氷の騎士様、実はモテたい ~コミュ障が過ぎて幼なじみとしかまともに話せないんだけど、どうしたらいいんですか?~

瘴気領域@漫画化決定!

氷の騎士様、実はモテたい

「氷の騎士」と呼ばれる青年、ジークハルト。

 いまは彼の男爵位陞爵しょうしゃくを祝う舞踏会だと言うのに、今日も壁に背を預けたまま、身じろぎひとつしない。


 男たちが挨拶に行けば二言、三言は口を開くが、貴族にありがちな美辞麗句を並び立てるでなく、まるで軍務中のやり取りのようだ。

 貴族令嬢たちが勇気を奮ってダンスに誘っても、うつむいて黙ったまま一言も発さない。


 そんな態度と、美しい銀髪、彫像のように整った顔立ちから、いつしか彼は「氷の騎士」の異名で呼ばれるようになっていた。

 帝国との戦争で立て続けに武功を立て、一介の騎士の身分から準男爵、男爵とまたたくまに立身出世を遂げた、血統主義の根強い王国の歴史の中でも異例の存在である。


 曰く、その武は大陸に比類するものなく、曰く、その勇は神話の英雄たちにも肩を並べる。剣を取っては岩をも切り裂き、弓を取っては星をも射落とす。

 王都の吟遊詩人たちはこぞって彼を褒め称える詩を歌い上げ、果ては大将軍か近衛隊長かと衆目が見込む、若き傑物けつぶつであった。


 眉目秀麗で武勇に優れ、将来も有望となれば貴族の婦女子たちは放っておかない。

 気合いを入れて美しく着飾った令嬢たちが何人も何人もダンスに誘うが、それでも氷の騎士の表情はぴくりとも動かない。

 そんな軽薄さを微塵にもまとわない姿に、令嬢たちはますます熱を上げてしまう。


 一方で、その様子を苦々しい思いで見ている者たちもいる。

 今回で爵位を追い抜かれた貴族たちや、彼への報奨のために割りを食ったと感じている者たちだ。


 貴族社会は魑魅魍魎の棲まう伏魔殿。

 彼が社交も得意であったのなら、そうした悪意を軽減することもできたのだろうが、彼の口から世辞が出ることは一度としてない。

 悪意と嫉妬は着実に積み上がっていたのである。


 中でも、もはや憎悪に燃える視線をぶつけているのはアブダグ伯爵令息だ。

 醜く太ったこの男は、ジークハルトの陞爵しょうしゃくのきっかけとなった先の戦で、功を焦って命令無視の突撃をした挙げ句に、あっという間に潰走するという不名誉を犯した。

 その責を問われ、アブダグ家の所領の一部が没収され、ジークハルトに与えられたのである。


 まったくもって逆恨みとしか言いようがないのであるが、アブダグは「将来自分が継ぐべき領地を、成り上がりの騎士如きにかすめ取られた」と、自らの失態は棚に上げてジークハルトに憎しみを向けていた。


 ジークハルトが、またひとり令嬢からのダンスの誘いを無視した。

 それを見たアブダグの目がかっと見開き、真っ赤に血走る。

 いま、すげなく誘いを断られた令嬢は、アブダグの元婚約者だったのだ。


 元、というのは、これも先の戦争での失態が原因で破棄されてしまったためだ。

 貴族社会における結婚とは、強い家と血を結んで自家の力を高めるためにある。

 つまり、「アブダグには将来性がない」と見限られたも同然の出来事だった。


「成り上がりの騎士野郎め。いまに見ていろよ……」


 舞踏会が終わるまで、アブダグはジークハルトに憎悪の視線を浴びせ続けた。


 * * *


 とある邸宅の一室。

 銀髪の青年と、亜麻色の髪をした娘がテーブルを挟んで座っている。


「うわー、今日もほとんど話せなかった……。舞踏会とか、怖すぎるんだけど……」

「ハルト、あんたの人見知り、まだ治ってなかったの? 軍隊じゃしっかりやってるんでしょ?」

「軍務はしゃべることが決まってるからいいんだよ。でもさ、舞踏会で洒落たやり取りとか、できるわけないじゃん。つか、話しかけられても半分以上は意味もわかんないし」

「いい加減、少しは慣れなさいよ」


 酒の入ったグラスを片手に、くだを巻いているのは誰あろう、かの氷の騎士である。

 下賜された王都の屋敷の一室に引きこもり、机に突っ伏して、涙目になってやけ酒を飲んでいた。


「ほら、あんたの好物焼いてやったから、これ食べて少しは元気出しなさい」

「おお、ミートパイ! 昔からコモナの焼くミートパイは最高だよなあ」


 栗色の髪をした娘が、泣き言を続けるジークハルトの前にほかほかと湯気を上げるパイを置く。

 羊肉のひき肉と潰したジャガイモ、トマトを混ぜたものをパイで包んで焼き上げたそれは、コモナと呼ばれた娘の得意料理だった。


「でも、本当に助かったよ。王都にまともに話せる友だちなんていないし……」

「そもそも友だちなんてひとりでもいるの?」

「うっ」


 コモナの辛辣な言葉に、ジークハルトは返答に詰まる。

 そして熱々のパイをかじってほふほふと言ってごまかす。


 この幼なじみは、子どもの頃からジークハルトに遠慮ない言葉をかけてくるのだ。

 しかし、「言葉の裏を読む」ということが人並み外れて苦手なジークハルトにとって、それはむしろ好ましい態度だった。


 コモナはジークハルトの屋敷に務めていた使用人の娘だ。

 ジークハルトの家は乳母や家庭教師が付けられるような大身たいしんの家柄ではなかったため、とりあえず同じ年頃の子ども同士で遊ばせておけと小さいころからよく一緒に過ごしていたのである。


 そのため、極端な人見知りであがり症でもあるジークハルトにとって、唯一安心して話すことのできる相手だった。


「友だちの話はさておき、最近は見合いの話なんかも来るんだぜ? 初対面の貴族のお嬢様とか、なに話したらいいのかさっぱりわかんないよ」

「ハルトは貴族のお嬢様どころか、農婦のおばちゃんとだってまともに目も合わせられないじゃない」

「うっ」


 ジークハルトは再び返事に詰まり、今度は酒を飲んでごまかした。


「だいたいさぁ、俺が結婚なんてできると思うか? 今日の舞踏会でもダンスに誘われたりしたんだけどさ、返事を考えてるうちにみんなどっかに行っちゃって、絶対嫌われたよなあ……。みんなお義理で誘ってくれただろうに」

「そりゃまあ、無視されたと思って腹も立つでしょうね」

「そうだよなあ……」


 ジークハルトは自分が社交界で注目を浴びていることにさっぱり気がついていない。頑なにダンスに応じない姿もかえってその人気を高めているのだが、本人にその自覚はまったくなかった。


 これはコモナも同様で、そもそも平民で社交界には縁がないし、このポンコツな幼なじみが女にモテる様子など想像もつかないのだ。吟遊詩人の歌などは知っているものの、実際に接したことがない者が囃し立てているだけだと思っている。


「俺とまともに話してくれる女の子なんてお前だけだもんなあ」

「相手してやってるんだから感謝しなさいよ」

「いや、まったくそのとおりだよ。あっ、じゃあさ、いっそ俺と結婚してくれよ」

「『じゃあ』ですって……!? 調子乗るんじゃないわよ!」


 ジークハルトの軽口に、コモナは思わず怒鳴ってしまった。

 そして背を向け、足早に屋敷を去っていく。

 ジークハルトが自領から平民の愛人を連れてきたなどと噂をされないように、気を使って屋敷には泊まらず、別に宿を取っていたのである。


「やばい、怒らせちゃった……。俺、こういうところがほんとダメなんだよなあ。明日、ちゃんと謝ろう……」


 ジークハルトはすっかりしおれて、またちびりとパイをかじった。


 * * *


「『あっ、じゃあさ』って何よ! 『あっ、じゃあさ』って! そんなプロポーズってある!?」


 夜の街並みをコモナが肩を怒らせながら歩く。

 その顔はさまざまな感情で真っ赤に上気していた。

 そして怒らせていた肩が、数歩進んで今度はがくりと落ちる。


「それに……男爵様になんてなっちゃったら釣り合わないじゃない」


 王国において、騎士が平民をめとるのはまったく珍しくもない。

 準男爵でもそれほどには珍しくない。

 言ってしまえば騎士は戦闘員に過ぎないし、準男爵は一代限りで「本物の貴族ではない」という考えなのだ。


 だが、男爵ともなれば血縁を重視して貴族同士で結婚するのが通例だ。

 当人同士の心情的にはともかく、世間から見ればジークハルトとコモナはあまりにも身分が離れすぎてしまっていたのだ。


 コモナはジークハルトに辛辣な言葉をかけるが、それは彼を認めていないということではない。むしろ、誰よりも正しく彼を認めている。

 真面目で融通がきかず、嘘がつけない実直な性格。幼いころから剣や弓、乗馬の訓練を毎日毎日繰り返し続けていたこと。

 コモナが森で迷子になったときには、一晩中歩き回り、泥だらけになって探しに来てくれたこと――


 ジークハルトの美点は数え上げればきりがない。

 そして、率直に言ってコモナはジークハルトに恋をしていた。

 しかし、いかに幼なじみで気安い関係だと言っても、所詮は使用人の娘と雇い主の貴族なのだ。

 コモナ自身の口からその想いを告げることは到底できなかった。


「なんだかんだで、いつか、どこぞのお貴族様と結婚するんだろうな。その方がハルトのためにもいいし、私が出しゃばる問題じゃないんだよ……」


 もそもそと自分に言い聞かせながら歩く。

 エールでもあおりたい気分だが、宿まではもう少しかかる。

 近道をしようと、路地に入ったそのときだった。


「痛い目をみたくなかったら、黙って大人しくしろ」


 暗がりから現れた数人の男たちに、コモナは囲まれていた。


 * * *


 翌日の夕方。

 ジークハルトは屋敷のエントランスを落ち着きのない犬のようにぐるぐると歩いていた。


「あー、コモナ遅いなあ……。これは相当怒ってるんだな。宿まで出向いて謝るべきか……でも怖いなあ……」


 王都の滞在中は、コモナは朝から屋敷に来て、ジークハルトの世話や雑用をしてくれることになっていた。

 実際のところ、やらせっぱなしは気が引けるということで、ジークハルトも料理や洗濯を手伝っているのだが、そのコモナが夕方になっても現れないのだ。


「いったい何がまずかったんだろ……。考えてもわからないから、謝りようがないんだよなあ。とりあえずクッキーを焼いたけど、これで許してくれるかなあ……」


 クッキーには、子どものころ、コモナと作った暗号で「ごめんなさい」と書いてある。郷里の子どもたちの間で流行していた遊びだった。

 そして、ジークハルトがコモナを怒らせてしまったときは、暗号を書いたクッキーを焼いて謝るのがいつの間にか習慣になっていたのだ。


 そんな風にぶつくさと煮えきらないことをつぶやきながらエントランスをぐるぐると歩き続けていると、屋敷の外で気配がした。

 やっと来てくれたかと思い、ジークハルトはその場で動きを止める。


 頭の中で謝罪の練習を繰り返して待つが、いつまでたっても戸を叩く音がしない。

 ひょっとして、コモナも怒ったことを後悔していて、気まずいのだろうか。


 待ちきれなくなったジークハルトが戸を開けると、そこには一通の手紙が置かれていた。

 一瞬、コモナからの手紙かと思ったが、彼女の性格から言って、わざわざ手紙で何かを伝えるようなことはしないだろう。


 封筒には「成り上がり騎士ジークハルトへ」と宛名があるだけで、差出人の名前もない。不思議に思いながら封を切り、中を確認してジークハルトの表情が一変した。

 ジークハルトは手紙を破り捨て、剣を取り、屋敷を飛び出した。


 破り捨てられた手紙には、こんなことが書かれていた。


「貴様の女は預かった。返してほしくば、宵闇の刻、鷹羽たかのはね通りの廃倉庫へ来い。ひとりで来なければ、女を殺す」


 封筒の中には、栗色の髪の毛が一房ひとふさ入れられていた。


 * * *


「約束通り、ひとりで来たぞ! コモナを返してもらおう!」


 廃倉庫。

 アブダグは約束どおりにひとりで現れたジークハルトを見て、仮面の下で厭らしい笑みを浮かべた。


 部下たちに倉庫の周辺を探らせ、伏兵がいないことを確認すると、猿ぐつわをして後ろ手に縛ったコモナを連れ、ジークハルトの前に姿を見せる。

 左右には屈強な男たちが5人、やはり仮面で顔を隠して立っていた。


「くくく、本当にひとりで来るとはおめでたいやつだ。よほどこの女が大事らしいな」

「コモナ、無事か!?」


 ジークハルトがコモナに声をかけるが、猿ぐつわがされていて返事ができない。

 普段は眉ひとつ動かさない「氷の騎士」がうろたえる様子に、アブダグはこらえきれずに高笑いをした。


「あーはっはっは! まったく無様だな、ともあろうお方が。いつもの取り澄ました顔が台無しだぞ」

「くそっ! いったい何が目的だ!」

「目的、目的ねえ。とりあえず、言うことを聞いてもらおうか」


 アブダグはコモナへとナイフを突きつけ、ジークハルトに剣を捨ててひざまずくことを要求した。ジークハルトは顔を歪めながらもそれに従う。


「くくく、あのが僕に跪いているぞ! 靴でも舐めさせてやろうか」

「それでコモナが返してもらえるなら、なんでもやってやるよ」

「ふん、格好つけるんじゃない! 貴様のそういうところが気に食わんのだ。しかし、いつまでその意地が張れるか、これから試してやろう」


 そう言うと、アブダグはコモナを部下へ預け、ジークハルトの背後に回る。

 そして腰から短い鞭を引き抜き、ジークハルトの背を思い切り打った。

 服が引き裂かれ、皮膚に赤い線が走る。


「鞭打ちは平民用の刑罰だがな、貴様のような成り上がりに思い知らせるにはちょうどいいだろう。これに100回耐えたら女を返してやろう」

「わかった」

「降参したくなったら早く言うのだぞ?」

「誰が降参なんかするか」

「女もしっかり見ておけ! 目をつぶりでもしたら、数を100回増やすからな!」


 アブダグの鞭が風を切るたび、ジークハルトの背中の傷が増えていく。

 10回もすると、もうジークハルトは血まみれだった。

 そもそも、鞭打ちに100回も耐えられる人間などいない。

 数十回も打たれれば、痛みのショックや出血などで死んでしまう。

 鞭打ち100回とは、重罪人に課せられる拷問であり、事実上の死刑なのだ。


 ジークハルトも痛みに耐えかねたのか、いよいよ身体が前のめりに倒れ、両手を地面につける。


「ん゛ん゛ーーーー!!」


 あまりにも凄惨な光景に、コモナは猿ぐつわの下からくぐもった悲鳴を上げる。


「くっくっくっ、もう耐えられなくなったのか? そうだなあ、さすがに100回は酷だったか。女と分けて、50回ずつにしてやってもいいぞ?」


 アブダグの仮面の下から、湿った舌なめずりの音が聞こえる。

 だが、それへのジークハルトの返答は明確な拒否であった。


「そんな……必要は、ない」

「ふん、いまだに虚勢を張るか」

「だから、コモナ。恐れずに、ちゃんとくれ」

「ほう、残酷なことを言う。すぐに婦女子に見せられるような有様ではなくなっていくぞ。さあ、身を起こせ! 再開だ!」


 アブダグは、地面に手をついているジークハルトの身体を引き起こす。

 地面はすでに、ジークハルトの血でまみれ、奇怪な模様を描いていた。


「ところでお前の声、どこかで聞いた気がするな」

「ほう、いつもだんまりの氷の騎士様がおしゃべりとは珍しい」

「名も知らんやつになぶり殺しにされるのはさすがに悔いが残るからな」

「時間稼ぎにしても見え透いているな。まあいい。付き合ってやろう。もし、一度で当てられたら10回減らしてやる。僕の名前を言ってみろ!」


 苦痛に耐えるジークハルトの口から、「アブ……」と言う言葉が洩れる。

 アブダグの仮面の下の表情が愉悦にゆがむ。

 この生意気な成り上がり騎士は、アブダグの名を心に刻んで地獄に落ちるのだ。


 しかし、ジークハルトの返答は期待したものとは違っていた。


「アブ……アブ…‥アブラデブだったか?」

「なんだと貴様ぁッ!!」


 怒り狂ったアブダグが、満身の力を込めて込めて鞭を振り下ろす。

 その瞬間、身を翻したジークハルトが鞭を奪い取り、電光石火の勢いで投擲した!

 それは見事にコモナにナイフを突きつけられた男の目に命中し、男は思わず顔を押さえて身をかがめる。


「いまだ、逃げろコモナ! 人混みに向かえ!」

「ん゛ん゛!」


 まるで打ち合わせでもしていたかのように、即座にコモナが駆け出す。

 否、「していたかのように」ではない、打ち合わせはされていたのだ。


 ジークハルトが地面に手をついたとき、二人だけの暗号を使って血文字で「隙をつくる。逃げろ」と伝えていたのである。

 たとえジークハルトが約束通り100回の鞭打ちに耐えたとしても、その後に口封じで二人とも殺されることは目に見えていた。

 アブダグに素直に従うと見せかけて、ずっと機会を狙っていたのだ。


「馬鹿者! 逃がすな! 追え、追え!」


 突然の出来事に呆気にとられていたアブダグの部下たちは、命令を聞いて弾かれたように走りはじめた。

 アブダグもその後を追って走りはじめる。


 ジークハルトも剣を拾うと、背中の痛みをこらえて走りはじめた。


 * * *


 王都と言っても、日が暮れてしまえば人通りは少ない。

 照明に使う油が高価なため、平民は日が暮れたら早々に眠ってしまうのだ。


 夜遅くとも人目の多いところ――富裕層が住む地区を目指してコモナは全力で駆けていた。大声で助けを呼びたいが、後ろ手に縛られており、猿ぐつわを外すこともできない。


 追いつかれる恐怖と戦いながら、必死に足を前に進める。

 コモナは田舎育ちの健脚だ。追手のアブダグたちもなかなか追いつけない。

 その後ろからは、片手に剣を提げて懸命に走るジークハルト。


 コモナの耳に、遠くから音楽が聞こえてきた。

 人々のざわめきや笑い声も聞こえてくる。

 進路をそちらに向けると、やがてざわめきが大きくなってくる。

 灯りに照らされた舞台と、それを囲む人だかりが見えた。


 路上劇場だ。

 どこの劇団かは知らないが、興行の真っ最中らしい。


 コモナは迷わず人混みに飛び込む。

 群衆をかき分けて追っ手から少しでも距離を取ろうとする。


 アブダグたちも必死だ。

 この企みが露見すれば、所領没収どころの処罰では済まないだろう。

 仮面で顔を隠しているし、多少人目につこうがもはや後には引けない。


 コモナは人混みを突き抜けて、ついに舞台にまで駆け上がった。

 それを追ってアブダグたちも舞台に上がる。

 観客たちのざわめきが大きくなる。

 演出なのか、何かの事件なのか判断がついていないのだ。

 衛兵を呼ぼうと動くものもおらず、舞台にいた俳優たちも突然の闖入者に戸惑い、固まっていた。


 舞台は三方が書割かきわりに塞がれて、もはや逃げ場がない。

 後ずさりするコモナを囲んでアブダグたちがにじり寄る。

 いよいよここまでか――とコモナが諦めかけた瞬間、全身を血に赤く染めながらも、美しい銀髪をたなびかせた男が目の前に割って入った!


「よくここまで逃げた。もう、大丈夫だ」

「くっ、追いつかれたか! だが所詮は多勢に無勢。いくら貴様でも、その傷で5人の相手はできまい!」

「おや、自分は頭数に入れないんだな。まったく、見上げた根性だ」

「ええい、黙れ! 貴様ら、もういたぶる必要はない。この場でこやつを殺せ!」


 男たちがナイフを抜き、ジークハルトに飛びかかろうとする。

 だが、それは為されなかった。

 男たちはその場にぐたりと崩れ落ちてしまったのだ。


「き、貴様、何をした!?」

「何をって? 剣を振っただけだが?」


 凄まじい剣速で振られたその一閃は、文字通り目にも止まらず誰にも見ることができなかったのだ。


 ジークハルトは鞘付きの剣をぽんぽんと手のひらで叩きながらアブダグに向かって一歩一歩進んでいく。

 アブダグは情けなく崩れ落ち、舞台に尻もちをついてずりずりと後ずさった。


「ひ、ひぃ。悪かった! このとおりだ! 見逃してくれ! 命だけは助けくれ!」

「コモナに感謝するんだな。彼女の前で、あまりむごいものは見せたくない」


 ジークハルトは土下座で許しを請うアブダグの脳天に、鞘付きのままの剣を振り下ろして気絶させる。

 そしてコモナの猿ぐつわを外し、縛っていた縄を解く。


「大丈夫? 怪我はなかった?」

「ううん、手首がひりひりするくらい。ハルトこそ背中、大丈夫?」

「ぶっちゃけ超痛い」

「もう、やせ我慢だけは得意なんだから。ひとまず止血するから、傷を見せて」

「わかった」


 ジークハルトはくたびれた様子でその場に座り込み、コモナに背中を向けた。

 コモナはスカートの裾を引きちぎって簡易の包帯を作り、それを巻いていく。


「訓練で怪我したとき、いつもこんな風に手当してたのを思いだすわね」

「ああ、うん。懐かしいな。いつもありがとう……それから、今日はごめん」

「なによ、助けてくれたじゃない」

「いや、そもそも俺のわがままで王都に連れてこなければ、こんな危ない目にはあわなかったし……」

「なに言ってんのよ。私だって一度くらいは王都に来てみたかってのもあるし、そんなことは気にしないの」

「でも、もしまた危険な目にあったら……」

「また助けてくれるんでしょ?」


 つい先程まで人質にされていたにも関わらず、あっけらかんと告げるコモナに、ジークハルトは思わず苦笑いをしてしまった。

 そして、本人としてはまったく自然な流れのつもりで、言った。


「もちろん、何回でも助けるよ。コモナのことは、俺が一生守り続ける・・・・・・・

「はぁ!?」


 突然のセリフに、コモナは両手で顔を覆ってその場にうずくまった。

 また何か変なこと言ってしまったのかとジークハルトがおろおろしていると、観客たちから拍手と指笛がまだらに鳴りはじめ、やがて大歓声に包まれた。


「やるじゃねえか、兄ちゃん!」

「ねえ、あれってやっぱり氷の騎士様よね?」

「女を寄せ付けないって話だったが、心に決めた相手がいたんだなあ」

「よっ! いいぞ、氷の騎士様! あんたらの結婚はここにいる全員が証人だ!」

「うう……あたいの氷の騎士様が結婚しちゃうだなんて……悔しい、でもおめでとうは言いたい!」


 こうなると劇団も心得たもので、紙吹雪を撒き散らしたり、楽器をかき鳴らして祝福ムードを盛り上げはじめる。


「えっ、ええっ!? なにこれ、怖い! えっ、てか、ここ舞台だったの!?」


 我に返ってうろたえはじめるジークハルトの手を引いて、顔を真っ赤に染めたコモナがそそくさと舞台を降りて家路につくのだった。

 黙って歩くコモナに手を引かれながら、ジークハルトはふと思い出して口にした。


「あ、あと昨日も怒らせちゃってごめん。正直、理由がよくわかってないんだけど……」

「それはもう、解決したからいいの!」


 コモナは突然振り返ると、少し背伸びをして、目を丸くするジークハルトにそっと口づけをした。


 * * *


 その後、アブダグ伯爵家は全領没収の上、御家断絶の処分となった。

 ジークハルト男爵と平民コモナの結婚は、体面を重んずる王国の貴族社会においては極めて異例のことだったが、民衆からの熱狂的な指示によりそれほどの物議も呼ばずに認められた。


 たったひとりの愛する女性にみさおを立て続けていたのだ……と誤解された氷の騎士ジークハルトは、これまで以上にモテまくることになるのだが、それはまた、別のお話。


(了)

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