第37話 キスはシュークリームの味

 まるでMI6に所属する有能スパイの気分だ。周囲を警戒して学校を脱出していく。


 素早い足取りで学校を去っていく。


 どうにか不幸なトラブルに遭遇せず、校門を無事に抜け俺はついに自由の身となった。娑婆しゃばの空気がうめぇ。



 後は、余裕をもって『マンション』を目指すだけだ。あ――そうだ、遥と再会する前に“退院祝い”を買っておこう。あっと驚くようなヤツを。ここは愛を込めてサプライズだ。


 相模原駅の周辺を目指そうかなと考えた。マンションから近いし、あの辺りならお店もいろいろあるけど、う~ん……俺のなけなしの金で何を買うべきか悩む。



 こういう時、女の子の喜ぶものといえば……甘いもの? 一日とはいえ、病院生活で美味しいものは食べれていないはずだ。なら、食べ物が一番無難と言える。そうだ、スイーツを買っていこう。


 ≪ピコーン!≫


 俺の頭上に電球が浮かぶ。

 子供から大人まで超人気と名高い『横山シュー』にするか。あれは濃厚なカスタードクリームがこれでもかってくらい限界突破ギリギリのギッシリで甘々。


 身も心も癒される逸品。


 これだっ!


 シュークリームが売っている店は、ちょうどこの前に爆発騒ぎのあった『横山公園』の付近。ほんのちょっぴり運命を感じるな。歩いて向かおうっと。



 * * *



 手土産は出来た。

 これであとは帰宅するだけ。

 時間はちょっとギリギリだけど間に合う。


 さすがに横山公園からマンションまで歩いて掛かるので、バスを利用。ようやく帰宅を果たした。



「……ふぅ、退院祝いもばっちり。さてと――」



 高層マンションへ入り、エレベーターへ。……やっべ、少し緊張してきた。いかんいかん、落ち着け俺。


 部屋の前へ来て、更に心臓がバクバクしてきた。


 どうしよう。

 どんな顔をして遥に会えばいい?


 俺は、本当にこの扉を開けていいのか?


 なぜか、そんな思考に囚われる。



 不安がゾンビのように襲ってくる。やべえ、この扉を開けられなく――んぉ?



「待ってたよ、遙くん!!」



 急に扉が開き、遥が猛禽類もうきんるいごとく飛んできた。俺は辛うじて受け止めた。危ないって! 受け止めれなかったら、そのまま40階から真っ逆さまだったぞ!



「は、遥……良かった。本当に良かった!」



 ぎゅぅっと抱きしめた。

 遥もぎゅぅっと抱きついてくる。


 元気な姿でこうやってまた再び家に帰ってこれて、俺は嬉しくてたまらなかった。



「遙くん、遙くん……寂しかった」

「俺もだ。ずっと離れ離れで胸が苦しかったよ」

「もう屋上はこりごり」

「そうだな。しばらくは避けよう」

「うん。ところで、その手に持っているものは?」


 遥は、俺の手元に視線を落とす。

 さっそく反応を示したか。


「これは、遥の退院祝いさ。部屋の中で開けよう」

「退院祝い!? ほんとー!」


 リビングへ向かい、ソファへ座る。遥に包みを開けて貰った。すると、喜ぶ前にダバダバ泣いて俺に飛びついてくる。



「ど、どうした!」

「遙くん……この『横山シュー』わたしの為に……?」

「そうだよ。ほら、病院でこういうの食えないだろうし、俺の気持ちだ」


「うあぁぁぁん、遙くん優しい! そういうところ、すっごく好き。嬉しいから、先に“ちゅー”して」


「いいの?」


「それともシュークリーム食べて甘くなった後でもいいけど……ちょっと恥ずかしい」

「ほぉ、じゃあえて恥ずかしい方を取ってみようかな」


「……そう言われると、すっごく恥ずかしい。やっぱりナシ!」



 恥ずかしがって遥は、手をブンブンと振る。そう拒否られると試してみたくなる。男としてロマンを追及したい。



「ダメ、もう遅い。シュークリームを食べた後にキスをする。というか、遥に食べさせる」

「た、食べっ! ちょ、それご褒美すぎ。そこまでしてくるんだ」

「言ったろ、退院祝いだって。遠慮すんな」

「う、うん。じゃあ、食べさせて」



 上目遣うわめづかいで要求され、俺は心臓が木っ端微塵に吹き飛びそうになった。今のは、あざといというレベルではなかった。可愛いを超越した女神だった。


 ガクガク震える手でシュークリームに手を伸ばす。形が崩れないよう優しく掴んだ。


 遥の口元へそっと運び……食べさせた。



「……美味いか?」

「あまぁい! う~ん、濃厚で疲れが吹き飛ぶぅ。美味しすぎ~!」


 はわ~と遥は、感嘆の声を上げた。


「この横山シュー、美味いよなぁ」

「うんうん。最高っ! これが本当の幸せの味だね」


 子供のように無邪気になって遥は、シュークリームを味わう。ご機嫌になってはしゃぐものだから、ほっぺにクリームがついていた。



「遥、クリームがついてるぞ」

「取って食べていいよぉ」

「じゃあ、指ですくって……と。んん、美味いっ」


「えへへ。遙くんに食べられちゃった」

「こ、これくらいは……結婚してから抵抗レベルが低くなったからな」



 そうしてシュークリームを味わい、完食。



「ごちそうさまでした。ありがとね、遙くん」

「遥が満足そうにしてくれて、それだけお腹がいっぱいさ」


「うん。それじゃ――する?」


「え……」

「キス」



 身を“ずいっ”と寄せてくる遥は、腕を俺の首に回す。もう目の前に遥の唇があった。


 俺は抵抗する術もなく、押し倒されてしまった。



「甘いのかな」

「うん、きっと甘々」

「味わってみたい」

「どうぞ」



 ゆっくりと顔を近づけ、俺は遥のキスの味を確かめた――。

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