第32話 ドナドナ

 同時刻、鳴子が意識を取り戻したのは、焦げ臭い匂いによる息苦しさからだった。

 焼けた木材の隙間から飛び出るように、火花の残骸が宙に舞う。救助隊や野次馬たちの足音がひっきりなしに続いていく。

 そんな不快音の後からやってくる、誰かのすすり泣く声。

 彼女が目を開けると膝を折り、うなだれ大粒の涙を流す男がいた。


「キラ、さん……?」


 見知った顔が目の前で泣きじゃくるので、まるで繊細な割れ物を扱うかのように、酷く心配そうに声をかけてしまう。

 けれど、その一言は彼を喜ばせた。


「よ、よかった……目を覚ましたんだ!」

「ここは……?」

「店の外だよ。店から爆発が起きて、やってきたら鳴子ちゃんが倒れてて……」


 キラの説明でようやく理解する。

 自分は焼けた店から救助されたのだ。救助隊が総出で出動している姿から伺える。

 そうか、あの現場から……そう思うが矢先に思い出した。


「あっ葛本さんは!」


 最後に見たのは優が自分を庇った姿。彼は今どうしているのか気掛かりで、慌てて視線を彷徨わせると、すぐに見つかった。


「ぐがががががが……すぴー……ぐがががががが……」


 全身蒼白で死を覚悟、だが疲労を回復せんとばかりにいびきをかいている。

 身体は非常に正直だ。

 気絶した優を確認するなり、鳴子は胸を撫で下ろした。


「よかった……」

「君を守ってたんだよね、君はあいつの腕の中で寝てたんだよ」

「はわわっ、そ、そうなんですか⁉」

「照れることはないよ、だって君は彼のガチ恋なんだから」

「が、ガチ恋……」


 そっと胸に尋ねてみる。どうしてこんな私に対して好意を持ってくれたのか。何故、何もない私を助けてくれたのか。

 答えは簡単だ、彼は自分を愛しているからだ。

 そんな温かさに、身も心も焦がれそうになる。


「で、こんな時に悪いんだけどさ……」


 感傷に浸る鳴子に、キラは申し訳なさげに水を差す。

 手で合図をして迎えるのは、鳴子の母親であった。


「め、鳴子……!」


 突然の来訪者に驚き竦む鳴子。が、突如抱き締められる。


「お、お母さん!?」

「バカ……貴女、こんな所で何やっているの」

「そ、それは……」


 まだ仲直りどころか、何も解決していない。どうしよう……と、言い訳する間もなく戸惑いを隠せないでいると、母は更に強く抱きしめた。


「貴女が危ない目に遭わなくてよかった……」

「えっ……」


 鳴子は思わず目を疑ってしまう。普段から厳しい母親が感情を剥き出したのだ。


「ごめん、ごめんなさい……私がちゃんとしていれば、貴女がこんな危ない目に遭わなくて済んだのに……」

「そんな事を言わないで、だってこれは……」

「もうお金の事なんか気にしないで、これからは二人で頑張りましょう? 貴女だけに背負わせたりはしないわ」


 キラが近くにいるので恥ずかしさも増大、わたわたと照れくさそうに身振りする。

 どうしてこんな事になっているのだろう、そんな疑問をキラが解決してくれた。


「お母さんね、今日退院だったらしいんだよ」

「えっ、そうだったの……?」

「まったく鳴子ちゃんは働き過ぎなんだよ、それくらい知っておかないと」


 キラから注意を受け、頭を垂れて反省する鳴子。

 そして彼は続ける。


「まぁ、これは不幸中の幸いってやつかな……それで、なんか白い猫が僕の荷物をくわえて逃げて行ったんだ。だから後を追ってみればお母さんと遭遇してね。すると、目の前で家事が起きているじゃないか」

「酷い偶然で驚いたわ、救助の人が鳴子と葛本さんを抱えて出てくるんだから」


 状況を理解した鳴子は呆然とするものの、すぐに母親と向き合った。


「あ、あのね……お母さん」

「どうしたの?」


 服の袖をぎゅっと握りしめて、強張る心に喝を入れる。

 緊張なんてしなくてもいい、拗ねなくたっていい。もう鳴子を縛り付けるモノは家事と共に燃え尽きたのだから。

 そう意を決して、一歩踏み出そうとした時であった。


「ちょっと話に水を差すようで悪いけれど、いいかしら?」


 三人が振り向くと、皆緊張した。特に悪いことをしていないのに、人間の刷り込みや反射によって警戒せざるを得ない職業柄——警察がそこに立っていたのだ。

 警察手帳を見せつけるなり尋ねてくる。


「捜査第一課の吉村です。放火の疑いがあったので、事情聴取をしたいのですが、お時間大丈夫ですか?」

「は、はい!」

「あまり硬くならなくて結構です、では……」


 仕事モードの警官に対して、すかさずキラは口を挟んだ。


「ま、待って、この子は被害者なんです。今はゆっくりさせてあげてくださいよ」

「いえ、これも仕事ですから。こちらは早急な解決を望んでいます。そこのメイドさんが一番証人になるんじゃないかしら?」

「とはいえ、こちらも仕事なので……」


 とんだお役所仕事の警察官に楯突こうとするキラだが、気付いた鳴子は腕を掴んで止めに入る。警察官の吉村は、何か気付いたのか視線を別方向にやる。


「あぁ、だったらあの方が一番早いかもしれませんね」


 それは優だった。もちろん、キラは食って掛かる。


「負傷している人間を連れて行くって言うんですか」

「後で治療すれば問題ないじゃない?」

「だからって!」

「なに貴方、もしかしてやる気なの?」


 売り言葉に買い言葉。

 キラは「もちろん俺らは抵抗するで——拳で!」と言いかねない様子。


「勘違いしないで欲しいのだけど、優くんはよく警察のお世話になっているの。

 それに、メイド喫茶の事なら何でも知っているでしょう? 情報源としては優秀なのよ、クズだけど」


 そんな警察官に対してキラは尋ねる。


「優は、ちゃんと帰ってきますよね?」

「そうね……彼の言動次第かな?」


 無表情で告げる。優は普段からよく警察の厄介になっているのだろう。

 このままでは優は警察によって連れていかれてしまう。

 どうしよう……悩む鳴子に、母が肩に手を添えた。


「行きなさい、鳴子」

「え、お母さん……?」


 柔らかな瞳で、優しく鳴子に語り掛けた。


「行きたいんでしょう? 分かっているわ、貴女が行きたがっているってことは」

「け、けど私……」


 娘の考えなど手に取るように分かるのだろう。何故なら、それが母親なのだから。

 鳴子は己の分身、身体は違っても中身は似るモノだ、思うところがあるのだろう。


「私、知っているの。貴女は可愛いわ、人から愛されるような存在だって。知らないうちに私の手の届かないところに行くのが嫌だったの。だからメイド喫茶で働かれるのが嫌だったの」


 母の本心がとてもくすぐったいのだろう。感極まり、上手く言葉を紡げないながらも、必死に鳴子は主張する。


「どうして、今になってそんな事を……!」

「じゃないと、仲直り出来ないじゃない?」

「……っ!」

「お互い譲れない所では素直になれないものね。だから今本当の事を言わせて欲しいの、ごめんなさい」


 母の謙虚な姿に、鳴子の気持ちが溢れてきてしまう。

 もう気負わなくても良いのだ。そんな心のつっかえが取り払われていた。


「そんなのっ、私が黙ってたくさんお金を稼ごうとしたから……!」


 実質もう仲直りである。打ち解け合った二人の仲を阻むモノなど何一つない。


「ふふっ、もういいのよ。貴女があの人の事が気になるってことが分かっただけでも大収穫よ」

「えっ、そそそ、そんなことないもんっ!」

「似ているのよね、あの人に……」


 懐かしむ母。そして、鳴子に向き合う。


「早く行きなさい。貴女の選んだ道でしょう!」


 ここぞとばかりに強気な口調で告げると、鳴子はハッとする。

 母に背中を押されると、ふわりと身体が浮くようだった。何のしがらみも、足枷もなくなった鳴子の身体はとても軽かったのだ。


「ま、待ってください……っ! 私、行きます……!」


 キラは驚きつつも、その場に躍り出た鳴子を止めようとする。


「鳴子ちゃん……なにも優にそんなことまでしなくても」

「でも私、決めたんです! 優さんのメイドになることを……」

「なっ……もしかして、メイド喫茶の件、本気で考えているの?」


 コクリと頷く。それは肯定と呼べなくもない。


『……いいよね、お母さん?』

『ええ、今の貴方なら、あの人にだったらいいわ』


 そう二人は心を通わせ、目配せをする。

 決心した鳴子に、吉村婦警は手招きし案内をした。


「分かりました、じゃあ貴女もついてきてください」


 そして、パトカーに乗り込みドナドナドナ……二人を乗せて……。

 キラは二人の後ろ姿を呆然と見ているだけだった。


「面倒かけて悪いね、お嬢ちゃん」

「……これでいいの」

「そ、そう?」


 憐憫と慈愛に満ちた顔をしながら優の顔を覗き込む。

 その昇天した頬を撫でながら、物思いに耽った。

 警察の視線など気にする事無く、静かに、自分の世界へと入り込んだ。


 ——やっと、気付いた。

 彼は私にとって世界にただ一人。

 私は彼をお世話する為に生まれてきたのかもしれない……。


「あぁ、貴方は私の——クズだったのですね」


 運命は、また一つ動き出す。

 胸に手を当て、自らの折れかけた『想い』を再確認する。

 幼い頃より植え付けられたダメンズ好き——鳴子の人格が抱える歪みを解決し、彼女が救われるための在り方の一つである。


 これから鳴子が歩む事になる険しい道と、それを突きつけられてもなお揺るがぬ自分の決意に身を任せ、永過ぎる時間に阻まれた——自身の『ユメ』を追い続けた。


「——ずっと、貴方の傍にいさせてくださいね」





 ——終わらない。

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凄まじき日々 ~メイド喫茶豚と人生の長い夏休み~ 東雲ゆう @JK_da

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