なぞのこどもとしぐれ

 僕はたまに部屋を出る。建物から出ることは許されていないけど、流石に窮屈だろうと嘆いた母さんが二歳半の時にルールを変更してくれた。

 ただ、素顔は絶対晒せない。なにせ鏡矢一族は似たような顔ばかり。母さんの血を引く僕も例外じゃない。だから顔を見られると隠し子疑惑が生じてしまう。

 外出許可と言っても、もちろん僕が入れる場所は限られている。社員の皆さんの仕事の邪魔はしちゃいけないからね。


 社員食堂、カフェスペース、社内託児所。僕が出入りを許されてるのはその三ヶ所だけ。そして必ず特撮番組サムライスターのヒーローが被るヘルメットを着用することになっている。これは僕が僕であるという証でもあるので他の仮面は使えない。

 母さんは僕に外出許可を与えた時、社員全員にこんな命令を出した。


『サムライスターのヘルメットを被った子供は自由に遊ばせておけ』


 変な命令だし、誰もがどうしてと疑問に思っただろう。でも母さんならそういうわけのわからないことを言い出してもおかしくないという妙な信頼があるらしい。おかげで僕は母さんの要望通り自由に過ごせている。あくまでこのビルの中、その一部に限った話ではあるけれど。


「あっ、またあの子よ」


 とてててと廊下を走る僕を見て社員の皆は噂する。


「なんなんだろうね? 社長が直々に自由にさせとけなんて命令するくらいだし特別な子なのは間違いないけど」

「やっぱり社長の隠し子……?」

「いや、社長が妊娠してたことなんて無いじゃない。ちょっと調べてみたけど、あの子が産まれた時期に子供を産めるほど長く休んでいた記録も無かったわよ」

「君達、そのへんにしときなさい」

「あっ、課長」

「すいません」

「あの子について詮索すると飛ばされてしまうよ。ほら営業部にいた佐久間君、覚えてるかね?」

「ヘルメットを脱がそうとしたのが運の尽きでしたね……」


 あー、彼は可哀想だった。まだ若いからうちの母さんを怒らせたらどうなるか理解してなかったんだろう。あの人は身内には甘いけど、身内を脅かす人間に容赦無い。佐久間君は稚内に異動だっけ? 北海道は美味しいものが多いと聞くから、僕としては羨ましくもある。日本の食事はどれも美味しくて最高。

 さて、本日の僕は食堂でお昼ごはんを食べた後、カフェスペースに移動して忠臣さんに買ってもらった本を読み始めた。本日のというか、毎日だいたいこんな感じ。変化があるのは本の中身くらい。今回は大人向けのオカルト本。大人向けと言いつつ幼稚な内容だね。それでも幼児が読む代物じゃない。だからみんな眉をひそめる。


「本当に読めてんのかな……?」

(読めてるよ)


 ちなみにこのヘルメット、口の部分が外せるんだ。おかげで食事する時にも困らない。

 ああ、そうそう、さっきも言ったけど僕は託児所にも入っていいと言われている。他の子供達と遊べってことらしい。でも、このヘルメットのせいで悪目立ちして騒がれるからあんまり好きじゃないんだ。皆が帰った後に一人でおもちゃを使って遊ぶ方が好き。


「ぼっちゃん、三時のおやつだよ、おいで」

 カフェの店員さんに呼ばれ、本を閉じて駆け寄る。甘いものは決まった時間にだけ食べさせるよう母さんが厳命しており、この時間以外は注文しても何も出されない。

 今日はチョコケーキ。チーズケーキの気分だったのに。せめてメニューは自分で選べるよう母さんに頼んでみようかな。

 もちろん、これはこれで好き。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 顔を晒してはいけないけど、会話は許されている。たった一人を除いて。

 そういえば彼女とは絶対に喋るなと言われてるけど、そもそもまだ会ったことさえない。母さんがなんだかんだ理由をつけて出張ばかりさせるからだ。多忙にすることで変な気を起こさせないようにしてると言ってたけど、僕と接触する機会を減らす意図もあるんじゃないかな。

 とはいえ同じ建物の中にいたらいつ出会ってもおかしくはない。だから今日この瞬間のこれも母さんは覚悟していたはず。そうでなければ、絶対口を利くななんて言い聞かせる意味が無い。


「えっ? 子供?」

「……」

 外が見える窓際の席。チョコケーキを食べている僕の姿に気付いて驚く、母さんに良く似た女性。

 それが僕と時雨の出会いだった。




「あっ、あ〜あ〜……そうかそのヘルメット、雫さんが言ってた子か。あ、ごめんね邪魔して。気にしないで」

 愛想笑いを浮かべた彼女はコーヒー片手に少し離れた席へ座る。一瞬母さんかもと錯覚したくらい似ているけど、あの人はあんな笑い方しない。親戚とは言っても性格はだいぶ異なるようだ。

 僕は彼女に対する興味を失い、読書を再開した。ところが彼女の方は僕に対する好奇心を抑えられなかったらしい。しばらくしてから問いかけて来る。

「あの……その本、そういうの好きなの?」

「……」

 黙秘する必要は無い。声は出せないけど顔を見上げて頷き返す。

「……そう」

「……」

「……え、えっと」

 無言を貫く相手に会話を続けるスキルは乏しいらしい。困った顔でしばらく考え込んでから再び口を開く。

「あの、もしよかったらだけど、お話しない?」

「……」

 何故だろう? 疑問に思っていることを示すため首を傾げてみせた。彼女は汲み取って苦笑する。

「ごめんね、仕事でちょっと失敗しちゃって……今日はいいからもう帰れって言われたんだけど、自分としてはまだ帰る気になれなくてさ……」


 僕みたいな子供に馬鹿正直な回答。

 それだけ心が弱ってるのかな?

 しかたない、付き合ってあげる。


「あ、いいの?」

 本を閉じた僕に問いかける彼女。また頷き返すと嬉しそうに対面の席まで移動してきた。

「ごめんね。あ、お礼になんでもおごるよ。何か食べる?」

 彼女がメニューを開いたので、僕はチャンスだと思ってチーズケーキを指差す。

「チョコケーキを食べたばかりなのに? 大丈夫? 晩ごはん、食べられなくなるんじゃない?」

「……」

 駄目ならいいよ。隣の席に置いた本へもう一度手を伸ばす。

「あっ、ごめん。なんでも食べていいから。チーズケーキね、すぐ注文する」

 彼女は慌てて備え付けのタブレットから注文。

 ちょろいな、と僕は思った。

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