第23話 家庭の事情はメイドの数だけある

 恐らく、向かう先は自宅だろう。

 自室でめそめそ泣いているかもしれない。

 どうやって慰めてやろうか、もしかしたら惚れられるかもしれない。

 そんな思春期特有の一方的な恋心を抱きながら、玄関のチャイムを鳴らした。


「はい……えっ、葛本さん⁉」


 扉の前の鳴子に、鼻を擦りながら照れくさそうに言った。


「お前を迎えに来たんだよ」


 誰の差し金だろうか。気持ちの沈んだ鳴子は深読みし、暗い声で別れを告げた。


「……そうですか、さようなら」

「ま、マテ茶ッ!」


 すると、急に冷めた態度で玄関のドアを閉めようとするので、優はすかさずドアの間に手を挟んだ。


「いだいいだいいだいいだいだいいいいいぃぃ!!!!」

「帰って、帰ってくださいよおおお!」


 鳴子がドアノブを引っ張るので、優の手の肉が食い込んでいく。優は痛みに耐えながら鳴子を説得しようとする。


「いやいやいやいやいや、嫌だ! ていうか離せ! 話はそれからだ!」

「やだっ、絶対に怒られるから嫌ですぅ!」


 絶対にこのままで帰るワケにはいかない。

 そう思った優は、融通の利かない鳴子に対しこう投げかけた。


「嫌よ嫌よもォォォォォ~ッ?」


 しかし、相手も必死。古来より伝わるノリを定石で返すワケもなく——


「嫌 の う ち ♡」

「ふっざけんなあああああああああああッ!」


 怒りが頂点に達した事により、謎の爆発力を生み出した優は、ドアを強引に開けてしまった。力負けし、玄関先で尻餅をついてしまった鳴子は涙目である。


「どうして、どうして……」


 無理矢理反省を促され、仲直りをさせられると感じている鳴子の心情を察したのか、優はこう話を持ち掛ける。


「……とりあえず、強引に連れて行く気はない。俺はここで黙って座っていてやる、地蔵だと思え。なーんにも話さないから、話したいことがあったら話せ。そうしたら楽になるだろう」

「話したくなかったら……?」

「俺をゴミ置き場に置いてくればいい。業者が回収しに……って、誰がゴミじゃあああッ!」

「ひうっ……怖い、捨ててくるぅ……」


 恐怖に駆られた鳴子を慰めに入る。

 肩を叩いては背中を擦り落ち着かせた後、優はこう告げた。


「はぁ、どっちでもいい。ただ、俺はお前に話す機会を与えているだけだ。どうせ放っておけば一人で泣いているだろ。でも話したくなきゃそれでいい。人生逃げるのもアリだ」


 鳴子はピクリと眉をひそめた。何か思う所があったらしい。

 観念した彼女は、優にこう告げた。


「わ、わかりました……。あ、あの、玄関で座らせるのも悪いので、うちに入っていきませんか?」


 そう言い、居間へと案内するのであった。




      ————————————————————————




 父親の残した借金の話。

 これは彼女がメイド喫茶を始めるまでの物語。

 鳴子の家庭は貧乏だった。いや、そうなってしまったというのが正しい。


 彼女の家庭はとても裕福だった。幼い頃から塾やピアノなどの習い事に通い、一般的な家庭よりは忙しい幼少期を過ごし、中学までは恵まれた家庭に育った。

 しかし、中学の卒業を迎えた頃、一つの知らせにより彼女の生活は一変してしまった。


『えっ、パパがギャンブルで自己破産……?』


 突然訪れた家族の不幸。


『人生は冒険や!』


 これを最後に、父は消えてしまった。

 事のきっかけは、父が会社を退職した事である。

 会社に縛られる事を嫌った父は、フリーランスとなり、個人事業主を始めたのだ。


 最初は順風満帆だと聞いていた。しかし、学校から帰ってきてはずっとゲームやテレビを見ている父。その背中はイキイキしているので、私と母は何も言わなかったようだ。


 思えば、それがいけなかったのかもしれない。

 父が消息不明になってから、私たち家族は巨額の借金を抱えてしまい、切り詰めた生活を余儀なくされた。


 声をあげて笑ってしまうくらい、ふざけた話である。

 けれど、本当のクズというのは大体こんな事をしでかすのだ。

 まったく、私にとって笑い話ではない。

 もう二度と父とは口も利きたくない。


 それからは、母はパートに出てフルタイムで働いた。

 それに加えて、ダブルワーク、トリプルワークで仕事に精を尽くした。

 彼女は母の姿を見て自分も頑張らなくては、と思うようになっていたのだ。

 しかし、そんな頑張りも長くは続かなかった——



 溜め込んでいたのだろうか、それとも気持ちが変わったのだろうか。

 意外と素直に悩みを打ち明けてくれた鳴子は、こう結論づけた。


「……だから私、いっぱい働かなくちゃいけないの」

「そういう過去が、あったんだな……」


 どうにかしてやりたい。けれども、優は何をしてやれば良いのか分からない。

 鳴子は今まで似たような同情を受けた事があるのか、心配しなくてもいいですよとばかりに返事をし、慣れた対応を見せた。


「ね、お金の話って難しいでしょ? だから私が何とかするしかないの」

「そ、そんなのっ、俺が何とか……」

「——出来ませんよ?」


 冷たく言われ、優は苦しそうな表情を見せる。

 本当は鳴子の方が辛い状況なハズなのに、何も出来ない自分が辛いのだ。


「私は大丈夫です。だって、後少し頑張ればお母さんの入院費用だって稼げるし、生活費用も……充分に蓄えを残さなきゃ……」


 不安げに漏らす彼女に、優は言った。


「じゃあ、俺が雇ってやる! 今の給料以上に出せば、お前は楽が出来るに違いない!」

「何を言っているんですか、まだ辞めるなんて言っていませんよ」

「それに、俺の所に働けば母ちゃんの所へ一緒に謝りに行ってやるからよ。とりあえず、今いくら貰ってるのか言ってみろ、なっ?」


 勢いに飲まれた鳴子は、まんざらでも無さげな表情で答えた。


「えっとですね……時給二千円、ですかね……?」

「おおう、二千円……ファッ⁉」


 二千円——それは現在の最低賃金のおおよそ二倍であった。

 確かに、鳴子は店の看板として役立っている——であれば普通であるのか。

 最低賃金で雇うつもり満々であったクズは狼狽えた。


「お、おおう……それくらい余裕だ、余裕!」

「社会保険にも加入出来るんですよ」

「そうか、社会保険にも……ファ~~ッ⁉」


 この時初めて優は知った。人を雇うという事はとてもコストがかかるという事に。

 彼の反応を看過できない鳴子は、優を呼んだ。


「優さん」

「な、なんだね~鳴子クン⁉」


 やっぱりおかしな人。そう思い、クスリと笑ってはっきり告げた。


「無理なモノは無理と言いましょう?♪」

「ぐああああっ……!」


 膝を折った優の肩に、優しく手を添えた。

 悪戯心の増した鳴子は、優の同情心を逆手に取り、掌で遊んでいるようにも見える。

 そんな彼女は、つい漏らしてしまう。


「でも、葛本さんとだったら、一緒に働いていて楽しいかも……ですね」


 愚図ってオイオイ泣いている優の耳には届かない、けれど届かなくても良かった。

 何故なら、鳴子は相手に負担を負わせたくない。辛い事は一人で十分だ。

 毎日冷めたご飯でも、心だけは温かい鳴子は静かに優を見守っていた。

 そんな中、彼らの日常を壊すべく、玄関のドアは強く開かれた。


「ちょーっとお邪魔するよ!」


 そこにいたのは、メイド喫茶・エルフローネのカリスマである。

 すぐさま警戒態勢に入った優は鳴子の前に立った。


「……おい、なに人の家に勝手に入って来てんだよ」


 鳴子とのやり取りを邪魔され、優の顔色は怒りに染まる。

 そんな威嚇にも飄々とした態度で、カリスマは鳴子に指を差した。


「そりゃあそこのお嬢さんに用があるから……ねえ、鳴子ちゃん?」


 鳴子はバツの悪そうな顔を見せている。

 何があったのだろう。けれども、何があっても鳴子の味方であると決めた優は、彼女の盾になった。


「やめろ、怖がってんだろ」

「怖がっている……ははっ、反省しているの間違いだろう? 俺はただ無断欠勤をした彼女に注意をしに来ただけなんだよねぇ」


 ジロジロと鳴子に目を向けようとするが、すぐに優が盾になる。


「無断欠勤だと? そんなの知るか、休ませてやればいいだろ」

「休ませるねぇ……でも、その子が働きたいですって言いだしたのに、そんなの勝手じゃない?」

「コイツは今疲れてるんだよ、だから——」

「——お母さんのお見舞いで疲れたのかな?」


 カリスマはニヤリと笑う。優の言わんとしている事を理解していたのだ。


「どうしてそれを……!」

「鳴子ちゃんの家庭事情を知らないとでも? 経営者たるもの、従業員の行動は常にチェックをしなくちゃいけないからね、当然だよ」


 人を見透かした態度が気に入らない。分かっているなら、どうして歩み寄ってやれないのか、心労を労わってやれないのか……が、怒りに飲まれるまいと指に刺激を加えて、優は落ち着きを取り戻す。


「……お見舞いの何がいけないんだよ」

「連絡は常日頃から取れるようにしてくれないと、皆が困るんだよ」

「でも、事情が——」

「——お前に聞いてねえんだよッ‼」


 優の主張に嫌気の刺したカリスマは、乱暴な手段に訴える。

 ゴンッ、と壁を叩きつけると薄い壁に跡が残ってしまった。


「あぁごめんね、後で修繕費出しておくから」


 すかさず、金銭的な大人の余裕を見せつけてくる。

 優は怒鳴られた事に憤慨し、歯向かおうとするも、鳴子が優の袖を引いて止めてきた。


「やめて、葛本さん……」


 流石にまだ十七の少女である、大人がキレる姿を見ればすくんでしまうだろう。

 しかし、優は納得がいかない。


「今ここで言わないと……誰が止めるんだよ」

「で、でも……」

「大人しくしてりゃこういうのは付け上がるんだ。それに、今ツラいのは誰なんだよ、お前が無理矢理働けば母ちゃんの二の舞じゃねえか」

「そ、そんな……だめ……」


 そんな鳴子の願い悲しくも、カリスマもやる気のようだ。


「そうだ、男には引けない時があるんだ。

 だから鳴子ちゃんは黙ってみているといい——大人の喧嘩をね」


 そう誠意を見せると、カリスマはパチンと指を鳴らす。

 すると、5,6名の男が——その中にはブタゴリラとその仲間たちも入っていた。


「へっへっへ、悪く思うなよ」

「なっ、ブタゴリラ……?」


 不利な状況が舞い降り、戸惑いを隠せぬ優に対しこう言った。


「不測の事態に備えるのが経営者の心構えさ……仲間を呼んでいるんだ。丁度、近くで遊んでいるようだったからね……ちょっと家の中じゃまずいから、表出なよ」

「当然だ、その喧嘩買ってやらあ!」


 負け戦と知りつつも、優は後についていった。

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