第6話 ~回想編~別れと始まり

駅前で出発を見送る同期達の姿を遠目から眺めていた。


”行かない”と嘘を吐いて、頑なに拒んだ見送り。


佳織はいない事になっているから、絶対に見つかるわけにはいかなかった。


紘平を取り囲み、賑やかに別れを惜しむ顔馴染みの面々にホッとした。


紘平もその方が嬉しいはずだから。



☆☆☆



あの日、紘平は少し寂しそうに笑ってから、見送りに行かないと言った佳織の頭を軽く叩いて見せた。


明るい問いかけは、どんな感情の裏返しだったのだろう。


『なに?今さら泣いちゃう・・とか?』


『ありえないから・・』


咄嗟に切り返して、けれど内心穏やかではなかった。


ざわついた気持ちは、間違いなく”寂しい”の色をしていて。


けれど、それを絶対に口に出したり、顔に出したり出来なかったから。


僅かでも“未練”なんて覗かせちゃいけない。


振りほどいたあの手に、後悔なんて残しちゃいけない。


別々の道を。ね。


明日からまたいつも通り。


苦しい気持ちは時間と共に薄れて、生活の中にまぎれて溶けて行くから。


大丈夫、大丈夫。


自分の手は、自分で握って行きましょう。


何もいらない、選ばないって、自分自身が決めたんだから。


声はかけない。それでいい。


これ以上ここに居たら、決心が鈍るのは自分の方だ。


相良や亜季と笑いながら話す紘平をもう一度だけ振り返って、駅を出る。


今度、会うときは、ただの同期だからね。


別れ際、念を押すように言ったのは佳織だ。


紘平は肩を竦めて呆れたみたいにこう言った。


『だから・・俺、諦め悪ぃよって』


『私が頑固なの、誰より知ってるでしょ?』


納得できないことには、とことんまで戦う性格。


損もしたけど、でも、こういう自分は嫌いじゃない。


間違ってることを、妥協で続けるなんてできない。


そんな簡単に自分を変えられない。


そんな簡単に自分を変えたくない。


綺麗ゴトで、切りぬけて行けるなんて思ってない。


唇を引き結んで彼を見つめ返すこと5秒。


紘平がいつものように先に折れた。


『・・・分かったよ・・でも、佳織。ほんっとにどーしょーも無くなったら、直純や亜季じゃなくて、まず最初に俺んとこ来い』


有無を言わせぬ物言い。


不意に緩んだ涙腺を必死に保って佳織はいつもの口調でつっけんどんに言い返す。


『・・・何言ってんの』


精一杯の強がり。


自分でもびっくりした。こんなに嘘つくのが下手クソになってたなんて。





★★★★★★




誰が罪だと詰っても、貫いてみせる覚悟でいた、あの人の時だって、そうだった。








「わざわざ見送りに来てくれてありがとう」


新幹線のホームでそう言って微笑んだ日高。


本社で受け取った送別の品々を優しく抱えるその腕から、意識的に目を逸らした事を今でも覚えている。



「なーに言ってんですかぁ!水臭いなぁ!」


「でも、俺のせいでみんな仕事抜けてきたんだろ?」


ぐるりと見回した視線の先には、私を含めて5人の部署メンバーが揃っていた。


花束を持った私の隣で、入社当時からの部下だった先輩がみんなで作ったアルバムを手渡す。


「日高さん・・色々・・ありがとうございましたっ」


「沢津、ありがとう。お前もそろそろいい人見つけて結婚しろよ?もう世話焼いてやれないからな?」


「よっ・・余計なお世話ですーっ」


優しくて、けれど凡ミスの多いちょっと抜けた所のある沢津は、気のいい先輩で、そして、かなり涙もろい。


「・・・辻・・沢津のフォロー頼むよ?元気でな」


上司の顔で、そう言って笑う彼に、鮮やかな花束を手渡す。


いつもの穏やかな声で返ってきた、ありがとう。に本当に終わりなんだと思った。


そっと抱くように花束を受け取った彼の手が、綺麗に離れた。


自分を導き、守った腕が、酷く遠く思えて、たぶん返した表情も明るくはなかったはずだ。








覚悟も、していた。


本当は、ずっと、ずっとまえから。


たぶん、この関係が始まった日から。


この恋は常に別れと隣り合わせで、竦んだ瞬間に見失うと、気付いていたのだ。


「日高さん・・・お元気で」


この人の手を離れることが決まった日から、ずっと何度も頭の中で、この送別のシーンを繰り返してきた。


だから、沢津のように、泣いたり出来なかった。


この人に、ひとりでも頑張れるところを見せなきゃ。


いつだって、彼に認められる自分で在りたいから。


凭れかかったり、甘えたり、泣いたりする自分じゃいけないと思った。


一緒に見送りに来た片腕同然の社員たちと握手を交わして、入って来た新幹線に乗り込む彼。


どこか冷静に、他人事のように、それを見ていた。


この人の前では、泣いたり、取り乱したり絶対にしない。


彼にとって、最後まで誇れる部下でありたい。


一番強くて、綺麗な部分だけを覚えてて。


「辻は、いつだって自慢の部下だよ」


そう言って笑ってくれたあの日の彼の言葉が間違いなかったって、そう、思わせたくて。


だから、俯いたり、弱音を吐いたりしたくなかった。


全部が終わって、ひとりになったら、思いきり泣けばいい。


懐かしい我が家に帰って、母親と夕飯を食べて部屋に戻って、ほっと息を吐けた後。


これまでの自分と、これからの自分のために、思いきり泣けばいいと思ったのだ。





★★★★★★




日高を見送った日も、よく晴れていた。


今日も同じくらい良い天気で、そして、少しだけ風が強い。


あまり長居して知り合いに見つかるのも困ると、佳織は早々にその場を立ち去る事にした。


”またな”


と強気に笑う紘平の顔も、去っていく後ろ姿も、どうしても見たくなかった。



駅前を抜けて、大通りを歩きながら空を見上げる。


紘平を乗せた新幹線はもう出発しただろうか?


ああ見えて、意外に涙もろい亜季のことだから、きっとボロボロ泣いてるんだろうなぁ・・


ふたりで切ない恋愛映画を見たら、いつも先に泣くのは亜季のほうだ。


気を置けない人間の前になると、あっさり鎧を剥がせてしまうのが亜季の強みだと思う。


それに比べて自分は。




日高を見送ったあの日、あんなに気合入れて帰ったのに。


「泣けなかったんだよねぇ・・・」


新幹線を見送って、タクシーで会社に戻ってからもいつも通りに仕事をこなして、泣いて寂しがる沢津と飲みに行って、ホロ酔いで夜更けに自宅に戻って。


ベッドに寝転がって、さぁ泣くぞ。と天井を睨みつけたのに。


出てきたのは小さなため息。それだけだった。


”もぬけのから”みたいだったと、当時の佳織を見た亜季は言った。


「あの人は、あんたの気持ちの何もかもまで持って行っちゃったのかもね・・・」


自分でも自分の気持ちが分からない。


誰に見られるでもない、誰が困るでもない。


たった一人の部屋なのに、どうしてだろう?


本当に、ちっとも泣けなかったのだ。






想いを重ねた相手と離れた次は、上手く想いを届ける事が出来なかった相手との別れ。


惜別の多い人生なんだろうかと、自嘲気味に笑う。


それでも俯いている暇はない。


地面を進むこの足だけで、これから生きていくんだから。




★★★★★★




ショーウィンドウに映った自分の顔が微妙に強張っているのに気づいて、頬を叩く。


と、ポケットの中で携帯が鳴った。


着信を見て、ちょっと迷ったけれど、通話ボタンを押すことにする。


「もしもし?」


「佳織!?いまどこにいるのよ!」


嘘を吐いても仕方ないので、正直に告げる。


「駅前通り・・・」


「やっぱりっ・・・何でっ・・もうっ・・・」


そこまで来ていてどうして顔を見せないのかと、途切れ途切れの叱責が降って来る。


「ごめん・・どうしても・・・行けなくて」


ちゃんと、別れの言葉を口にするのが、怖くて。


言えない言葉を飲み込んだ佳織の耳に聞こえてくるのは、亜季の詰り声だ。


「あんたなんでそんな馬鹿なの!?何やってんのよ!!!樋口がねぇっあたしに何て言ったか知ってる!?」


予想通り鼻をすすりながら亜季が問いかけてくる。


「・・・さぁ・・・なんて?」


どうせ紘平の事だから、よろしく言っといてくれ、とか言って笑って手を振ったんだろう。


軽く問いかけたのに、亜季はさらに声を詰まらせた。


「・・・・あんたのこと、頼むって。ひとりにしないでやってほしいって・・そう言ったのよ!」


なんで・・・そんな・・・


一気に滲んできた視界に、佳織は思わず目元を指でなぞった。


泣いていた。


あの日、日高は佳織に言った。


”沢津のフォロー・・頼むよ”


部下として、信頼している辻佳織にそう言った。


”女”としてでなく、”社会人の部下”として佳織を見ていた。


辞令の報告を受けて、別れを悟って、自分からさよならを切り出した。


佳織の、ありがとうございました。の言葉に、一拍遅れてこちらこそ、楽しかったと答えた日高は、その次の瞬間から佳織の名前を呼ばなくなった。


穏やかな上司の顔で、辻、と呼ばれる度どれだけ切なくて、悲しくて、愛しかったか。


もう二度と、彼から女として扱われることがないのだと、あのとき、初めて悟った。


それが、ただただ、虚しかった。








泣いたって現実は変わらない。


喉はひりついて、肌は赤くなるし、くたびれるだけだから、泣くのはやめようと思った。


情けないから、惨めになるだけだから。


だから、笑おう、そう思ったのに。


でも、本当は違う。


いつだって本当は、泣きたかったんだ。


誰かのことを頼むよ。じゃなく。


私のことを、見てほしかった。


私のことを、考えてほしかった。


あなたのたった一人の、一番になりたかった。


でも、それだって叶わないことを知っていたから。


初めから望まないことに決めたんだ。


それなのに・・・なんで?


なんで一番欲しい言葉を、あんたが最後に言っちゃうのよ・・・


手を離すって決めたのに、ひとりで頑張るって決めたのに、今更引き戻せないのに。


全部、終わっちゃったのに。





慰めてもらえなくても、誰も助けてくれなくても。


わたしのために、泣いてあげられるのは、私ひとりなんだから。


誰かに馬鹿にされたって、呆れられたって。


誰にも遠慮なんてせず、大声で泣けば良かった。


何にも変わらなくたって、泣いた分だけ私の悲しみは、絶対減ったはずだから。


見栄も、意地も、プライドも。


みんな投げ捨てて、あの場所で泣いてやればよかったんだ。


みっともない位、大声で。





紘平が優しいのは、ちゃんと知ってる。


それに、甘えたくてしょうがない自分がいる。


でも、それを許せない自分もいるの。


踏み出して、また無くしたら、きっと誰も好きになれない。




それでも、この寂しさはどうしようもない。


抱きしめてくれる腕は、もうここにはない。




「・・っ・・もう・・・やだぁ・・・なんでいっつも・・・全部手遅れなのよぉ・・・」


携帯越しに泣きだした佳織に、亜季が言った。


「だからっ!ひとりにしないわよっ!どこに居るのよ!?言いなさいよ!あたしは約束は守る女よ!ひとりで泣かせたりしないわ!」


「・・・あ・・あきぃ・・・助けて・・」


生まれて初めて泣きごと言った。


生まれて初めて、誰かにすがりたいと思った。





★★★★★★





「アーッタマ痛いぃ・・・」


布団から顔を覗かせた佳織を振り返って、まだパジャマのままの亜季が小さく笑う。


見事に腫れたまぶた。


お世辞にも可愛いとは言い難い。


つか、すでに可愛いとかいう年でも無いか・・・


いい具合に年齢を重ねた同期と自分を思い出して、渇いた喉で笑う。


「コーヒー入れよっか?」


「んー・・・番茶入れてぇ」


「朝からリクエストの多い奴め・・・ま、いーわよ。ひっどいあんたの顔に免じて美味しいお番茶入れてやるわよ」


「うーわー・・・酷い言い草・・あんたも相当だけどねェ」


「泊めて貰っといて言うかなぁ。そんなこと」


「・・・今度お茶奢る」


「お茶かよっ!飲み代持ちなさいよね」


「・・・感謝してるってば・・亜季さん」


「心底感謝しなさいよね・・佳織さん」


そう言って、台所に向かった亜季は、茶葉の入った缶と電気ポットを持ってやってきた。


やがて香ばしい香りと共に、懐かしい味のお番茶が佳織の前に差し出される。


「・・・別れるって話、したの?」


抱えた膝に肘をついて、亜季が問いかけてきた。


湯気の立つマグカップを指でそっと包み込んで、佳織は窓の外に広がる朝焼けの綺麗な空を見た。


「そもそも付き合おうって話自体したことないよ」


「それは・・あんたが嫌がったからでしょう?」


名前のある関係を。と顔には書いてある。


自信が無かったのだ。


ちゃんと誰かを好きになれる自信が。


だから、そんな中途半端なままで、紘平の彼女面するなんてできなかった。


「・・貰った分の愛情を・・・紘平に返せたっていう自信が無いよ・・・・アイツ・・何にも欲しがらないんだもん・・・最初から最後まで・・・私の勝手で振り回した・・・日高さんの代わりにしようとしてたのかもしれない」


「それは違うでしょ?あんなに泣くくらい、樋口のことホントに、好きだったんでしょう・・・・あんな往来で、声上げて子供みたいに泣くあんた、初めて見たもの。自分でもわけわかんない位、好きだったから。だから、居なくなって・・寂しくなったんでしょ」



紘平は、どんな気持ちで、亜季に、言ってくれたんだろう?


振りかえらないって、頑なに言い張った私のこと。



「・・・・・好きだったよ・・・自分でも、驚くくらい、好きになってた。絶対自分から、必要としないって思ってたのに。いつの間にか、私の生活の中心になってた。ちゃんと鍵かけといたのに、いつからか、ずっといるんだもん・・・隙見せたら、付け入るって言ったくせに。全然そんな素振りも見せないの。思わずこっちから尋ねちゃったくらい」


紘平と一緒に居るようになって、吸い始めた煙草。


待ち合わせ場所に決めた、自販機の前。


一緒にいるのが当たり前になって、好きなのか、そうでないのか分からなくなって。


だから、あの日、問いかけた。


「・・・ねえ・・・紘平。あんた、まだ私のこと好きなの?」


そうしたら、紘平が佳織の指から火を付けたばかりの煙草を抜き取った。


予感はあった。


でも、逃げようとは思わなった。


ものの数秒のキスの後。


紘平が僅かに屈んで、佳織と視線を合わせて笑う。


「・・だから、こうして一緒にいるんだろ・・・イロイロと狙ってんの。虎視眈々とね」


「それって私に言ったら不味いんじゃないの?」


呆れた顔で言い返したら、紘平があっけらかんと言い返した。


「真っ向勝負が好きなの。俺は」


「・・・あーそう・・私、ガード固いよ」


目を細めて笑って紘平が佳織の髪を撫でる。


「難攻不落は承知の上だ」


日高の時のような、肌がピリっとなるような緊張感のある恋じゃない。


でも、”頑張らない”で人を好きなることもあっていいんじゃないかと。


そんな風に思わせてくれた、穏やかな時間だった。


佳織は、よく笑って、よく怒って、やっぱり、よく笑った。


今なら分かる。


そうさせてくれていたのは、彼だったのだ。


佳織の感情を振り回すけれど、決して、その手を離すことはしない。


だから、不安も、心細さも、描き消えて行く。


いや、違う、そうじゃない。


佳織の中の嫌な気持ちは、みんな紘平が引き取ってくれていたのだ。


だから、いなくなって、それが、こうして、溢れた。

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