第26話 夫の我儘

何で今更こんなとこで、密会めいたことを・・・


佳織は隣で平然と煙草を吸う夫を睨み付けた。


”付き合えよ”というのは、昔からの紘平の口癖で、しかも、相手の返事を必要としない。


来る、と分かっている者にしか、この言葉は使わない。


あっさりと紘平の後をついて来てしまった自分も自分だが、わざわざこんな風に妻を連れ出す紘平も紘平だと思う。


が、あまりにも美味しそうに煙草を吸う姿を見ていると、言い返す気にもなれない。


八つ当たり気味に、風下に立つ紘平の手から、煙草のケースを掴み取る。


中を確かめたら随分と減っていた。


思い切り顔を顰める。


「本数減らしてって言ってんでしょ」


「つってもなー、口淋しくなんだよ。車とか乗ると特に」


「・・・肺がんで看取るなんて御免だからね」


佳織の言葉に、紘平が片眉を上げて嬉しそうに微笑んだ。


「看取ってくれんのか」


「へ、平均寿命考えたら、あたしが後に残るでしょ!?」


幸か不幸かこの国では、男性の平均寿命が79歳、女性の平均寿命は86歳なのだ。


同い年の二人は、普通に歳を重ねれば、間違いなく紘平のほうが先に逝く。


「そらそーだけどな」


口元を緩めて見つめてくる紘平の視線から逃れる様に、佳織が視線を逸らした。


「なによ!?」


「いや、お前が将来とか、老後の事、考える様になるんなんてなぁ」


紘平と結婚してから変わった価値観、増えた感覚を暗に示されて、佳織は頬が赤くなる。


「なによ、結婚したんだから、考えだって変わるわよ。あんたが先に死ぬってなったら、家のローンの事とか、子供の事とか、あれこれ考える事沢山あるし・・・」


「買っても無い家や、生まれても無い子供の心配かよ?」


呆れた顔で呟いた紘平が、取り返した煙草ケースから一本出しつつ、佳織に向かって差し出す。


「ちっと落ち着け、な?」


「いらないわよ、もう吸わないから」


刺す様な視線で紘平を見返して、佳織が髪をかき上げた。


「なんだよ、たまには吸やぁいいのに」


「あんたねぇ・・・妊娠」


「え!?」


佳織の言葉に、思わず紘平がぎょっとなる。


「したのか!?」


「違うわよ!そういう可能性だってあるでしょ!?」


「あ・・・ああ・・・そう、だよな・・・」


「いつまでも二人じゃないかもしれないし・・・」


思い切り動揺してた紘平が、慌てて煙草を消した。


結婚して、夫婦になったのだから、当然在り得る未来だ。


「とか、色々考えてたら、煙草はね・・・ちょっと控えようと思って」


「・・・そっか・・・そーだよな・・・」


ずるずると佳織の隣にしゃがみこんだ紘平が、嘆息した。


積極的に子作りをしているわけでもない。


けれど、子供に対して消極的な考え方というわけでもない。


避妊していない以上、いつ出来てもおかしくない状態にある。


身体を重ねる度に、子供が出来るかも、なんて考えてはいないけれど。


でも、煙草を吸いたいとは思わなかった。


「何改まって驚いてんのよ。そのつもりで昨夜も付けなかったんでしょうが」


「いやー・・・そのつもりっつーか、なんっつーか、気持ち良さ?」


「・・・あんたねぇ・・・」


「いや、だってな佳織。全然違うんだって、アレ、あるのと無いのと」


「っ!!知るわけないでしょ!そんな事!」


大声で言い返した佳織の腕を掴んで、紘平が下に引っ張る。


必然的に腰を下ろすことになった佳織が、思い切り不服そうな顔をした。


そんな佳織の頬を突いて、紘平が苦い顔で笑う。


「お前の方が、冷静なんだろうな」


「え?」


「結婚して、浮かれて、現実見えてねぇのは俺のほうなんだろうな」


「何言ってんのよ」


「実際、言われるまで、将来とか、子供とか、何も思い浮かばなかったもんな。俺にとっちゃ、この現状が全てって事だ」


ふいに繋がれた左手。


紘平の太い指が、佳織の結婚指輪をなぞる様に回された。


そこにある事を確かめるような仕草。


「結婚指輪嵌めたのは、紛れもない俺自身なのにな」


「紘平・・・」


自嘲気味の告白に、佳織が小さく笑って夫の髪を撫でた。


こういう弱音は珍しい。


いつも佳織の前を歩く紘平が、後ろで立ち止まって、佳織が振り向くのを待っているような感覚。


「・・・私も、結構新婚ボケしてるわよ。あんたが輪をかけて酷いから、見えてないだけよ」


「・・・お前さぁ」


「何?」


「・・・もっと俺に溺れろよ」


「・・・ば、馬鹿なの、紘平」


思わず佳織が唖然となる。


何て事を言い出すのだ。


二の句を紡げずにいる妻の唇に音を立ててキスをして、紘平がにやりと笑う。


「そーすりゃ、俺はもっと現実見れんだけどな」


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