第37話 向けた背中は拒絶じゃなくて
「かーおりー」
いい匂いのする鍋をかき混ぜて、火加減を調整していると、寝室から紘平の呼ぶ声がした。
圧力鍋で作る豚の角煮は前回も大好評だったので、今日は倍の量を作っている。
冷凍保存しておけば、夕飯のメニューに悩んだ時にも使えるし、一石二鳥だ。
二人暮らしだし、大きな鍋は必要ないと思ったが、主婦の先輩になる親戚のおばさんに、大は小を兼ねるから!とごり押しされて、1サイズ上の圧力鍋を購入した。
あの選択は間違ってなかった!!
さすがベテラン主婦は違うわ!!
置き場に困るから、と遠回しに拒否する佳織の腕に、鍋を押し付けた頼もしい先輩の顔を思い浮かべる。
後は待つだけの状態にして、エプロンを外してキッチンを出る。
さっきまでテレビを見ていた紘平は、探し物があったんだ、と呟いて寝室に戻っていた。
「なーにー?探し物見つかったのー」
お米も炊飯器にセットしてあるし、具だくさん味噌汁も温めるだけ。
殆ど夕飯の準備は終えている。
目的のものが見つからないなら手伝ってもいいな、なんて軽い気持ちで寝室のドアを開けた佳織は、待ちかねていた紘平の笑顔を見た瞬間、回れ右をしたくなった。
嫌な予感しかしない。
「・・・なに」
「いいからいいから、こっち来いって」
にこにこと手招きする紘平は、さっきから片手を後ろに隠している。
「探し物は?」
「ああ、見つかった。すぐに」
「あ、そう・・夕飯まで時間あるからついでに、テレビボードのブルーレイ片づけちゃって・・・え・・」
紘平の前までやってきた佳織が、彼の背中からチラリと見えたブツに表情を硬くする。
佳織の表情の変化に気づいた紘平が、すかさず佳織の腕を掴んで逃げられない様にした。
それから、背中に隠していたものを前に差し出す。
「お前さ、こーんないいもん使わずに捨てるつもりだったのか?」
白いフリルが3段重ねになったそれは、新婚仕様のエプロンだった。
「っな!!な、な、んで・・・」
圧力鍋を勧めてくれたおばさんが、結婚祝いに贈ってくれたエプロン。
いつの時代の新妻ですか?と言いたくなるようなフリフリのデザインに、箱から出さずに封印を決めた佳織。
半年ほどクローゼットの中で寝かせていたが、一生使う事もないし、場所を取るだけなので、申し訳ないが処分してしまおうと思う、と亜季に零したのだ。
使わないの勿体無いよー、エプロンに罪はない、なんてしたり顔で言っていた親友の顔を思い出す。
「あ、亜季だ!!そうでしょ!!」
掴みかかる様に尋ねたら、紘平がにんまりと頷いた。
「いい親友持ったよなー俺ら」
「信じらんない!!亜季のやつー!!!」
「なんでだよ、むしろ感謝しとけって」
「するわけないでしょ!!面白がって言ったのよあの子!」
「面白いっつーか・・楽しくはあるよなぁ・・コレ・・」
見ているだけで恥ずかしくなる可愛らしいデザインは、佳織には受け入れがたいものだった。
「どこで買ったんだろおばさん・・・ほんっとあり得ない・・」
機能性を綺麗に無視した、見た目重視のエプロンは確かに新妻仕様ではある。
「捨てるの勿体無いだろ?」
「勿体無いって言っても・・使えないし」
「なんでだよ」
「おかしいでしょ!私がコレ付けてたら!!馬鹿みたいでしょ!?」
「馬鹿みたいかどーかは俺が決める」
そう言って、紘平がエプロンを広げた。
目の前で揺れる真っ白のフリルに、佳織がぶんぶん首を振る。
「無理、絶対無理!」
「何でだよ。たまにはいいだろ」
「たまにってなによ!そういう可愛いのは暮羽ちゃんとかの専門で・・」
いつだって亜季と揃ってカッコイイ女だと言われてきた。
そういう自分が好きだった。
同性から、憧れられる女性でいられる事は、ちょっとした自慢だ。
だから”可愛らしい”とは無縁でも特に気にしていなかった。
”可愛い”に憧れがないか、と言われたら、そんなこともないけど。
間違いなく”可愛い”の部類に入る女子を見るたび、ほんのちょっと、胸の奥が疼いたとしても、それはもうしょうがない。
”素質”のあるなし、って重要だと思うもの。
可愛い要素を持っていないあたしが、逆立ちしたって、可愛くなんて、なれっこない。
「相良にでも押し付けたら?それ」
素っ気なく答えた佳織の額を、紘平の指が弾いた。
「いたっ!なによ!!」
「あのな、俺が見たいんだよ」
「・・・は・・・?」
「可愛いお前を」
いつになく真剣みを帯びた視線で言われて、佳織がたじろぐ。
「・・だ、だから・・・」
可愛いとか言われても、無理なものは無理で。
「なんでわざわざ直純を喜ばせるよーなことしなきゃなんねぇんだよ・・
まずは俺を喜ばせろって」
「喜ぶの!?」
「喜ぶよ」
「・・・ただのエプロンだけど・・」
「佳織が自分じゃ絶対選ばないヤツだよな、それ」
「まあ・・・そうね・・・多分一生この手の服着ないと思うし」
30年自分と付き合ってきたのだ。
自分に何が似合って、何が似合わないか、嫌というほど理解している。
似合わないもの、丸襟ブラウス、プリーツスカート、水玉、リボン、フリル、レース。
俗に言う”女の子っぽい”もの全般。
「別にフリフリのスカート履けとか言わねぇからさ。そもそも俺の好みじゃないし」
紘平の好みは、綺麗めの知性派美人。
小動物系のアイドルよりは、演技派女優。
佳織の知る限り、紘平からレースのついた洋服を勧められた事は一度も無い。
そういうところは好みが似ていて助かっている。
「これ、そーんな嫌か?」
広げたエプロンを佳織の身体に当てて、紘平が尋ねる。
「悪くないと思うけどなぁ」
「もっと似合う人がほかにいると思うけどっ」
「俺別に暮羽ちゃんにコレ着せたいとか思わねぇし」
「そんな邪なこと考えてたら相良に殴られるわよ」
呆れた顔で佳織が突っ込む。
「いかにも奥さん、って感じでイイと思うけど」
押し付けられる形になったエプロンを、抱き留める様に佳織が俯く。
奥さんである事に違いはない、が、なんか違う。
「白なんて汚れるし・・」
脂や調味料が飛ぶこと必須のキッチンで使うには、あまりに実用性がない。
「あのなぁ・・・だから、いいんだろ」
心底呆れた口調で紘平が言って、佳織の頬を引っ張った。
「なにが・・」
良く分からない。
白は確かに清潔感もあるし、清楚な印象を受ける。
でも、そこまで白に拘る必要があるのか。
思い切り眉を顰めた佳織の耳元で、紘平が低く囁く。
「真っ新だから、染めてやりたくなるんだよ」
「・・・っ!!」
「まあ?もうとっくにお前は綺麗に染められてるけどな」
確かめる様に紘平の指が、背骨のラインをするりとなぞる。
「っん!」
誘う様な、強請る様な触れ方に、佳織が息を飲んだ。
「いー反応」
楽しそうに口元を緩めて紘平が笑う。
「お前が躊躇うなら、俺が着せてやろっか?」
「よ、余計なお世話よ!」
佳織が身を捩って背中を向ける。
「と、とにかく、これは処分するからっ文句言わせないわよ」
奪われないようにエプロンを抱き込んで、佳織が頑なに拒否する。
その肩を、後ろからそっと抱き寄せて紘平が呟く。
「相変わらず強情だなぁ・・・いいけど」
「・・悪かったわ・・・やんっ」
カットソーの襟元を開いた紘平が、遠慮なく首筋にキスを落とした。
撥ねた肩を押さえて、そのまま鎖骨へと舌を這わせる。
「ちょっとぉっ」
佳織の非難をものともせずに、紘平は裾から掌を忍び込ませた。
くびれたウエストをするするとなぞった掌が、上へ上へと這い上がってくる。
「っ・・・んっ・・・」
擽るように指の腹で脇腹突かれて、佳織が身を捩る。
「ご・・強引っ・・っや・・」
「俺が強引なのは今に始まったこっちゃねーよ」
「だ・・っ・・・んっ・・・っ」
伸ばした指で顎を掬われる。
反論する暇もなく唇が重なった。
紘平の吐息が艶っぽくて、熱い。
「っは・・・っ・・ん」
舌を絡めるたびに胸の奥で生まれるのは愛おしさ。
強気な言葉とは裏腹の甘いキスに、佳織の意地がグズグズに溶けていく。
「佳織・・どーする?このままされるか、コレ、着るか」
唇を僅かに離して、紘平が吐息で尋ねた。
もはや選ぶ余地はない。
佳織は必死になってエプロンを胸元に描き抱いた。
「き、着るわよ!着てやるわよっ!それでいーんでしょっ!」
待ちかねていた妻の返事に、紘平が嬉々として微笑む。
少しだけ腕の力を緩めて、背中を向けた佳織がエプロンに腕を通すのを見守った。
痛い位の視線を感じながら、佳織がそろそろと背中のリボンを結び終える。
きゅっと結んだリボン。
反対に解けたのは心のリボン。
紘平がどんな顔で待ち受けているのかと思うと、振り向きたくない、物凄く。
俯いて固まったら、紘平が肩を覆う髪をかき上げて、耳たぶにキスをした。
「なあ・・・俺さぁ」
「・・なによ・・」
「お前のそういうとこ、好きだわ」
「・・・え・・どういうとこ?」
今までの一連の行為の、いったいどこに紘平は惹かれたのだろう。
突然すぎる告白に嬉しいというより驚きの方が勝ってしまう。
怪訝な顔で振り返ると、紘平がやれやれと肩を竦めた。
「だから・・・」
佳織の肩をもう一度抱きしめて、今度は頬に唇を落とす。
「俺の言葉に翻弄される、可愛いとこだよ」
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