バッテリー

齊藤 紅人

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 注文したアイスコーヒーを眺めながら俺は眉間に皺を寄せていた。

 目の前にいる人物は、長い髪を耳にかけるようにしていちごオーレを飲んでいる。

 笑うと糸のように細くなる目は高校の頃から変わっていない。その下に鎮座した小さな涙ほくろが艶っぽく映る。

 軽くリップをひいた可愛らしい唇が、白とピンクの混ざった液体をゆっくりと吸い上げてゆくのを眺めながら俺は名前を呼んだ。

「龍之介」

 いちごオーレのストローから唇が離れる。

「もう、ジョゼって呼んでってば」

 拗ねた表情でそう言って唇を尖らせた。


 再会したのは三年前。

 高校時代の野球部員十六人での八年ぶりの同窓会だった。

 ロングのスカートに長い黒髪姿を見た俺は、誰かがイキがって彼女でも連れてきたのかと思ったが、違った。

 古橋龍之介。

 それはエースである俺の球を、最後の夏の県大会決勝まで受け続けたチームの正捕手だった。

「久しぶり。かーくん」

 懐かしい声で俺のことを呼ぶその姿は、女性にしか見えなかった。

 結果、同窓会は龍之介の話で持ちきりになった。

 何があった、いつから、どこまで工事したんだと皆から飛び交う質問の山、山、山。

 龍之介は嫌がる素振りも見せずその全てに答えてみせた。

 曰く、高校時代から異性にはまったく興味がなかった。曰く、大学時代にLGBTの集まりに参加して自分のことを理解した。曰く、工事はすべて完了していてボールもバットも撤去済み。戸籍上の性別も変更してある。

 やましさや後ろめたさといったものは微塵も感じられなかった。竜之介は完璧で上質なパッケージングで自分自身を完全にプロデュースしていた。ぐうの音も出ないとはまさにこのことだと思った。

「これからボクのことはジョゼって呼んでね」

 最高に可愛い笑顔で言われ、俺たちは頷くしか出来なかった。

 で、帰りに告白されることになる。

「どうせフラれるの分かってるけど言わせて。……ずっと好きでした」

 その想いを受け入れるのに俺は一ヶ月を要した。そりゃそうだろう。あまりに突然だったし、そもそも俺はノーマルだったし、龍之介は俺の中では頼りになる正捕手で、スカートの似合う華奢な美人という目の前の現実に違和感しか感じられなかった。

 照れくさいので諸々は割愛するが俺たちは付き合い始めた。それでも現実を認められず、お試しという言葉でごまかし続けていたが、それもいつのまにか消えていた。捕手として俺の球を受け続けていた龍之介は俺の性格を完全に把握していた。何が好きで嫌いなのかを掌握していた。女性と付き合うたびに喧嘩を繰り返してきた俺だったが、龍之介とはまったくそんなことはなかった。会うたびに楽しい時間だけが積み上がっていった。

 本気で結婚を考えるようになったのは去年の秋頃だったと思う。三十歳を迎えるまでにやはり答えを出すべきだろうと考えたからだ。


 というわけで今日である。

 俺は実家近くの喫茶店で龍之介と向かい合わせに座っている。

 母親に龍之介を紹介することになっていた。

 母には先週のうちに電話で連絡を入れてある。女手ひとつで育ててきた息子が『会わせたい人がいる』というのだから、向こうもそれなりに思うところがあるはずだ。まさか龍之介を連れて来るなんて夢にも思っていないだろうが……。

 俺は何をどう説明すればいいものかずっと考えてきたものの、妙案は浮かんでいなかった。今になってさえ注文したアイスコーヒーに口も付けずバラバラの思考を持て余している。

「ほら、もうすぐ時間だよ」

 龍之介に言われ、俺は深いため息を吐いて立ち上がった。

 支払いを終え店を出て、五分もしないうちに俺達は玄関先に辿り着いた。インターホンを押す手が震えているのが自分でも分かる。

『はーい、いま開けるからね-』

 久しぶりに聞く母親の声に緊張が高まる。

 えっと、まずは彼女のジョゼですと紹介しておいて、話の流れで少しずつ本当のことを……。

 玄関が開いた。

「和己おかえりー。あらやだ龍ちゃんじゃないの-?」

 ……え?

「さ、入って入って」

 母の呼びかけに、固まったままの俺の脇を抜けて龍之介が前に出る。

「ご無沙汰してます真知子さん」

「お久しぶり。それにしても見違えちゃったわねー、どこのお嬢さんかと思っちゃった。ほら和己も早く入んなさいよ」

 俺は龍之介を後を追うようにギクシャクとした動きで玄関に足を踏み入れた。

「驚きませんでした?」

「そりゃあ驚いたわよ。でもとっても似合ってる。お化粧も上手」

「ありがとうございます」

 出された紅茶を飲みながら、龍之介は俺とは対照的にリラックスした表情で母親と話している。

 俺は何も言えずにいた。予想外の展開だった。

「変にかしこまって電話してきた時から何かあるだろうなーって思ってたのよ。あ、そうだ和己。ぽむぽむでシュークリーム買ってきてよ」

 母親はそう言って俺に小銭入れを握らせた。

「俺?」

「昨日のうちに用意しとこうかとも思ったけど、出来たてのが美味しいじゃない?」

 ぽむぽむは昔ながらの洋菓子店で、俺は子供の頃からあそこのシュークリームが大好物だった。

「ほらほら、行っといで」

 やたら派手な柄のエコバッグを渡されながら、俺は追い出されるように家を後にした。


          ***


「――ほんとにいいの? あの子で」

 真知子は龍之介に尋ねた。

「はい、ずっと好きでしたから」

「やっぱりね。でもほらあの子、嘘付けないじゃない?」

「……決勝戦のこと、覚えてます?」

 三年最後の夏の県大会、決勝戦でチームは敗れた。延長の末、和己が最後に投げたスライダーは相手の四番に痛打された。

「あの時、ボクは首を振れのサインの後にスライダーのサインを出しました。それまでずっと首を振った後は直球しか投げていませんでした。絶対に空振りを取れるはずでした」

「あの子、サインで首振るときと自分で首振るときで全然違うからすぐバレちゃうのよね。応援席からでもわかったわ。だから、だからね。あの子が正直過ぎるせいで龍ちゃんがこの先傷つくことになるかも知れないよって話」

「大丈夫です。全部受け止めるのが捕手の役目ですから」

「聞くだけ野暮ってことね。それにしても……女房役が本当の女房になっちゃうなんてね。ふふふ」

 真知子は嬉しそうに笑ってみせた。

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