑落。数百数千メートルの距離を転げ落ちた巨体の至る箇所が折れ、怪鳥バジリスクは完全に沈黙した。


 投じられた札の中に異形の姿が絵として収まり、虎徹の手へと戻っていく。

 そうして目の前の敵を仕留めた瞬間をこそ狙っていた、雷雲を背に乗せながら滑空して来た。


 だが同時、彼女もまた落ちて来る。


「“天衣てんい無縫むほう天羽衣あまのはごろも”!!!」


 雷雲が割れ、晴天が垣間見える。

 一太刀に乗せた巨大な斬撃が怪鳥の背を一文字に切り裂き、揺らいだところに着地してすぐさま跳躍。

 体を捻りつつ天地を返し、落ちる怪鳥の首を見る。


「“新天しんてん高禍祓たかまがはら”!!!」


 電波塔の役目を担っていたとされる電波塔サイズの首が、胴体から斬り離される。

 預かっていた札を投げ付けると、首と胴体がそれぞれ切り離された鳥の絵となって封じ込められ、札を取った女騎士は背中に搭載された機翼きよくを広げて飛翔。

 落下速度を殺しながら、ゆっくりと降り立った。


「な、何ですか」

「いや。飛行手段を会得していたのなら何故飛び降りるのを躊躇したのだろうかと」

「ま、まだ使いこなせているとは言えないので! 慢心は出来ません! ってかその、ちょっとあまり見ないで頂けると、ありがたいのですが……」

「見るも何も、俺の目は機能していない。ただそちらに顔が向いているだけだが」

「と、とにかく向こうを向いて下さい! 見えないからわからないでしょうけれど、この形態は比較的露出箇所が多くて、その……恥ずかしいんです!」

「だから、俺には見えないと――」

「いいから! そっぽを向くようにして下さい!」


 わからん、と首を傾げながら一応背を向ける。


 虎徹には見えていなかったが、未だ名もない型の鎧は鎧と言うよりパワードスーツのような形態をしていて、両腕と両脚に装甲を纏い、両腰に剣を装備していたものの、両肩と腹部、太ももは肌を晒しており、そうでない部分も比較的薄い生地で覆われているだけだった。

 戦いの最中は敵に意識が向いているからいいが、そうでない時は露出の多さばかりが気になってまともに他人と相対出来ない。


 だから奇しくもアンナプルナの山頂は他人の目がない事に加え、魔性が次から次へと湧いて来るから都合だけは良かった。


 南の岩壁より伸びて来た巨大な手。

 山頂を掴まんとした手で虎徹を掴み損ねながら、追い掛ける形で山頂に乗り上げた巨体は白。両手足の甲に大目玉。頭についた8つの目も合わせ、12もの目が2人を揃って睨む。

 パンダのような6つの指が伸びる手足でしっかりと山肌を掴み、歩く歩幅は大股1歩で山頂部分を超えてしまいそう。

 三重に生えた肉食獣の牙を見せ付けながら吠える姿は、世界が滅んで尚姿を見せない――もしくは世界と同時に滅んだかもしれない未確認生物、雪男を思わせた。


「大量の視線を感じるが、あれは問題ないのか」

「魔性相手に、恥ずかしがっている場合なんてないじゃないですか」


 シルヴィが金剛こんごう土御門社つちみかどのやしろに入れられた事を知ったのは、今回の依頼を受ける2日前だった。


  *  *  *  *  *


「何故奴に社を使わせた、ドクター」

「おぉっとと。そんな物を向けないでくれ、虎徹。私と君の仲じゃないか」

「もう一度だけ訊く。何故シルヴェストール・エルネスティーヌに社を使わせた」


 社で自主練をしようと思って来てみれば、あるはずもない先客。

 自分以外に社を使う人間などいないはずなのにどうした事かと問い質しに来てみれば、Dドクター・ハーヴェイの悪だくみが露見したと言う訳だ。


「わかった、わかった。ちゃんと説明する。説明するからそれを仕舞え。武器なんて人を脅すために使うんじゃない」

「これは脅しに該当するのか?」

「喉仏に向けられた鉄棒。おまえならそいつで私の首を貫通出来てしまえるだろうに」

「なら話せ」


 虎徹は深々と椅子に座る。

 本来そこはハーヴェイの席で、他に座る場所はない。

 今この現状に限っての2人の立場を明確に示す、最適な構図だ。


「ハッキリ言って、今のままじゃあシルヴェストール・エルネスティーヌは死ぬ。確率は100パーセントだ」

「軽率だな」

「確かに相手は規格外番号ナンバーズだ。しかも君達が相手するのは、あれらの中でも上位種とされるペンドラゴン。君とて今のままでは、勝つのは難しいだろう。彼女の犠牲があって初めて勝機を得られる。そんな程度じゃないのかね」

「的確な分析力だ。さすがは科学研究チーム統括責任者」


 褒めているのは言葉だけだ。

 気持などこれっぽっちも含まれていない。

 脚を組んでふんぞり返り、腕組みをして天井を仰ぐその姿勢に、敬意など1ミリもなかった。


 しかしハーヴェイは怒らない。憤りを感じない。

 自覚しているからだ。彼をこのような形にしてしまったのは、自分達だという事を。


「だが、それでもまだ度し難い。おまえの計算では、社で鍛えればシルヴィの生存確率は上がると判断したのかもしれない。だがそこに、

「否定はしない」

「俺達が求められているのは勝利だ。今回の標的は龍種最強の魔性、ペンドラゴン。あれを前に、誰1人として欠ける事無く勝利出来る確率こそ0だろう。そしてその確率こそ、今までこの組織が捨てて来た数字のはずだ。そんな事は出来はしないのだと、夢を見ても勝てはしないのだと気付いた組織が作ったのが、虎徹おれだろう。なのに何故今更、その数字を目指す。シルヴィが死のうが死ぬまいが、最終的にペンドラゴンが祓えていれば、少なからず俺達の方は良いはずだ」

「今後の君を思っての事だ」

「今後」


 笑わない。彼は微笑さえ湛えない。

 せめてここで笑って飛ばしてくれたなら、人と人の会話として成立もしたのだろうが、今の虎徹とハーヴェイの会話は、複数の演算を終えたコンピュータと、新たな演算を試そうとプログラムを組む人間のやり取りと化している。


 交わしているのは会話だ。

 だが確率に勝率に数字と、人間らしい会話は出て来ない。

 ハーヴェイの感情ばかりがあって、虎徹の感情は、意思は、何処にも見られない。感じられない。金刀比羅虎徹という人間は、何処にも感じられなかった。


「今後とは、抽象的な表現をする。おまえらしくないな、ドクター。今後とは、いつの話だ。ペンドラゴンを倒した後か。しかしそれが終われば大王が待っている。アリスと名乗る異教団体の事もある。まさか、それすらも終わった後の事ではないだろうな」

「希望的観測は、人を前に進ませるものだ」

「そのまさかの後、。俺の役目は勝つ事だ、戦う事だ。魔性を祓う事だ。それ以上の価値はなく、それ以下の価値は不要とされた。生殖器のない体に後世へ託す遺伝子はない。術技とて、後世に遺し伝えても意味がない。大王を倒し、異教徒どもさえ駆逐した先にあるのは終結だろう。人々が再び肥え太り、争い、奪い合う戦争が起こるまで何年掛かる? それまで俺の体はつのか? あり得ない。俺の生きている間に次の戦いはない。俺の生涯は、この戦いの間だけに存在する。俺が死ぬか俺が祓うかの差異に生じるとは何だ。俺に何をしろと言う。俺に何を遺せと言う。答えろ、ドクター」


 文面だけを見れば、彼は憤っているのだろう。

 だが彼の言葉、口調には一切の感情がない。

 感情を籠められず、ただ事実を言われ問われるだけと言うのが辛いと言う事を、ハーヴェイは最近になって知った。

 他でもない、虎徹の存在が教えていた。


 嘆いて欲しいのでもない。同情して欲しいのでもない。泣いて欲しいのでもない。激怒して欲しいのでもない。苦しんで欲しいのでもない。後悔して欲しいのでもない。慰めが欲しいのでもない。慈悲が欲しいのでもない。愛が欲しいのでもない。憂いが欲しいのでもない。戒めが欲しいのでもない。罰が欲しいのでもない。罪が欲しいのでもない。


 欲するのは回答。

 ただ、それだけ。


 しかしそれは人間ではない。

 人間には感情があり、理屈だけでは通らない部分があって当然である。

 だから理屈も何でも、正当性がある回答ならば受け入れてしまえる虎徹はやはり、人間でなくなってしまっていると言っても過言ではなかった。


「君が最後まで戦い抜き、勝ち抜くまでだ。それまで彼女の人間性は必要となる」

「人間性? 戦力として何の数値にもならない物に、何の必要がある」

「虎徹。おまえは、武器だ。名匠が打った銘刀だ。そして武器は、人が使う者だ。その使い手として、私は彼女が相応しいと考えた。私の言う今後とは、君が今後とも武器で在り続ける。そういう事だ」


 一時凌ぎでも何でも良かった。

 彼はコンピュータ。的確な回答さえ貰えれば、納得するしないに関わらず受け入れる。

 例えこの回答が本心でなく、組織が最初に抱いていた今は破棄された構図だったとしても。


「そうか。ならいい」

「1つ、こちらも質問していいかな」

「何だ」

「君は興味が湧かないのかね? 恐怖の大王も魔性もない。異教徒さえ排した世界。この世の悪と呼べる物が全て淘汰された、世界のほんの一瞬に」

「……そのほんの一瞬が訪れた時、組織は俺を破壊する。その手筈だったと思うのだが、俺は、記憶違いをしているのか? ドクター」

「いいや」


 その時。その時だけ、初めて虎徹が感情を見せた。

 それは同年代の青少年が浮かべるには余りにも虚ろな、寂しさばかりが満ちた絶望だった。

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