しぐれのひみつ

「というわけで、私はその妖怪化した大きな木を一刀両断したのです。真っ二つになった妖木は絶叫を上げながら塵と化し、風に流され消えました」

「……」

 ぱちぱち。予想外に面白かった。彼女が僕に語って聞かせたのは退魔士としてこれまで祓ってきた数々の怪異との戦い。やっぱり想像で書かれた本よりも実体験を本人の口から語ってもらう方が楽しい。

「……ふふ」

 突然微笑む彼女。その視線は僕の手元のショートケーキに注がれていた。おかげで思い出す。せっかく注文してもらったのに、まだほとんど手を付けていない。

 食べるために口元のマスクを外していたから、口を半開きにして聞き入っていたことも気付かれているだろう。だから笑ったのだ。

「楽しんでもらえてよかった」

「?」

 どういう意味? まさか自分が落ち込んでいたからじゃなくて、僕が退屈そうに見えたから話しかけてきたの?

 いや、多分どっちも。彼女自身、ここへ来た時より表情が明るくなっている。

 僕との会話で心が少し軽くなったようだ。役立てたなら、こっちも嬉しいよ。

 でも、そう思った矢先に彼女の顔はまた曇る。

「ふう……」


 僕は反射的に、


「……どうしたの?」

 母さんの言いつけを破ってしまった。

 時雨はびっくり顔。

「驚いた……」

「……」

「あ、そのね、私には弟がいたんだ。彼の小さい頃の声に良く似てたから」


 そうか、それで母さんは僕に彼女と口を利くなって……。

 ただ、幸いにも彼女は、ただの偶然だと思ってくれたらしい。


「ごめんね、知らない人に似てるなんて言われても困るよね」

「……」

 別に気にしてない。僕は首を左右に振ってから、まだ答えてもらっていない先程の質問を繰り返す。

「さっきのため息、どうしたの?」

「ああ、うん……時々、お化けをやっつける仕事が嫌になるの」

 え? 鏡矢の一族なのに?

「もちろん悪いことをしたからやっつけるんだよ? でも……お化けにだって事情があるよね。だから本当なら話し合いで解決したい。私には無理でも彼なら……弟の雨道あまみちくんにならできたかもって、そう思うんだ」

 ふうん、優しいんだね。それに君がそこまで言うなら、弟くんはよっぽど優秀だったんだろう。


 何故かな、少し胸が疼く。

 僕は神だ。だからわかるよ。君は自分を卑下しているようだけれど、そんなこと無意味だって。君も優れた人間だ。自分を誇っていい。暗い顔で俯く必要なんかこれっぽっちも無い。


 ──でも、僕にはこれを伝えられない。彼女にとっての僕は、何も知らない無垢な子供。オカルトに興味を抱いている風変りな幼児。だから話しかけて来た。ようやくわかったよ。子供になら退魔士としての悩みを打ち明けても問題無いと思ったんだね。誰でもいいから弱音を吐きたかっただけなんだ。

 僕は本を手に取り、開く。

「あっ……」

 拒絶の意志を示したと気付いたのだろう。彼女はまた申し訳なさそうに苦笑する。

「やっぱり邪魔だよね。ごめん、変な話を聞かせて」

「……」

 僕が怒っているのは、君の考えている理由とは少し違う。多分。

 僕自身にもよくわからない。ただ、何故か悔しいんだ。

 実際この時の僕は子供だった。しかたないだろ、精神は器に合わせて変質する。幼い体では心もある程度幼くなる。

 僕達の最初の出会いは、そこで幕を閉じた。時雨はもう一度だけ謝罪してから諦め顔で去って行き、僕は引き続き無視する。

 以来、彼女は僕を見かけても声をかけて来なくなった。




 僕達が邂逅したのは四年後の二月十四日。いつものカフェスペースでまたしても彼女の方から声をかけて来た。

「あの、覚えてるかな? 前に話したことがあるんだけど……」

「……」

 頷く。自分でも不思議。あの時の記憶は昨日のことのようにはっきり覚えたまま。

「あっ、すぐに行くから安心して。ただ、しばらく見ないうちに大きくなったなと思っただけなの」

「……」

 実際、僕の体は大きくなっていた。もう戦隊ヒーローのマスクを被っているのが滑稽に思えるくらい。実年齢は七歳前でも、肉体的にはその倍だもの。

 僕にとって幸いだったのは、ほぼ十四にしては小柄だったこと。おかげで時雨は成長期に入って背が伸びただけと解釈してくれた。あ、実際それで合ってるか。

「前の時は、ちょっと気まずい感じでお別れしたから気になってたんだ。これ、あの時のお詫びだと思って受け取って」

「……」

 チョコだ。今日が何の日かは僕も当然知っている。無言のまま受け取った。

 でも誘惑に負けて見上げると、時雨は嬉しそうに笑っていた。その表情が想像より晴れやかだったことに謎の衝撃を受ける。

 どうして?

「それじゃあ行くね。ありがとう」

 贈り物をしたのは君なのに、僕に礼を言うのかい?

 今回はごめんねを一言も聞かなかった。

 僕は時雨が去った後、立ち上がり、歩き出した。




 社内のほとんどの場所は僕にとって立ち入り禁止エリア。母さんは可愛い息子を信用はしていないらしく、ご丁寧にそれらの出入口全てに結界を張っている。今の僕では触れただけで消し飛んでしまいかねない強力なものを。七年近くここに住んでいても抜け道一つ見つけられない完全な守り。

 なので、僕は大人しく自室に戻る。あの人に会えるとしたらここだけだから。室外ではたとえ見かけても絶対に声はかけてこない。親子だと知られるわけにはいかないせいで。

 僕はその日、ずっと苛立ちながら待ち続けた。おかげで忠臣さんに心配かけてしまったことも覚えている。あんな様子の僕を見るのは初めてだったのだろう。

 だから彼は母さんに報告して、おかげで母さんはいつもより早い時間に仕事を切り上げ僕のところへやって来た。

「どうしたんだ穀雨?」

「それはこっちのセリフだよ母さん。時雨に何が起きたんだい?」

「時雨? 会ったのか?」

「うん。前に一度だけ会った時とは様子が全然違った」

「鋭いな……わかった、教えよう」


 母さんは語ってくれた。何故時雨の様子が変わったのか、その理由を。


「……鈴蘭様に会って、少し変わったとは聞いていたけれど……」

「そうだ、彼女との出会いがきっかけで踏ん切りがついたらしい。とうとう麻由美さんと歩美に会って罪を告白した。そしてつい先日、半年かけて二人の許しを得た」

 そうか、だからあんな晴れ晴れとした表情だったんだ。彼女は自分のせいで死んだ弟の恋人と娘に許してもらい、ようやく自分でも自分を許すことができたんだ。


 ああ、やっと理解したよ。

 四年前、どうしてあんな態度を取ってしまったのか。


「僕は、悔しかったんだ……」

「悔しい?」

「僕では何もしてやれないと思った。そして今度は、僕以外の人間が彼女を救った」

 なんてことだ。この敗北感。この焦燥感。

 彼女の救いになれなかった。

 その事実を認識したことによる苦痛。

 間違いない。

「僕は、時雨に恋してる」

「なんだと!?」

 流石の母さんも驚いた。忠臣さんまで目を見開く。

「ま、待て。時雨は流石に歳が……いや、しかしあいつにもたしかに身を固めて欲しいと思っていたことだし……待て待て、そもそもまだ六歳で……」

 母さんは一人ぶつぶつ呟きながら子供部屋の中をうろうろ歩き回る。こんな母さんの姿も初めて見た。

 やがて苦渋の決断を下し、僕を抱きしめる。

「お、お前が本気なら応援する……! 母さんはいつでもお前の味方だ……!」

「うん、わかった」

 母さんならそう言ってくれると信じてたよ。

 だから僕は早速行動を始めた。

 二度と後悔しないために。

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