第3話 もう一人の金雀枝大和

「えっ、金雀枝先輩!?」


 とっ、とコンクリートに軽やかに着地する上級生カラーの上履き。ピンとした背筋。ボリュームある髪を軽くまとめる穏やかなしぐさ。

 なんだか先ほどまでと酷く印象が違うが、見た目は同じ。間違いなくそこに現れたのは先程大激怒で屋上を出て行った金雀枝大和先輩だ。

 どうして戻って来たんだ? やっぱり僕をシメていかないと気が済まないとか? もしかして自分から戻って来て「顔を見せるなつっただろ」とか言う因縁をつける気?

「あ、あ、あっ、あの、僕出ていきますね」


 自分より背の高い女子に殴られるのは怖い。なるべく目を合わさずに出ていこうとする僕の右腕を、しっかりと掴んで引き止められた。


「ひえぇっ」

 天敵を目の前にした野ウサギのようにくすみ上がり、逃げることも構えることも出来ずただただ震える僕に、ヤンキーは突然優しい声色で声をかけてきた。

「さっきはあの子が怖がらせてごめんね」

「え?」

 巻き舌気味の威嚇するような圧のある怒張ではなく、優しく諭すような言葉選びに、相手を勘違いしたのかと思わず声のした方を見る。あの子、って事はもしかして別人なのかもしれない。

 しかし、改めて彼女を凝視しても、そこにいるのはやはり先ほどと同じ赤髪スカジャンピアスに黒マスクのヤンキーだ。

「怒鳴ったりしないから、私の話を聞いて欲しいの」

 彼女は俺の腕を離す。拘束の意思はなく俺の気持ちを尊重しているとアピールしているかのように一歩俺から距離を置いた。

「あ、あなたは?」

 自分でも何を馬鹿なことを言っているんだと思う。だってどう見ても目の前にいるのは先程別れたばかりのヤンキーの金雀枝先輩だ。頭ではそれをわかっている筈なのに思わずそんなセリフが出てしまうほどに目の前の彼女の印象はがらりと変わってしまっていたのだ。


 僕が話を聞く姿勢を見せると、彼女はふっと穏和な笑みで話始めた。

「逃げないでいてくれるんだね、ありがとう。改めまして、私は金雀枝大和。あなたがさっきまで話していた彼女と私は同じ人間よ」

 本人の口から出た答え合わせで、俺の脳みそは納得と混乱を繰り返す。

「ふふっ、そんな困った顔をしないでよ」

「すみません。なんていうか、あまりにも雰囲気が」

 こっちの金雀枝先輩なら、僕が入試の時にお世話になったあの人のイメージとしっくりくるけれど、何故急に彼女は穏やかな女性の演技を始めたのだろう。

 もしかしてヤンキー姿の方が演技だったのかな。何のメリットがあるんだそれは。

「あぁ、これは演技じゃないよ」

「えっ」

 心の声が読まれた!?

「キミ、すごく顔に出やすいんだね。可愛い」

「・・・ぐっ」

 初対面の女性から言われた「可愛い」に反射的に辛い気持ちになってしまうが、目の前の憧れの先輩から貰った好意的な言葉に嬉しいとも思ってしまう。

「名前はなんていうの?」

「僕ですか。藤波、藤波直央。一年です」

「ナオ君か。名前まで可愛いんだね」

 女性とも男性ともとれる中性的な自分の名前はあまり好ましく思っていないのだけど、嬉しそうな先輩の顔を見ると悪い気はしない。

 さっきはヤンキーの形相にビビって真剣に見ている余裕は無かったが、金雀枝先輩は記憶の通り美人だった。

 大きく鋭い瞳は嘘を見透かしてしまいそうな透明感と凛々しさがあり、高い身長に見劣りしないスタイル。綺麗な顔つきでありながら年相応に愛らしい声色と可愛い笑顔。

 なんというか、カッコよさと美しさと可愛さを兼ね備えたみたいな完璧な人だ。

「私の顔がどうしたの?」

「えっ、あ、いいえ。その。金雀枝先輩ってすごく美人だなって」

 顔だけでなく胸やウエストの曲線美まで見ていた事は伏せておこう。僕のようなぽっと出のモブにとはいえ、美人と言われて嫌な気分にはならない筈だ。

「ふふっ、ありがと」

 よかった、やっぱり良い感想は素直に言っておくものだ。


「この子も喜ぶと思う」

「この子?」

 また出てきた変な言い方。脳みそ混乱状態異常も大分解けてきて、そろそろ違和感の正体を探りたくなった。

 顔も見たくないと言って出て行ったヤンキー先輩が屋上に戻って来て、突然雰囲気の変わった様子で僕の事を可愛がり始めたこと。会話の節々に見えたズレた単語も含めて考察すると、僕は馬鹿馬鹿しい一つの答えにたどり着いた。


「金雀枝先輩はなんだかまるで、二重人格みたいだ」


「・・・えっ」

「あっ! い、いえ。今のは」

 金雀枝先輩が嘘をついていない前提。双子では無く、演技じゃないとすればと考えていたら出てきた僕の中の結論。それはあまりに突拍子もないものだった。

「へぇ、凄いね。すぐにわかっちゃうんだ」

 馬鹿らしい僕の推察は、予想に反して花丸印付きの正解が与えられた。

「変わった子だなぁとは思っていたけど、こんな直ぐにバレちゃうなんてびっくりだよ。勘がいいんだね」

「まさか、本当に?」

 二重人格。一人の人間の中に二つの人格がある状態のこと。多分精神病とか心理学関連の言葉だと思うけど、僕には物語やドラマでの知識しかない。

「そう、私達が金雀枝大和」

 トリックの種明かしをする彼女は、胸のつかえがとれたみたいに清々しい爽やかな表情をしていた。

 長い髪を耳にかけると現れたシルバーのピアスが太陽の光に反射してキラリと光る。彼女の優しい語り口調と荒々しい銀色のミスマッチさがよりその事実に真実味を帯びさせている。


「ナオ君が知っているのかはわからないけど、金雀枝大和はお嬢様なの」

「えっ、もしかして金雀枝自動車の?」

 日本を代表する自動車メーカーである金雀枝自動車。実は僕も最初に『エニシダ』と聞いて会社名の方を思い浮かべた。確か国内で普通乗用車に自動運転機能を最初に搭載した企業だった気がする。日本人なら誰でも名前を知っている大企業で、金雀枝先輩がそこのお嬢様ということ?

 なんだか急に目の前の人が本物の有名人だと言われたようで実感が沸かない。今の金雀枝先輩はわかるけどヤンキーの方の先輩はとてもじゃないけど大企業の一人娘には見えない。見た目だって誰が見ても不良だし、にわかに信じがたい。

「うちの学校の人なら殆ど知っているんじゃないかな。金雀枝自動車の社長令嬢がどうしようもない不良娘だって。誰ともつるまないし授業もよくエスケープする、柄は悪いし口も悪いし態度も悪い。なによりこの昔のドラマに出てくる不良をそっくり真似したみたいな恰好でしょ? ド派手な赤髪に制服の上から着ているスカジャン、これのせいで『赤鬼』なんて呼ばれているの」

 そうだったのか、友達がいないから知らなかった。

 そういえば涼羽に金雀枝先輩の話を聞いた時も赤鬼という単語が出てきた。あれは狂犬とか悪魔みたいな、よくある不良につけられるあだ名の一種だったのか。

「詳細は省くけど、金持ちの家は色々面倒でね。特に金雀枝グループは同族経営を基本とする企業だからその辺のプレッシャーとかも大きくて。経営の話とか跡継ぎとか婿養子とか、ただの女子高生が簡単に全て背負えるようなものじゃないの」

 漫画でしか聞いたことが無いような話でも、大企業の社長令嬢という本物のお嬢様にとっては現実世界での悩みになる。彼女一人にのしかかったものは僕が想像しているよりずっと大きいのだろう。

「それで、お嬢様としての生活に疲れて生み出したのがヤン・・・じゃなくて、不良の金雀枝先輩ということですか?」

 確か二重人格は現実逃避のために別人格を作ってしまう事によって起こりえると聞いたことがある。自分に降り注ぐ不幸を他人事と思う為や、辛い現状を自分の代わりに肩代わりしてくれる人物が現れて欲しいという強い願望が新たな自分を誕生させる事があるとか。

 両親や企業からの期待に雁字搦めにされた窮屈な生活をおくる社長令嬢。そんな彼女は現実逃避に自由に我を貫き通すヤンキーの自分を作り出したのだろう。

「あぁ、違う違う」

「あれっ」

「私が副人格。主人格はさっきの不良娘のほう」

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