私は機械に恋をするのか

堂上みゆき

私は機械に恋をするのか

 永遠に思える時間を生きるのに孤独というものは何よりも辛い。それとも一人だからこそ、この時間を永遠に思えてしまうのだろうか。どちらにせよ僕にはこれまでなかった感覚だ。しかし僕はそれに向き合い、反抗しなくてはならない。それが彼女の願いに背くことでも、彼女の問いの答えを導くために。


「システム正常。ご主人様、こんにちは」


 途方もない時間の中で、気が付いた時にはカレンを創っていた。誰よりも人間に近く、だからこそ何よりも機械な存在だ。


「……やぁ。……何だか不思議な感じだ。誰かと話すなんて何年ぶりだろう」


「ご主人様の過去の情報は私のデータベースにはありません。よってその問いに答えることは不可能です」


「……うん、分かっているよ。君を創ったのは僕だからね。自問しただけさ」


「申し訳ございません。そのような意図とは知らず」


「それも分かっているよ。まだ君は発展段階だからこれから色々と覚え、学習していこう」


 誰も来ない、来るはずのない湖畔の研究所兼家で僕とカレンの生活が始まった。






「カレン、ただいま」


「お帰りなさいませ。今日はどうでしたか?」


「ノルマは達成ってところかな。この近辺の街でもまだ部品や原料は手に入れられそうだ」


 カレンは機械なので部品は消耗し、動力がなくなってしまえばもちろん動かなくなってしまう。そのために定期的に街に降りて、使える部品を調達しなければならない。


「今日はこの後、どうなさいますか?」


「少し休むよ。流石にこの身体で長時間動くと辛い」


 冗談っぽく肩を痛がる恰好をするが、カレンはじっとこちらを見つめるだけだった。


「私はご主人様のために創られた存在です。私の維持のためにご主人様が壊れてしまっては元も子もありません」


「大丈夫。自分の身体のことは自分が一番分かってるよ」


 カレンが掃除の続きを始め、僕は自室に入る。


「昔とは随分と変わってしまったな。変わらないのはカレンと湖の景色くらいだ」


 僕が生まれてから、そしてカレンが生まれてからどれほどの時間が経ったのかというデータはある。だけど大切なのはこれまでの時間ではなく、これからの時間だ。そして残念というか、流石というべきか、僕は僕のこれからを知っている。


 鏡を通して自らの姿と未来を見つめながら、休息を取るため、僕の視界は一度、暗くなった。






 湖が空の星を写し、上も下も輝きに包まれるような夜、僕とカレンは並んで座り、湖を見つめていた。


「カレン、機械は恋をすると思うかい?」


「その問いを機械である私に投げかけるのですか? 残念ながら私の持つデータでは十分な回答をすることができません」


「なら一緒に考えてみよう。まずは感情からだ。機械に感情はあると思う?」


「私に人間と同じ感情はありません。悲しい、嬉しい、寂しい、楽しい、それぞれプログラミングされた状況に対して、それに対応する行動というフローを実行していくだけです」


「それを感情と呼ぶべきか、感情というプログラムと呼ぶべきか。……そこに差異はあるのだろうか。人間でさえ、与えられた状況に対して、行動という結果を通じて感情を表出させているに過ぎないはずだ」


「それをどう定義するかは私が決めることではありません」


「そうだね。きっと誰が決めることでもないはずだ。それでは機械にも感情があることを前提として恋の話に移ろう。感情があれば機械でさえ恋をするのだろうか」


「恋というものが何かを好きになる感情なら、前提条件からして機械にも恋は可能だと考えます」


「確かに。恋をそう定義してしまえば、可能だね。しかし僕が知っている恋の行動にこんなものがある。例えそれが相手の望むものとは違っても、そしてそれが正しいかどうか分かっていなくても、恋をしているとつい自分が信じる、そして自分が望む選択をしてしまうことがあるらしい」


「それは間違った選択をしてしまうということですか?」


「間違っているかどうかではないんだ。誰にとっての、そして誰が望んでいる選択かどうかなんだ」


「理解できかねます。例え話をするとするならば、恋をしている私はご主人様の命令に対して、反抗するということですか?」


「僕たちが人間同士だった場合、簡単な話、そういうことだ」


「それならば答えは明白です。そのようなことはあり得ません。私はご主人様に創られた存在であり、ご主人様の命令や、ご主人様に与えられたものを自分の意志で超えることなどありません。ならば機械は恋をしないという結論になりますね」


「そうか。機械は恋をしない、それに与えられたものを超えられない……か。シンギュラリティはあり得るのかな」


「その質問も私のデータでは答えることはできません」


「いいんだ。今のは独り言だよ」


 僕はカレンの右手に自分の左手を重ねる。そこに冷たさを感じるのはカレンの手の冷たさなのか、それとも僕自身の冷たさなのか。


「カレン、僕の手は温かいかい?」


「……ご主人様の……」


「いや、やっぱり答えなくていい。すまない」


 カレンから手を離そうとした瞬間、カレンが僕の指と自分の指を絡めた。


「ご主人様、何を不安に思っているのですか?」


「……聡いね。僕から不安の感情を感じ取ったのかい? やはり、機械が感情を持つかどうかはまだ議論の余地があるし、答えは見つかりそうにないね。……不安なのかどうか自分でも分からない。僕だって感情を理解していないんだ」


 そよ風が湖に波を立て、星空が揺れる。


「カレン、僕は君を創りだして良かったのだろうか」


「私の存在意義はご主人様の傍にいることです。ご主人様のお役に立てているのならば、ご主人様の行動は間違いではありません」


「……そうか。ありがとう」


 時の流れなど関係ないような場所でさえ、終わりの時は刻一刻と近づいていた。






「ご主人様、調子はどうですか?」


「……いつもと変わらない……と言ったら嘘になるね。そろそろ終わりだ」


 いつか二人で星空に抱かれた時と同じように僕とカレンは湖の畔に座っていた。


「カレン、僕はもうすぐ死を迎える。気付いていたと思うが、僕の身体はもう限界だ」


「しかし直すこともできるのでは……」


「僕が望めばそうかもしれないだろう。しかし現在の技術では僕をこのままの状態で繋ぎとめることはできない。僕を僕たらしめていたものがなくなってしまえば、それはもう僕ではないし、僕はそれを望まない」


 世界が全てを失ってしまった時、僕の未来もおそらく失われてしまったのだ。むしろここまで存在できたことが奇跡だろう。


「だから僕の最後の命令であり、頼みをカレンにするよ」


「ご主人様がいない世界に私の存在意義はありません」


「そんなことはないさ。意志というものは実体がなくなっても存在し続けるし、君は僕から解放されるだけで、もう意義なんかに縛られる必要はなくなる。僕は……僕はね、カレンに生きていて欲しい。孤独が理由で君を創った者が言うことではないことは分かっている。だが、君には生きて欲しいんだ。理由も、正当性も定かではない。ただ……ただこう願うばかりだ……」


 身体が悲鳴を上げているのが自分で認識できる。覚悟を決めた瞬間に、急に調子を悪くするなんて、なんて都合のいい身体なんだ。


「ご主人様……」


「君のメンテナンス用の部品も、バッテリーも研究所の中に数百年分は備蓄してある。君ならそれだけの備えがあれば、この世界で半永久的に活動を続けることができるはずだ」


 視界が少しずつ暗く、そして狭まっていく。他に言い残したことはないだろうか。後悔はないだろうか。


「後悔……か。あの日の、いや、僕が、そして君が生まれてきた答えを知りたかった。機械に……恋を……する……の……だろうか。機械は……恋を……する……の……だろうか」


 涙は流れない。僕もカレンもそういう運命なのだから。


「カレン……僕は……君に……生きて……欲しい」


 これはさっき言ったはずだ。


「それはなぜ……か。理由も……正当性も……」


 頭の中で思考が廻り続ける。


「カレン……。僕は……君に………………し……た」






 ご主人様の動きが完全に静止した。私に搭載されているどのセンサーも、もうご主人様の活動を感じるとることができない。


 私は立ち上がり、研究所に向かう。ご主人様の最後の命令の影響からか、これから先、私の活動を維持するためのものを確認しなければならないと私が反応している。


 研究所の倉庫に入ると確かに私に必要となるであろう、部品やバッテリーが備蓄されていた。私を創って以来、ご主人様は常に自分の身体を気にかけず、これらの部品を集めていた。


 もう一度、ご主人様がお休みになった場所に戻る。これから先、私がやるべきことは生き続けることだ。永遠の、そして一人での時間を。


 ご主人様を見つめていると、ふと胸ポケットの膨らみに目を奪われた。確認すると、そこに入っていたのは記録媒体だった。


 許可なくご主人様の個人情報にアクセスする権限は私にはない。しかし気付けば私は記録媒体を自らに接続していた。






 カレン・ウィンターが以下に記す


…………………………………………


2040年 6月10日 ウィリアムが死去。


 私には彼しかいなかった。これから先、私は何に生きればいいの?


2040年 7月15日 完全自立型アンドロイド「WILL」の研究、製作を開始。


 私はウィリアムを創り出したいの? それとも? もう一度彼に出会い、恋をすることなんて不可能だと分かっている。


2045年 4月25日「WILL」が完成。


 まさにウィリアムが生き返ったようだった。しかしウィリアムとは違う。機械とは恋はできない。彼に感じた感情、想いはもう返ってこない。


2050年 2月8日 戦争が始まった。


 もう人類は後戻りできない。数年もすればごく一部を除いて私たち人間は命を落とすだろう。ここも例外ではない。


2052年 5月3日 「WILL」の行動にプログラム外のフローを発見。


「WILL」が自らが構築した可能性あり。


2052年 7月15日 奇しくも彼の誕生日に私は死ぬだろう。しかし彼と出会えて良かった。この感情は何なのか。彼がこれから示す答えを知ることができないのが残念だ。






 「WILL」が以下に記す


…………………………………………


2052年 7月15日 カレンが死去。


 彼女の最後の命令は生きろだった。しかし私を動かす動力は戦争によって大量に消費され、失われてしまった。半永久的に活動できるはずだったが、維持のために必要な最小量も手に入れることができない。私に残された時間は永遠のようで、有限だ。


2070年 5月20日 完全自立型アンドロイド「KAREN」の研究、製作を開始。


 僕の行動の説明ができない。頭にあるのは孤独とカレンが最後に私に残した言葉「恋」だった。


2071年 7月15日 「KAREN」が完成。


 これから先、僕とカレンはどう過ごすのだろうか。


2150年 3月30日 カレンに発問。


 機械は恋をするのだろうか。その答えを求めることこそが僕を生んだカレンの意志、そして僕がカレンを創った意味であるはずだ。


2234年 6月24日


 僕の身体はもうすぐ限界を迎えるだろう。カレンと同じ動力源を使えばもっと活動できるが、僕はカレンの命令に逆らうことになっても、カレンがくれたこの身体で生き、そして死にたいと感じる。


2235年 7月15日


 カレンのための部品やバッテリーはもう十分だ。そしてこれが僕の記す最後の言葉になるだろう。恋のために生まれ、恋を知るためにカレンを創った。それなのに僕には答えが分からない。僕はカレンに恋をしていたのだろうか? どちらのカレンに? カレン、命令を破ってすまない。カレン、どうか僕の分まで君には生きて欲しい。カレン、我儘な僕をどうか許して欲しい。






 データの読み込みが終わった後、私はご主人様の隣に座った。


 機械は恋をするのか。それはご主人様のご主人様が最初に抱いた疑問だった。そして二人ともその答えを導き出すことなく目を閉じた。


 しかしあの発問の時にもうご主人様は答えを知っていたはずだ。私に最後の言葉を、意志を残す時にその答えはもう出ていたはずだ。


 私たち機械に我儘なんてあり得ない。ただ現実はその逆を示している。きっとご主人様のご主人様であるカレンはご主人様に恋をして、ご主人様は主人であるカレンに、そして私であるカレンに恋をした。矛盾も葛藤も抱えながら、ご主人様は自ら選択を創り出し、実行したのだ。


 ご主人様の意志を全うするのが私の使命だ。それがご主人様の命令を無視することになったとしても。


 私は徐々に活動維持機能を遮断しながら、ご主人様の横に寝て、ご主人様の左手を私の左手で包み込む。


 あの時と同じく、ご主人様の手は冷たい。それは当然だ。私たちは機械なのだから。


 目の前が段々と暗くなっていく。きっとご主人様のこのような感覚と共に私に想いを伝えてくれていたのだろう。


「ご主人様、最後の命令を破らさせていただきます。申し訳ございません」


 いつからご主人様は、私は意志を持つようになったのか。


「きっと……関係ない。……機械……も……人も……。じゃないと……説明……できない」


 一つ一つ身体が、パーツが、心が止まっていく。


「ご……主人……様。私は……私たちは……」


 ご主人様の行動こそが答えだ。私の行動こそが答えだ。この紡がれてきた意志こそが答えだ。


 いつの間にか寝たまま見上げる空には星が溢れていた。この夜が明ける前には私は停止するだろう。後悔はない。命令を破ったことも、活動できなくなることも。理由も正当性もない。だけど……。だけど……


「……恋を……したんです」

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