第44話

 黒災を取り囲んだ隊員たちが一斉に炎を向ける。ぶわりと熱気が押し寄せて、思わず一歩後ずさった。


 炎は黒災の表面を舐め、じりじりと崩れていく。黒い灰が宙に舞い始め、俺は口元を押さえた。



「フウカ、これで口押さえてな」



 そう言って彼女にハンカチを渡すと、フウカは素直に受け取り、両手で口元を押さえる。後方で待機だからとゴーグルをつけてこなかったことを後悔した。目に灰が入りそうだ。



「フウカ、もう少し下がろう」



 フウカの腕を引っ張ったが、彼女は動こうとしない。ただじっと、黒災が燃やされていくのを見ている。



「……ママの声が、するのか?」



 フウカと出会ったとき、彼女は燃やされていく母親の、黒災の声を聞いたと言っていた。今も聞こえているのだろうか。しかし、彼女は静かに首を横に振る。



「ママは、多分あの子と一緒になってるから……」



「……あの子」



 きっとあの巨大な黒災を燃やしきった後には、フウカのような生命体が出てくるのだろう。それが一体どんな姿であるかは想像もつかない。


 フウカは、彼女が弟と呼ぶそれの誕生を待つように、黒災を取り囲む炎を見つめている。俺も、同じように待機している隊員たちもただ息をのんで見守っていた。



 黒災を全て燃やす前に、それは現れた。


 フウカのときとは全く違う、3メートルはあろうかと思われる、“何か“はずるりと体を引きずって黒災の中から出てきた。


 黒いヘドロのような物質が、大きな人型になっている。重そうに足を動かし、一歩一歩とこちらへ近づいてくる。


 あたりはパニックだった。黒災の対処に当たっていたものはバーナーを投げ出して逃げたり、動くことができずに呆然とそれを見上げて立ち尽くす者もいる。隊員たちの手が止まり、黒災は少しずつ元の形を取り戻していった。



「燃やせ! 黒災が元に戻るぞ! バーナーを吸い込ませるな!」



 ミオの指令が響き、ハッとしたように隊員たちはバーナーを握りなおすが、それはもはや無駄と言っていい行為だった。


 怪物の足元から、黒災がぶわりと生み出されている。それはすごいスピードで成長し、あっという間に俺らの身長を超える大きさになってしまった。


 隊員たちは慌ててそれを燃やそうと立ち向かうが、新たに発生した黒災に足を取られている。燃やせどどうしようもないと悟った彼らは、今度こそすべてを放って逃げ出した。



「なんだよ、あれ……」



 それが出てきた瞬間にフウカの腕を引いて走ったが、黒災はもう背後に迫っていた。黒災から出てきた怪物と、次々に現れる黒災を前に、他の隊員たちも立ちすくんでいる。ミオも目を見開き、その手は震えていた。


 とにかく逃げなければ。そう思っていたのに、フウカが俺の手をぐいと引いた。



「……フウカ?」



「パパ、私あの子のところに行ってくるね」



 あの子、と言ってフウカは怪物を指さす。耳を疑うような言葉だった。俺は彼女の手を握りなおし、馬鹿なことをと吐き捨てて逃げようとしたが、フウカは俺の腕を両手で必死に引っ張っている。



「お前を、あれの近くに行かせられるわけないだろう! いいから逃げるぞ!」



「でも、このままだと誰もあの子のこと殺せないでしょ? 私が、あの子に話して止めてくる。そしたら、あの子を燃やしてほしいの。

多分今はね、あの子ママの力を無理やり詰め込まれてるから、何もわかんないまま暴れてるだけなの。お願い行かせて」



 あのフウカが、小さな子供だと思っていたフウカが、俺の目を見て真剣にそう言う。ダメだと言って、フウカを抱えて走り出すのは簡単だった。でも、彼女の言う方法が正しい気がして、何も言えない。


 周囲が阿鼻叫喚の中、俺とフウカの間だけ時が止まっているような気がした。この手を離したら、彼女はきっと行ってしまう。



「……行って、何かあったらどうするんだ」



 そう言うと、フウカは悲しそうな顔のまま、誤魔化すように笑った。



「大丈夫だよ。……あのね、私はやっぱり人間じゃないんだよ」



 フウカの言葉に、心がずきりと痛む。そんなことはわかっていた。人間みたいな姿をして、人間みたいな表情で笑う彼女を、怪物なんかじゃないと思い込みたいだけだった。



「ママの声が聞こえたし、私のせいで、パパたちを忙しくさせちゃった。

みんなには見えないけど、私にもあの子にもママの力が流れてるの。ママは、私のときに失敗しちゃったから、その分あの子に力を注ぎこんでる」



 フウカの言うことの半分もわからなかった。けれど、俺がどんなに止めてもこの子は行くのだろう。今はただ、俺を納得させようとしてくれているだけだ。



「大丈夫だよ、私が絶対にあの子を止めるから。……それでね、あの子を燃やしたらね」



 フウカはほんの少し口ごもり、ぐっとこらえるように下を向く。次に口を開いた時、彼女の唇は震えていた。



「私も一緒に、燃やしてほしいの」

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