第25話 血塗れのカッターナイフ

「ねえ、ペットになりなさいよ」

「二度も言うな! ていうか、唐突とうとつすぎますよ。何なんですか、会長さん」


 聞き返すと会長は、キスする寸前のところで顔をらして俺の耳元でささやいた。……うわ、甘くて良い匂いがする。


「……天満くん、最近事件ばっかり起こしているでしょ。当然、生徒会長である私の耳にも入るワケ。でね、君のことが気になっちゃってさ。風紀委員長の葵ちゃんからいろいろ事情を聞いたの」


「マジっすか」


「うん。同じクラスで転校生の小桜さん。それに、風紀委員長の葵ちゃんと随分ずいぶんと仲が良いようだし、まるで付き合っている以上の関係に見える。ちょっと普通じゃないよね」


 確かにな。ここ数日、周囲からの目線もだいぶ変わった気がする。男からは憎しみの視線を、女子からは俺に“話しかけたい”みたいな空気が伝わって来ていた。


 俺は、結婚してから変化が多すぎた。おそらく、結婚がトリガーとなって、人生が変わったのかもしれない。今になってモテ期到来中なのである。結婚してからでは遅いってーの。


 そもそも、こうして生徒会長と会話しているのも奇跡みたいなものだ。


 生徒会長『深海しんかい ひかり』の変人伝説くらいは知っていた。男女問わず後輩から先輩まで誘惑しまくって、二年にしてその生徒会長という座を獲得したと。だから、全学年のほとんどから絶大な人気を誇っているらしい。

 男からは告白を、女からも告白を受けている毎日だとか。どんだけモテているんだ、この人。俺にとっては、雲の上の人のような存在で、接点なんて一生ないかと思っていた。


 けれど、今はこうしてこんなに距離が近かった。


 なんだけど“ペットになれ”って、なんて言い草だよ。奴隷になれと言われないだけマシかもしれないけど――ある意味、可愛がってくれるってことかな。


 いやだが、俺には遥がいるのだ。


 ――が、その肝心かんじんの遥は担任に呼ばれて職員室へ行ってしまった。しばらく戻ってこない。



「俺は、会長のペットになるつもりなんてありませんよ。すでに天使・・に飼われていますからね」


「天使……そう、やっぱりね。小桜さんか葵ちゃんのどちらかね。へえ、それを聞いて奪いたくなった」


「奪うって、その、俺は……」

「私、人のものを奪いたくなる性分なのよね。それが手に入った時の達成感とか全能感とか最高よね。最難関をクリアして手に入れる物の付加価値レアリティは計り知れない」



 な、なんなんだこの会長。

 頭のネジが飛んでるのか?

 このままだと、本当にペットにされかねない。なんとか切り抜けねば。



「そ、そうか。気持ちは分からないでもないよ。でも、会長さん……悪いけど俺はもう帰るよ」

「ダメ。私と会話を交えた時点で天満くんの拒否権は消失したの。とりあえず、契約をしましょう」


「契約?」


 生徒会長は、俺から離れ……ニーハイを脱ぎだす。細く健康的な足指を見せつけてきた。足の爪は、鮮やかな桃色。つやも凄いな。


 会長は、足を俺の目の前へ突き出す。


めなさい」

「……はい?」

「これが“契約”よ。わたしのペットになる契約」


「は……はあ!?」


 こ、この会長、アタマおかしい。

 でも、目の前の生足は非常に魅力的だった。俺は健全な男の子。相手はあの生徒会長で、美人。そんな女の子から足なんて突き付けられたら、俺は吸い寄せられるように顔を近づけてしまっていた。



 この誘惑には勝てない。

 こんな二度とないような絶好の機会、逃したら一生後悔するから――だからッ。



「フフフ。やっぱり、体は正直なのね、天満くん」

「……俺は会長のペットに――」



 その瞬間、会長の足を掴み、押しのける手が現れた。な、なんだ……誰の手だ? 意識を周囲に向けると、そこには悪鬼羅刹と化した遥がいた。


 サイコキラーも逃げ出す禍々まがまがしいオーラに身を包み、会長を弾き飛ばす。


「おっと、危ない。あら、小桜さん」

「会長さん、帰ってください」

「あら、怖い。でも、彼とは付き合っているわけではないのでしょう?」

「付き合っていますよ。だから、手を出さないで下さい」

「へえ、面白い。なら、奪い取ってみせるわ」

「――なッ!」


 会長は堂々とそう宣言して、背を向けた。なんて女だ。小桜が“付き合っている”と言っても決して諦めない不撓ふとう不屈ふくつの精神。落胆するどころか逆に、トルクメニスタンにあるという地獄の門ダルヴァザ・ガス・クレーターのようにメラメラと燃えているじゃないか。


 あの会長、もしかして本当に俺を遥から奪う気なのか。



「小桜さん。今のところは貴女に優勢かもしれないけれど、油断しない方がいい。人の心は常に変わるもの。そう、心変わりすれば――きっと」



 ニヤリと笑い、教室を出ていく。

 ついでに俺にはウィンクしていった。

 とんでもない生徒会長だな。



 * * *



 校門を出て帰り道。

 遥は両手で顔をおおい、突然泣きだした。


「遙くんの、ばかぁ、ばかぁ……わぁぁん」

「遥! その、悪い」


「どうして、他の女の子にデレデレするの! わたしと結婚しているのに酷いよ。あの生徒会長さんの足を舐めようとしていたよね!?」


 当然、追及される。

 俺は誘惑されたとはいえ、確かに会長の生足に顔を近づけてしまった。だけど、あの足がいけないんだ! むちむちのもちもちの白い肌。つやつやのぷにぷにの俺好みの造形美。あれは、百年に一度現れるかどうかの逸材。


 足だけなら、会長は日本トップクラスだろう。


 しかし、ここは言い訳しないと俺が殺されてしまう。



「本当ごめん。でもさ、会長に“ペットにならないか”って誘われたんだぞ。誰でもビックリするって」


「へ……そんなことを言っていたの?」


「ああ、あの足も『契約』だとか言って舐めさせようとしてきたんだぞ。とんでもない女だよ。髪色とかメイクも赤色で派手だし、あれは“地雷系女子の片鱗”があるね」


「あー、いるよね。そういう女の子。もしかして、遙くんを狙っているのも、昔の彼氏に振られたからとか」



 なるほど、その可能性は否定できないな。あんな美人で大人気の生徒会長なんだ。過去に彼氏がいてもおかしくない。その悲しみが抜け出せなくて、陰キャの俺なんかに目をつけた……とかに違いない。まったく、迷惑すぎるな。

 けど、あの性的な足だけは評価できよう。足だけはな。



「だから、俺もどっちかといえば迷惑してる? っていうかね」

「そうなんだ。じゃあ、遙くん殺さなくて済むね」


「あ、ああ……遥は、その、たまに過激だよな」

「ん? なんか言った?」


 笑顔で、なぜか血塗れ(おそらく血糊ちのり)のカッターナイフを向けられたので、俺は追及を止めた。あぁ、そうだ、遥も遥で“病む病む”気質があったな。でも、分からないでもない。ここ最近までは、ひとりで全国を転々としていたようだし、寂しい思いもしていたのだろう。


 こうして俺依存なっている理由もうなずける。なら、俺は遥の気持ちに応えてやらねばな。


「遥、カラオケも行こうぜ。気晴らしだ」

「えっ、ほんと! 遙くんと二人きりで!?」

「当たり前だろ」

「うんうん。やったー!」


 めちゃくちゃ嬉しそうな笑顔で抱きついてくる。良かったぁ、これで機嫌が直ってくれれば万々歳だ。そう思っていた直後。



「ちょっと待ってください! この風紀委員長をお忘れなく!」



 そろそろ現れるのではないかと予感があった。見事的中だな。だけど、俺は逃げる――!

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