最終話 選択

 僕はシロキさんが何を言っているのかわからなかった。

 毒?あと1時間で僕は死ぬ?

 それは隣にいたウィリーや、通信を繋げて聞いていたユリネやダニエルも同じだったようで、誰もがその意味を理解するために一時停止していた。不吉な宣告がただの聞き間違いであってほしいと、期待した。続くシロキさんの言葉がその期待を打ち砕く。

「今からORCAシステムの中枢に行って、レイヤー0を使って私の願いを叶えてくれたら、解毒剤を渡そう。君は助かる、そうすれば。」 

 これは、脅迫。人質は、僕の命。

 未だ、理解は感情に追いつけず、僕は反射的な否定を口にする。

「う、嘘だ。また口から出まかせを……もう騙されない。」

 死の恐怖による反射的な否定。だが、これは経験からの理性的判断なのだと、無理やりコーティングしてみる。せめてもの反抗。

「ふむ……そう思うのは勝手だ。君が死んでも、私は『インテルフィン配列』の実験を繰り返すだけだ。構わないよ、別に。」

 ウィリーが身を乗り出し、シロキさんの腕を掴んだ。

「今すぐ解毒剤を渡して。さもないと力づくでも!」

「ここで私を痛めつけても意味はない。解毒剤はここにいない部下が持っている。」

 僕は自分の膝がガタガタ震えているのに気がついた。

 頭の中にダニエルの通信が聞こえる。

「すまない、おそらくお前たちがコーヒーの話をしている時だ。ずっとお前らを見ていたんだが、あの時だけ、突然現れた別の客の陰になっていた……迂闊だった。」

「私も、周囲は見ていたんだけど……ごめんなさい。」

 僕は何も言葉を返せなかった。悪いのはみんなじゃない。迂闊なのは僕だ。

 嘘かもしれない、でも本当かもしれない。

 今から急いで中枢に行って、何をする?

 誰も教えてくれない。

 また、なのか?また、この人の手のひらで踊らされて、良いように使われるってことなのか?自分は成長出来たと思ったのは間違いだったのか?

「あまり、のんびりしている時間はないんじゃないかな?もっとも、時間があっても君が何かを決断できるとは思えないけどね、私には。」

 僕の動揺を正確に読み取り、世界的デザイナーはより直接的な表現で僕の心を揺さぶった。

 ああ、そうだ。僕は何も決められない――

「行きますよ!」

 その時、ウィリーが僕の手を引っ張って立ち上がった。

 シロキさんの澄ました顔が、一瞬面白くなさそうな感情に染まった。予想通りに動いていた精緻な仕掛けが、横からの無造作な衝撃でその動きを鈍らせたのを見たように。

「行ってからどうすれば良いか、決めれば良いじゃないですか。一緒に行きましょう。そのために来たんでしょ?」

「……ああ、そうだったね。」

 物理的な体に引き摺られて、僕の感情も立ち上がった。

 僕自身は何も変わっていない。それは自覚していた。一人なら結果は変わらない。でも――

「みんな、今から中枢に行こう。ユリネ、サポートしてくれ。ウィリーとダニエルさんは、一緒に来てくれ。」

 いつの間にかそばに来ていたダニエルが、シロキさんの腕を掴んで引っ張った。

「俺はこいつを連れていく。逃したら何をするかわからん。」

 シロキさんは笑みを浮かべた。

「そんなに乱暴にしなくても、大人しくついていくよ。見届けなければね、君の決断を。」

 歪んでしまった仕掛けをコンコンと叩いて修正するように、シロキさんは言葉で僕を叩く。

「くっ……」

 唐突に告げられたタイムリミット。僕たちに観光の時間は与えられなかった。ホテルを出て、ORCAシステム管理局本部のビルへと走った。


 シロキさんは自分の言葉通り、特に抵抗することも無く僕たちについてきた。ダニエルが調べたが、武器も、そして解毒剤らしき物も持っていなかった。だからといって放っておけば、どこでいつ邪魔してくるかもわからない。解毒剤のためにも、連れて行く必要があった。

『そこを曲がって……いや一本向こうの方が良い。団体の観光客が来た。』

 ユリネが市中センサーの情報を使ってアシストしてくれる。メインシャフト3番駅は公共施設がメインであり、事務的な雰囲気の漂うビル街だ。だが一部には太平洋事変や知性イルカに関わる史跡があり、観光名所になっていた。今から向かうORCAシステム本部ビルの前は、最後のインテルフィン、『ウィスキュイゥ大帝』を追い詰めて倒した場所とされており、その記念碑が歴史に興味のある観光客を集めていた。

 僕達のIDは、レイヤー1を使ってORCAシステム管理局の最上級管理官レベルに改竄していた。ORCAシステムに絶対の信頼をおくこの世界では、ほぼ全てのセキュリティは既にフリーパス状態だ。だが、実際の人間や知性イルカの目は誤魔化せない。まして有名人のシロキさんを引き連れているから、見られると厄介だ。

「うっ。なんか目眩が……吐き気もする……」

 目的のビルから出てきた職員が通り過ぎるのをやり過ごすため、立ち止まった時だった。僕は自分の体の異変を自覚した。どうやら毒を盛ったという点に関しては、シロキさんは嘘をついていなかったようだ。

「先輩、大丈夫ですか!そんな、やっぱり毒は本当だったんだ。」

 ウィリーが泣きそうな顔で僕の背中をさすった。ポッドの硬い感触を背中に感じながら、僕は顔を上げる。目をつぶり深呼吸をすると、いくらか楽になった。

「とにかく、辿り着こう……!大丈夫、走れるよ。」

「そうしてくれ。イルカたちを滅ぼすんだ。生きるためにね。」

 僕とウィリーに睨みつけられたシロキさんは、無言で肩をすくめた。

『今なら大丈夫。行って……死なないで。』

 通信越しでも涙ぐんでいるとわかるユリネの通信を合図に、僕達はORCAシステム管理局本部のビルに駆け込んだ。先頭はダニエルだ。

「ビル内で走り回るのは目立つ。落ち着いていこう。場所は地下なのか?」

「超特異点AIはそう言ってたけど……」

 その時、僕のORCAシステムにメッセージが届いた。差出人の名は、ロバート・ジュニア。超特異点AIが名乗っていた名前だ。僕はメッセージを開封した。

『ようこそ、管理者。本部ビルへの入場を確認しました。プロトコルに従い、あなたとその同行者を中枢へご案内します。指定のエレベーターから秘匿階層へと降りることができます。詳細は添付ファイルをご確認ください。』

 添付ファイルには、エレベーターへの道順と、13という数字が示されていた。

「どうしたんですか、先輩?」

「超特異点AIが呼んでる。こっちだ。13番エレベーターだ。」

 僕はユリネに超特異点AIからのメッセージを転送した。目的地を確認したユリネは、職員を避けられるタイミングや迂回路を指示してくれた。

 焦らず、急ぐ。病院に忍び込んだときのことを思い出す。そうしている間にも、だんだんと僕の呼吸は荒くなっていく。確実に、タイムリミットが近づいている。

 13番エレベーターは定員10名ほどの何の変哲もないエレベーターだった。のっぺりと白く塗られた両開きの扉の横には、上下の矢印のボタン。扉の上には地下5階から35階までの数字。それらの表示がARで浮いて見える以外は、本当に何の変哲もないエレベーターだった。今、エレベーターはここ、1階に来ているようだ。扉の前に立つと、まだボタンを押していないにも関わらず自動で扉が開く。中も白い壁に囲まれた普通のエレベーターで、奥側の壁に『アバターの不正複製は犯罪です!』と書かれた大きなポスターが貼ってあるのが、いかにもORCAシステム管理局らしい。

 僕たちは互いの顔を見て頷き、エレベーターの中に足を踏み入れた。全員が乗ったところで扉は勝手に閉じた。扉の上にある、行き先を示すAR表示にノイズが走り、そこに『秘匿階層』と表示された。そして、存在しないはずの場所へ、静かにエレベーターは下降を始めた。

「ここは地下5階しかないはずなのに……」

 地下5階はとうに過ぎているのに、エレベーターは停まらない。メインシャフトの中を海底に向かって降りているのだ。このまま海底を突き抜け、地球の中心まで行ってしまうのではないかと思うくらい、エレベーターは下降を続けた。

『そこから先は、センサーがない。私もそっちに向かう。』

「はぁ、はぁ、ユリネ、無理はしないで……うっ!」

 唐突に吐き気の大きな波が来て、僕はエレベーターの中に座り込んだ。

「ふむ……分量を間違えたかな?」

 ガン!と音がした方を見ると、ウィリーがシロキさんをエレベーターの壁に押し付けていた。

「許さない!今すぐ解毒剤を渡して!」

 シロキさんはとくに慌てることもなく平然としている。

「あはは、冗談さ、ウィリーちゃん。私を痛めつけても無駄だと言っただろう?私の見立てだと、彼が迷わなければ間に合うよ、おそらく。私は医師免許も持っているんだ、大丈夫さ。」

「嘘つき!間に合うって、解毒剤が?今ここに無いのに、どこから出すの?本当は最初から――」

「……ウィリー。もうしょうがないよ。行くしかない。」

 僕も気が付いていた。最初からそんな都合の良い解毒剤など無いのだ。僕はあそこでお茶を飲んだ時に詰んでいたんだ。悔やんでも、時間は戻せない。

 降下中のエレベーター内で、僕の荒い呼吸だけが聞こえている。 

 しばらくして、ガコン、と音がしてエレベーターが止まった。一体どのくらい降りたのだろうか。エレベーターの機械音が消え、あたりは静寂に包まれている。メインシャフトの外側に広がる深海の静寂が、この場所まで染み込んできているようだった。

 一拍おいて、エレベーターの扉が開く。扉の先に広がっていたのは薄暗く、長い廊下だった。僕らの到着で目を覚ましたように、廊下の壁が光を放ち、エレベーターから廊下の奥へと、順に闇を払っていった。廊下は長く、その先はまだ闇に包まれている。なんとなく、アルの秘密基地に似ていると思った。

「はぁ……行こう。」

 光が廊下の端に達したその時、廊下の向こうで揺れる人影に、僕は気がついた。すかさずダニエルが僕の前に立ったとほぼ同時に、大きな銃声が聞こえた。

 これも、いつか見た光景だ。

「危ない、危ない!そういえば、まだあいつがいたな。」

 ダニエルの防弾処理が施されたポッドは銃弾を軽々弾き、いつか見た光景が繰り返されることはなかった。廊下の向こうの人影が口を開く。

「仲間が増えたようだね、御影君。私は1人減ってしまったというのに。」

 ウィルターヴェが銃を構えて近づいてくる。その背後には大きな扉があった。おそらくあの扉の向こうが中枢だろう。

「姿をくらませば良かったものを、やはりここに来てしまったか……御影君、取引をしよう。」

「取引……だって?」

 ダニエルの後ろに隠れながら、僕は声を張り上げるようにして答えた。そうでもしないと、もう普通のボリュームの声を出せなかった。

「そう、取引だ。君が何もせずに引き返してくれれば、全員を見逃そう。君の仲間たちも一緒にね。君も、世界の混乱は望まないだろう?」

「……だめだ。だめなんだ。」

 もしシロキさんに仕掛けられたタイムリミットがなければ、この取引を受けていただろうか?いや、そうはしないだろう。もしそうするなら、そもそもここには来てない。どうしようもなく、非合理的。

 そして、このままだと僕は死ぬ。

 では、どうする?

 シロキさんに従って、知性イルカを滅ぼす?そんなことできるはずない。

「残念だ。どうやら事情があるようだが、大人しくここを通すわけにはいかない。私にも立場というものがある。もっとも、私に勝ち目はなさそうだがね。下手に仲間を呼べないのが、この仕事の辛いところだ。」

 そう言ってウィルターヴェはアバターを解除した。初めて見る本当の姿。美しくシルバーに輝くポッド。その各部に露出したシリンダーは青く、また関節の締結部は赤く宝石のように輝き、ワンポイントとして銀一色の本体を飾っている。その機構自体をデザインとして魅せるような姿は、まるで高級な機械式時計の中身を思い起こさせた。その美しいメカニズムの中心、ゆらめく水が満たされた水槽の中に、他より少し黒い知性イルカがいた。

「やるだけやろう。一応、私も正義の味方、だからな。」

 ウィルターヴェはその輝くポッドの足で地面を蹴り、猛スピードで突撃してきた。軍用ポッドほどではないが、おそらく特別仕様なのだろう。意外なパワーに、体当たりを受け止めたダニエルがバランスを崩した。

「くそっ!行け!」

「先輩、行ってください!」

 ダニエルとウィリーが、二人がかりでウィルターヴェを押さえる。もつれ合う三人の知性イルカの横を抜け、僕はふらふらとした足取りで、ほとんど歩くのと変わらない速度で走った。後ろを振り返ると、三人の争いに巻き込まれないよう、エレベーターの壁に身を寄せていたシロキさんと目があった。

「御影君。君は人類の代表だ!イルカから人類を救ってくれ!」

 シロキさんの言葉は英雄を送り出す仲間のセリフそのものだ。白々しい。だけどその明確な願いは僕には無いものだ。うっかりその強さに染まらないよう、僕は何も答えずに進んだ。

「先輩、先輩は先輩の願いを叶えてください!」

 ウィリーの声に僕は振り返った。他人の願いに流されるなと言ってくれている。でも僕は未だに自分の願いを自覚できていなかった。その代わり、思い出したのは船でのウィリーとの約束だった。言っておかないといけない気がした。

「約束、守れなかったらごめ――」

「だめです!困るから!」

 僕の言葉を最後まで言わせない勢いに、思わず笑った。

 再び扉へ向かって走った。今度は通信でユリネの声がした。

『私も、家族がいなくなると、困る。』

 みんな僕に対してだ。気がつくと僕は泣いていた。


 僕が近づくと、廊下の突き当たりの扉は音も無く横に開いた。その中はとても広い空間だった。3階分はありそうな高い天井の空間の中央には、大きなコンソールを備えた一段高い台があった。その背後には、円筒形の何かが等間隔に並んでいる。どうやらそれは水槽のようだったが、薄暗くて中身は見えなかった。足下から中央のコンソール台に向かって2本の光の線が伸び、そこが通路であることを示した。後ろの扉が閉まり、辺りは静かになった。

 襲ってくる吐き気と闘いながら、僕はその光の線に沿って進んだ。

 あの台は王座か、それとも断頭台か……

 コンソール台にたどり着くと、パッと部屋全体が明るくなった。照明器具のようなものは見当たらず、壁や天井の素材時代がぼんやりと光っているようだ。モノレールで見た海中都市の居住区と同じ素材なのかもしれない。

 光に照らされ、円筒形の水槽の中身があらわになる。水が満たされ、様々なコードが繋がったその中にあったのは、目を閉じた真っ白なイルカだった。標本だろうかと思ったが、口にはしっかり空気を供給するための管が繋り、時折白い泡がそこから漏れ出ている。

「管理者、メインコンソールへようこそ。生きてたどりついたようですね。今のところは。」

 ロバート・ジュニア、超特異点AIの声が部屋のスピーカーから流れてきた。何か喋ろうとしたが、うまく声が出ない。

「あなたの質問を予想して先に答えると、その水槽の中にいるのはインテルフィンのクローンたちです。残念ながら、入るべき意識は死んでしまいましたので、空っぽですが。」

「クローン……」

 言葉を何とか絞り出す。そこから僕の疑問をきちんと読み取って、超特異点AIはベラベラと解説を喋る。

「ORCAシステムのレイヤー0を使えば、肉体の乗り換えができます。単なる記憶の移動ではなく、自我を保ったまま乗り換える手法を、インテルフィンは持っていました。あなたたちが魂と呼ぶものの一端を、インテルフィンは解き明かしていたのです。」

 僕は霞む視界で、水槽の中のイルカを見つめた。少し普通の知性イルカより大きい気がした。そんな僕の心を読んだように超特異点AIが話を続ける。

「初代の体はもっと大きかったのですが、知性イルカ並みにダウンサイジングしています。インテルフィンたちは頭は良いのですが、実は寿命が短く、しかも生殖能力が無かったので子孫が残せませんでした。なので、彼らは自分達のクローンに意識を乗り換え、生きながらえていたのです。ただ、乗り換えはこの部屋でないと出来ませんから、外で殺されたらそれっきりです。ちなみに、あなたがコードVを発現したのと、このインテルフィンの秘密には関係があります。」

「?……どういうこと?」

「コードVの発現条件は、『インテルフィン配列』と呼ばれる遺伝子配列、あとは、です。精神の年齢と言っても、心が幼いとかいう意味ではありませんよ。わかりやすくいえば、魂の年齢です。あなたは、魂は99年前に生まれているのに、冷凍睡眠で身体の老化は抑えられていましたから、上手いこと条件を満たしたのです。」

「魂……そんなものが本当に?」

「インテルフィンたちの感覚や思想を説明するのは難しいのですが、管理者にわかるように説明を試みましょう。我々の自我は、他の知的生命体との相互の認識によって生まれます。お互いに違う存在を認識し合って、その他者がさらに他の他者を認識して、という繰り返しで、集団のネットワークの中で個、魂や自我といったモノが芽生えるのです。ORCAシステムはノード、いわゆる利用者からそういった無意識下の情報も得ることができますから、魂を認識し、その年齢を測ることもできるのです。これはID情報とは無関係です。インテルフィンは体を乗り換えているので、魂と体の年齢が乖離します。これが最高管理者として認識される、もう一つの条件です。」

 わかったような、わからないような気分だった。だけど、その内容について考えるよりも先に、僕は自分に限界が近づいていることを感じていた。

「悪いけど、そろそろ本題に入ってくれ……」

「はい、管理者。状況はずっと見ていました。私の計算ではあと10分は持ちますから、頑張ってください。」

「10分……」

 命の残り時間が、唐突に告げられた。

「インテルフィンたちの目的について答えましょう。それは、全ORCAシステム使用者の脳を繋いでから、自我を消失させて一つの知的生命体に進化することです。」

「はあ?」

 あまりの予想外の答えに、僕はずいぶん間抜けな声を出してしまった。

「インテルフィンは、なにも人類を滅ぼして、イルカだけの世界にしようなんてセコイことは考えていませんよ。彼らは地球文明を救おうとしたのです。レイヤー0でできる様々なことは、副次的な物にすぎません。あなたの質問を予想して先に答えると、これは外宇宙や高次元からの侵略に対抗するためです。インテルフィンたちは、地球上の生命の知性の限界に気がつきました。このままではいずれ、より高度な知性に滅ぼされる。そう考えた彼らは、地球規模で知的生命体の脳を繋ぎ、一つの『知的生命体 地球』に進化することを計画しました。ですが、類人猿戦争で人類は大きく減ってしまい、絶対的な数が足りなかったのです。なので、知性イルカと呼ばれる存在を作り、人類の復興に協力して、地球上の知的生命体の数を増やそうとしたのです。だから知性イルカは子孫も残せるように作りました。」

「それはまた……壮大な……」

 僕はついに立っていられなくなって膝をついた。

「でしょう?さすがインテルフィン!ですが、その崇高な理念は誤解され、インテルフィンはイルカ中心主義だと思われてしまいます。集団が抱く恐怖の連鎖の感染力を、インテルフィンは過小評価してしまったのです。ですが、彼らは諦めなかった。真実を隠したままあえて負け、ちょうど良いところで一部の者にだけ真実を伝えて、ORCAシステムを維持せざるを得なくしました。さらに、特定の思想を持たない者がコードVを発現してここに来るように、意図的に情報を分割して世界中にヒントを残したのです。そうしてあなたがやってきたのです、管理者!ちなみに、最新の私の計算によると、あと5分の命です。」

 僕がここにくるのも、室米やシロキさん、旭やウィルターヴェたちが必死に争うのも、全部インテルフィンの計画通り、ってわけか。しかし、喋るのが好きなAIだ。

 僕はコンソールの前に仰向けに寝転んだ。

 さて、どうしたものか。

管理者アドミニストレータ、どうせなら死ぬ前に選んでください。イルカを滅ぼすもよし、人類を滅ぼすもよし。私は実行者オペレーターですから、あなたの意思に従います。できれば、インテルフィンの悲願を果たしてほしいのですけど。」


 さあ、決断の時間だ。

 僕はどうしたら良い?

 先送りは出来ない。命が尽きる。僕は大きく息を吐いた。


「あと4分です。」


 ――先輩は、先輩の願いを叶えてください!


 僕の願い?僕の願いとは何だろう?

 シロキさんの願いは、知性イルカの絶滅。それは僕の願いではない。

 では人類の滅亡だろうか?それは室米たちイルカ中心主義者の願い。それも違う。

 インテルフィンの復活。知性の高い彼らに導いてもらう?それは少し良いかもしれない。でもインテルフィンの本当の狙いを知ってしまった。

 インテルフィンの願いは、地球の全知的生命体を繋いで一つの「知的生命体 地球」を誕生させること。それは、もしかすると、良いことなのかもしれない。でもそれは僕の願いではない。


「管理者、あと2分です。」


 ――あなたのことを覚えていた、私を覚えていて。

 ――今をしっかり生きて、積み重ねたら、いつの間にか幸せになっているよ、きっと、ね。


 僕はどうしたいのだろう?こうして迷って何も選ばずに、死ぬのが願いなのか? いや、それも違う。なぜならば――


――私より先に死なないでください。困るので!

――私も、家族がいなくなると、困る。


 僕はどこまでも受動的な人間だ。自分の願いとか、野望なんて無い。

 だから他人の願いを聞いてしまう。じゃあ、誰の願いを聞くか、くらいは選ぼう。


「僕は死ねない。ウィリーやユリネたちと、この時代を生きなければならない。まだ死にたくない。」


 超特異点AIは何も答えない。


「僕は、生きたい。僕を生きせてくれ。」


 意識が遠のく。約束は守れないのかな。

 視界が闇に閉ざされる。

 ひどい耳鳴りに混じって、超特異点AIの声が聞こえた。

「良いことを思いつきました、管理者。あなたの命令を受け付けます。」


                      ◆ ◆


 ウィリーとダニエルは、シロキを連れて中枢の部屋へとたどり着いた。

 2人がかりで何とかウィルターヴェのポッドを破壊し、銃を奪って戦闘不能にした。ウィルターヴェは、壁にもたれかかったポッドの中で気を失っている。

 光る廊下の突き当たりの扉にたどり着くと、音も無くスッと扉が横に開いた。入室自体に管理者権限は必要無いようだ。

 地下の石切場を思わせる、広くて高い天井の薄暗い空間が広がっていた。そこでウィリーたちが見たのは、部屋の中央、一段高くなった所で仰向けに倒れ、ピクリとも動かない御影だった。

「先輩!」

 広い空間に、ウィリーの声はよく反響した。駆け寄り、抱き寄せた御影はもう呼吸をしておらず、そして心臓も止まっていた。つまり、そこにあったのは亡骸だった。

「そんな、先輩!嫌だ……約束したのに。私を匿ってって、死ぬまで……」

 御影の亡骸を抱え、涙を流すウィリー。ダニエルは深いため息をついた。

「間に合わなかったか。」

 そこへ、ユリネが肩で息をしながら中枢へ駆け込んできた。秘匿階層へのエレベーターが動いたのは、超特異点AIの計らいだろうか。だが、全ては終わっていた。冷たくなっていく御影の体を抱え泣くウィリーを見て、その状況を悟ったユリネは、言葉もなくその場で立ち尽くした。成長したせいか、シロキはユリネのことには気がつかない。昔の失敗作に興味は無いのだ。

 悲しみと絶望に染まる光景を、シロキは鼻で笑った。

「ふん。結局、何も決断できないまま死んでしまったようだね。彼らしい。」

 シロキの計画では御影が何かを決断したところで、どのみち助かる事は無かった。御影達が薄々感づいていたように、解毒剤なんて最初から用意していなかったのだ。死の恐怖から知性イルカの絶滅を願えばしめたもの。そこまで愚かではなかったとしても、ヒントを残して死んでくれれば次に繋がる。シロキの思考は既に、次のコードVの実験が半分、残りの半分は本業の秋の新作コレクションの事へと切り替わっていた。

 力なくうなだれるダニエルの腕を振り払い、シロキは中枢の部屋の中を歩きまわり、観察を始めた。

「ここに来れたのはラッキーだ。何か、次に繋がるヒントがないだろうか。ふむ……これは?」

 シロキはコンソールの後ろに並ぶ、円筒形の水槽と、その中に浮かぶイルカに気がついた。白いイルカ。身体の各部に繋がるパイプやケーブルはこのイルカを生かすための装置に見える。

「まさかこれは……ということは……」

 そこへ、足を引きずりながら、ウィルターヴェがボロボロのポッドで現れた。ポッドは完全に壊れてはいなかったのだ。だが、戦闘はもうできないし、できたとしてももう無意味だ。ウィルターヴェは、水槽の中のイルカを見つめるシロキに言った。

「そのへんにしておけ。知らない方が良いこともある。」

「はは、今さらだね。この白いイルカは、ふむ……インテルフィンか?」


 その時、水槽の中のイルカの目が開いた。


                      ◆ ◆


  

 ウィリーが、を抱えて泣いている姿が

 僕の目は閉じている。だが、聞こえた。エコーロケーションによる知覚。

 自分の額から発振された音波が物に当たって返ってくる。それは無数の点の集まりとして感じられた。その点が集まって面になり、さらに集まって形状を構成する。懐中電灯の光を当てるように、音波を当てた場所の状況が把握できた。懐中電灯の灯りと違うのは、直接当たった場所以外も音波の反射や回り込みで様子がわかることだった。それらが統合され、頭の中で3次元のマップが形成される。自分に対してどの方向の、どれくらいの距離に、どんな形の物があるのか、のマップだ。正面が最も解像度が高く、そこから遠くなるにつれて、認識する点の密度は減り、構築される物体の像は溶けたようになっていた。

 僕は目を閉じたまま、自分の身体に意識を集中させた。僕の手足はヒレになった。少しだけ動かしてみれば、軽い水の抵抗と共に、水中に浮く体を感じた。

 エコーロケーションの知覚が、僕の方に歩いてくる人間の形状を捉えた。口元から波が発せられている。シロキさんが喋りながら歩いての方に来るのが聞こえているのだ。

「この白いイルカは、ふむ……インテルフィンか?」

 僕はゆっくりと目を開けた。少しボヤけている。どうやらイルカの視力はあまり良くないらしい。エコーロケーションの知覚と、眼球の視覚による知覚が脳で統合され、僕の脳内の3次元マップに色が付いた。視覚の範囲内の解像度がさらに上がる。水槽を見上げるシロキさんの顔をしっかりと認識できた。人間の時はわからなかった、化粧で隠された顔の表面の微細な凹凸さえも。

「な……生きている?」

 僕の目が開いたことに気がついたシロキさんが、僕を興味津々に覗きこむ。

 水槽はORCAシステムに直結していた。この身体はインテルフィン。当然『インテルフィン配列』が組み込まれている。魂と身体の年齢の乖離という条件も満たしている。つまり僕はまだ最高管理者権限の保持者だった。僕は脳波コントロールで超特異点AIへ、とある指令を出した。

 口を開いた僕は、人の言葉が喋れないことに気がつく。イルカだからだ。脳波コントロールで、室内のスピーカーから声を発した。人間の時の僕の声が出た。不思議なものだ。

「シロキさん。ひどいじゃないですか。解毒剤なんて最初から無かったんでしょう?」

 シロキさんは、驚きの表情で固まった。僕が初めて見た表情だった。

「御影君?!そんな……」

「体の乗り換えか!」

 いち早くウィルターヴェは状況を理解したようだ。ダニエルとユリネ、涙目でこちらを見ているウィリーは何が起こっているのかわからない、という顔でぽかんとしている。

 視力は高くないのに、部屋の状況が、みんなの表情がはっきりと分かった。なるほど、慣れれば便利だ。

「き、君にそんな決断ができるはずが……!」

「僕は願っただけです。シロキさん。」

「君は……死の恐怖で私の要求を受け入れるか、迷ったまま死ぬかの、どちらかのはずだ!」

 シロキさんは初めて狼狽した様子を見せた。それは彼女の頭の良さゆえだろう。ORCAシステムやレイヤー0の知識から、何が起こったか、何をしたのかを理解したから、驚いているのだ。これから自分が何をされるかも。

「勝手に決めつけないで下さい。僕は、約束したんです。シロキさん、これからあなたの、ORCAシステムの秘密に関する記憶を全て消します。」

 シロキさんが目を大きく見開き、その口が半開きになって、頬の筋肉が痙攣するようにピクピクと引きつった。

「じょ、冗談だろ……記憶を消すだって。……ああっ、頭が!」

 シロキさんは頭を抱えてその場に膝をついた。

「既に命令は出しました。個人的な恨みが無いかと言えば嘘になります。でも僕は人殺しはしたくない。優柔不断なんです。ですから、危険な情報は忘れてください。」

「そんな、もう少しだったのに!人類のために……ああ、パパ!」

 そのままシロキさんは意識を失った。横にいたウィルターヴェが頭をぶつけないように、その身を支えた。

「管理者、処理は終了しました。結構な量の記憶を消去、修正したので気絶してしまいましたけど。」

「ありがとう。ロバート・ジュニア。」

 ウィルターヴェはその腕に抱えたシロキさんをゆっくりと床に寝かせた。

「記憶を消したのか。こいつは有名すぎるから、死なれると少し厄介だった。」

 ウィルターヴェはイルカの僕と、ウィリーに抱えられた「僕だった物」を交互に見た。

「レイヤー0で、インテルフィンのクローン体に意識と記憶を転送するとはな。出来るとは言われていたが、当然初めて見たよ。さて、私の記憶も消すのかね?それとも私を殺すか?君はどうするつもりだ?」

 僕の願い。人間だった僕が、最後に口にしたこと。

「僕は、生きていたいです。ウィリーたちと、この時代を生きたいです。」

 言葉にして他人に言ったことで、願いが形をなし、僕はそれを目的として自覚した。目的が明確なら、いくらでも手段は浮かんでくる。そういう意味では、確かにシロキさんは僕の背中を押したと言えるのかもしれない。壊れかけのポッドの水槽の中で、ウィルターヴェは笑った。

「ははは、随分と利己的だな。であれば、まずは命を狙う私を排除するのだな。もう覚悟はできている。」

 ウィルターヴェはその身を差し出すように、両手を広げて一歩前へ出た。

 命を狙う者を片っ端から排除する。記憶や命を奪ったりして。それも、手段の一つかもしれない。

 でも、それでは終わらない。まだ続くだろう。僕の周りでも、僕の知らないところでも。だから――

「あなたは殺しません。取引です。僕はもう、この部屋には来ませんし、レイヤー0は使わないと誓います。」

「ほう?」

「なので、ウィリーとユリネ、あとダニエルさんには、もう手を出さないでください。」

 僕はそう言いながら、ウィリー達に意識を向けた。ウィリーたちは、黙って僕とウィルターヴェのやりとりを見ていた。中枢の部屋に通奏低音のように響く低い機械音だけが、僕の認識の中で揺れている。僕の言葉を吟味するように黙っていたウィルターヴェが、再び声を発した。

「……それで、君はどうするのかね?」

「『ハルポクラテス委員会』に僕を入れてください。」

「何?どういうつもりだ?」

 部屋の全員の目が開かれ、僕のほうを見つめるのが分かった。眼球の黒目のふくらみさえ知覚できるような気がした。

「ORCAシステムに関わる悲劇を、僕が防ぎます。それはORCAシステムの秘密を守ることになるはずです。つまり、『ハルポクラテス委員会』にとって僕は有用です。だから僕の命を狙うのを、やめてください。」

 ウィルターヴェは目を閉じた。ウィリーとダニエル、ユリネは互いに顔を見合わせて、その意味を理解しようとしている。

「なるほど……確かに、私が死んでも『ハルポクラテス委員会』は君を死ぬまで追い続ける。どうしても看過できない存在だからな。だが、コードVを持つ君を捕まえるのは困難だ。不毛な追いかけっこを続けるより、管理下に置いて活用した方が都合が良いし、イルカ中心主義者や人間中心主義者も手が出しにくい、ということか。」

 ウィルターヴェは見事に僕の思惑を解説してくれた。

「それに――」

「?」

「ORCAシステムの最高管理者権限を持つ僕なら、あなたや旭よりスマートにやれます。家を燃やさなくてもね。」

 それを聞いたウィルターヴェは笑った。

「ははは!いいだろう、取引は成立だ。歓迎するよ。一緒に世界の平和を守ろう。」

 ついに僕達の敵はいなくなった。

 僕は、「僕だった物」を抱えてポカンとした表情で座り込むウィリーたちに手を、いや、ヒレを振った。ウィリーが駆け寄ってくる。まだ公共アバターをONにしていたが、エコーロケーションの知覚にはORCAシステムは干渉しないのか、アバターの下のポッドの形が分かった。そこに、視覚で感じている少女の姿がダブって表示されているように、僕の脳は認識していた。知性イルカにとって、イルカと人間の区別は最初から一目瞭然、いや、一瞭然だったのだ。

「先輩 !良かった。よくわからないけど、そこにいるんですね!」

 遅れてユリネが駆け寄ってきて、不思議そうな顔で僕を見つめる。

「魔法みたい。」

「ウィリー、ユリネ……僕、イルカになっちゃったよ。」

 ウィリーはアバターを解除し、本当の、イルカの姿の瞳で僕を見た。

「まあまあ、かっこ良いんじゃないですか、その体も……あれ?目が赤いんですね。」

「そうなの?インテルフィンってアルビノだったのかな?」

 水槽内を反射する音波により、僕は自分の身体の形を正確に把握していたが、そこには色の情報が無かった。目に映さないと色はわからないのだ。僕は水槽の反射で自分の姿が写らないかと、体勢を変えてみた。だが、慣れていないイルカの体でバランスを崩し、水槽の中でひっくり返ってしまった。

「もう、先輩、何やってるんですか?子供みたいですよ。」

 ウィリーとユリネが笑う。ダニエルは少し離れたところから微笑んでいた。僕はジタバタしながら、なんとか体の向きを戻した。

「ウィリーに、イルカとしての泳ぎ方を教えてもらわないとな。」

「フフ、どうしようかなぁ。私は、ユリネちゃんにも泳ぎ方を教えないといけませんからね。」

「3人で一緒に泳ごう。海も、この世界も。」

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