第13話 呪いの言葉と管理者権限

 ――ウィリェシアヴィシウスェ、人間は私たちより知能が低く、すぐに争いを始めたり、環境を破壊してしまう哀れな生き物なんだ。だから、私たち知性イルカが人間たちを導かないといけないんだよ。

 ――はい、お父さん。私は人間を助けてあげる良いイルカになります!


 知性イルカの独り立ちは早い。イルカ達は生まれてから6年ほどは親と一緒に過ごすが、その後は個体として独立して社会で活動し、家族単位で暮らすことはほとんどない。

 だが、愛であれ、思想であれ、思い出であれ、親と過ごす数年間に受け取るものが、その後の精神の核になるのは人間と同じである。三つ子の魂百まで、というのは人間に限った話ではないのだ。

 そして、それは時に一種の呪いともなる。


「はあ……」

 静かに機械の音が響く地下のラボの中央で、背中から伸びるケーブルを見ながら、ウィリーことウィリェシアヴィシウスェはため息をついた。実際にイルカがため息をつくことは無いのだが、脳のインプラントが感情を読み取り、ORCAシステムが人間の姿のアバターにため息をつかせていた。

 今の自分はケーブルが届く範囲でしか動けない旧式のロボットのようなもの。人間より知性が優れているとされている知性イルカだが、結局、地上生活用ポッドに頼らないと陸上では自由に行動は出来ないという事実がもどかしい。

 地下の基地に残ったもう一人、ユリネは一人で何やら無言でコンピューターをいじっており、話し相手にはなってくれなさそうな雰囲気だった。自由に動けない今のウィリーは一人、物思いにふけるしかなかった。

 先輩――浦幌御影は、ウィリーの父親が昔お世話になったというイルカが後見人になっていた。経緯は詳しく聞いていないが、そのイルカが数年前に経済的事情でこの国を離れなくてはならなくなり、その時に浦幌御影をウィリーの父親に託したという。その後、彼が治療で目覚めるという事になって、個人的な人間への興味もあり、ウィリーが後見人を引き受けたのだった。

 ウィリーやその家族はイルカ中心主義者というわけではなかったが、強いて言えば「イルカ優位主義」と言うような思想を持っていた。人間との共存を前提としながらも、知性イルカは人間よりも優れており、人間の事を、知性イルカが導かなけれなならない存在、と捉えている。これはウィリーの家族が特別な思想に染まっていた、というわけではない。イルカ中心主義者ほど過激ではなくとも、大多数の知性イルカは皆どこかで、自分達の方が人間よりも優れている、と思っていたのだ。その先に、人類の排除があるかどうか、の違いだった。慈悲深い立派な知性イルカとしては、人間の浦幌御影を世話することは当然の勤めだと、ウィリーは思っていた。

 病院の中で御影と初めて会った時の様子を思い返す。80年間冷凍睡眠していた人間の男の子。彼はまず、イルカが喋るのすら知らなかった。驚かれるのは覚悟の上で、意識して明るく話しかけたつもりだった。だが、初めて会った時の彼の顔には、困惑と恐怖の色がはっきり浮かんでいたのを覚えている。やっぱり人間は、守り、導かなければ行けない存在なのだと、その時強く感じたのだった。

 彼は退院する日の朝まで目を合わせて会話はしてくれなかったが、外に出て公共アバターがONになったとたんに元気になって会話が弾んだのはうれしい半面、少し複雑な気分だった。

 人のフリをして人に寄り添うのはヒトのため?それともイルカのため?

 そして、昨日の襲撃だ。最初は浦幌御影を自分が見事に守ったと思っていたのに、ポッドの破損で最後は逆に助けられた。

 本当に人間は知性イルカより劣った存在なのだろうか?

 その時、視界に表示されたウィンドウと脳内に響く電子音がウィリーの思考を中断させた。相手は同級生のアルこと、ウィムアルゼムィンスェだった。

「なに?どうしたの?」

 焦った様子の声が答える。

『なあ、そっちにミカゲが戻ってないか?実は……はぐれたんだよ。待ち合わせ場所にいないんだ。』

「ええっ?こっちには……帰ってきてない、と思うけど。ユリネちゃんじゃないと扉開けられないから分からないよ。」

『アイツは夢中になると呼び出しに気付かないんだよ。訊いてみてくれるか?』

 ORCAシステムの着信は嫌でも視界にウィンドウが表示されるのに、それに気が付かないとは変な話だと思いながら、ウィリーはユリネに話しかけた。

「ねえ、ユリネちゃん。先輩が帰ってきてないか見てくれる?」

「?……」

 ディスプレイの影からひょっこりと顔を出しだユリネが不思議そうに首を傾げる。小動物のようなその姿に、思わず顔がほころぶ。ウィリーはこの不思議で小さな人間の少女の事を愛らしい存在と感じていた。哺乳類としての母性本能のようなものかも知れない。

「先輩とはぐれたんだって。入口に来てないかな?」

「見る。」

 ユリネは頷いてコンピューターを操作しだした。一緒にディスプレイを覗き込もうと思ったが、背中のケーブルが邪魔であきらめた。確認はすぐ終わったようで、10秒も経たずにユリネが短く言った。

「いない。」

「そう……ありがとう。ウィムアルゼムィンスェ、いないってさ。戻ってないよ。大丈夫なの?」

「うーむ、ちょっと、いやかなりマズいな。ミカゲが逮捕されたってニュースは出てないみたいなんだが……もう少し街中を探してみる。」

「お願いね。じゃあ私はニュースを気にして確認しておくよ。」

 通信を切りながら、ウィリーはやっぱり人間は手がかかるなぁ、などと思っていた。御影の苦悩を感じ取れるほど、ウィリーはまだ人間の事を知らなかったのだ。


                  ◆ ◆


「父親、ですって?」

 ビルの路地裏。御影は、相対したシロキの瞳を見つめる。私の父親、鹿追士郎を殺した件について……確かにシロキさんはそう言った。自分でも分かりやすく困惑している御影と違い、シロキさんの感情は読み取れなかった。

「鹿追士郎は私の父親なんだ。私の本名は、鹿追白木しかおい しろきだ。」

「ちょ、ちょっと待ってください。僕を治療した医者がシロキさんの父親?僕が殺したことになっている……あの人の息子ということですか?あなたが?」

「おや……娘だよ、私は。まあ、それはどちらでも良いさ。」

「……」

 いくつかの衝撃に飽和状態に陥った僕の脳は、次に口にするべき言葉を見失った。

「別に捕まえようというつもりじゃないさ。私は知っているよ、君がやってないのは。だから安心するんだ。」

「じゃ、じゃあ一体目的はなんですか?なぜイルカに知られちゃマズいんですか?」

「ふむ……説明しよう順番に。君は狙われているんだ。コードVのためにね。コードVはこの世界をひっくり返す可能性がある。私は人類を守りたい。」

「コードVって、僕だけ公共アバターが無制限なことですか?それがなんで?」

「コードVとは、ORCAシステムの管理者権限だ。最高管理者権限だよ。ドイツ語のVerwalterの”V”。意味は、まあ、管理者といったところかな。知性イルカの生みの親、ロバート博士がドイツ系だったからなのかな。公共アバターが無制限というのは出来ることのごく一部に過ぎないよ、本来は。」

「管理者権限……ORCAシステムの……?」

「システムには管理者が必要だ。政府高官などが権限を持っている。だが、せいぜいレイヤー2までだ。だが、コードVはレイヤー1権限も使える最高管理者権限だ。」


 ORCAシステムは、その機能別に複数の層――レイヤーに分かれている。数字が小さいほどレイヤーになり、システムの根幹に近づいていくという。

 レイヤー4が一番浅いレイヤーで、ホビーアバター関連の機能を司る。仮想世界におけるホビーアバターの設定はこの範囲だ。仮想世界における秩序維持を目的に、主に警察関係者がこの権限を保持しており、ホビーアバター設定の上書きオーバーライドなどが出来る。

 公共エリアでのアバター設定の制限はレイヤー3の範囲だ。現実世界における人間とイルカの共存のための仕組みだ。

 レイヤー2は通信や仮想世界の空間自体の設定を司る。レイヤー2の管理者権限を持つ者であれば、仮想世界の設定、つまり「仮想世界の物理法則」を変えられるという。

 さらに深いレイヤー1はID管理の機能を司る。権限があれば、ORCAシステム利用者全員の個人情報、位置情報を自由に取得出来る他、電子決済や銀行口座への干渉が出来る。レイヤー1の管理者権限は国際的な凶悪テロリストの追跡などの目的で国連決議の元に与えられることになっており、ORCAシステムが現在の形で運用され始めてからは、実際にこの権限が使われたことはない。その権限のもつ影響の大きさから、社会の秩序のために厳しく管理されているという。

 基本的に権限はより浅いレイヤーの権限を包含する。例えば、レイヤー2の権限保持者は、3と4の権限も同時に保持する。従って、最高管理者権限保持者は1から4までの管理者権限を有することになる。


「ORCAシステムのセキュリティは盤石だ、知ってのとおり。その辺のハッカー風情が違法に取得することは出来ない。特にレイヤー1は一番古く……イルカの技術の頂点だ。」

「古い?」

「ん……ふむ……とにかく、コードV保持者は個人情報を改ざんし放題だし、例えば、全国民の口座の利息の、切り捨てられる端数をこっそり自分の口座に転送する、なんてことも出来る。仮想世界も好き放題に改ざん出来る。」

「……でも僕にはできませんよ、そんなこと。確かに公共アバター無制限なのはレイヤー3?、権限ってのかも知れませんけど。」

「いや、レイヤー3の権限ですら使えないはずなんだ、本来は。コードVは人間でもイルカでも発動しなかった。だが、君は不完全ながら初めてコードVを発現した。」

「どういうことですか?」

「コードVは遺伝子ロックだ。コードVはもともと初期の知性イルカ達がORCAシステムの前身を設計した時に、自分たちだけに最高管理者権限を付与するよう、密かに設定したものだ。彼らはクーデターで全員殺された、コードVの秘密と共に。コードVは、特定の遺伝子配列に反応する。染色体のうち、使われていない偽遺伝子領域を使って組み込まれる配列だから、後から組み込んでも生命活動に影響は無い。たが、その配列を組み込むだけではコードVは発動しなかった、今までは。」

「い、いったい何を言っているんですか?遺伝子?組み込むって…」

「私の父は君を治療する時に、その遺伝子配列を組み込んだんだ。コードVの実験のために。コードVは多重ロックになっていて、遺伝子配列を組み込むだけでは反応しない。隠された解除条件を求めて、私たちは実験を重ねていた。」

「そ、そんな。治療というのは嘘、だったんですか……?」

 嫌な予感に悪寒が襲ってきて、僕は無意識に身を縮こませた。

「安心すると良い。父は君の病気もきちんと治したよ、ついでに。いくつもの試行の一つだ。いちいち医療ミスで訴えられては次が出来ない……」

「そ、そういう問題じゃないです!人の体を何だと……一体何だと思って……!何のためにこんな事をしてるんですか?!」

「世界を守るためさ、イルカ達からね。」

「……イルカ中心主義者……ですか?」

「彼らはコードVの権限を使って社会の混乱を引き起こし、クーデターを起こすつもりだ、再び。そして、政府……共存派と言ったほうが良いかな?彼らはコードVが世間に知られる前に君を消そうとしている。イルカ中心主義者に渡らなかったとしても、最高管理者権限が正規の手段以外で取得出来ると知られれば、社会の混乱は避けられないからね。私の父親は君に行った実験がバレて、共存派に消されたんだ。」

「そんな……だったら、あなた達はなぜそんな危険な物を生み出す実験をしているんですか?」

「偶然にでも悪意を持ったイルカが発動させないように、条件を知り、管理する必要がある。人類の存続のために。政府はコードVの存続を世間に隠し続ければ良いと思っている。しかし、イルカ中心主義者はコードVの存在を既に知っていて、狙っているんだ。心当たりがないかい?君にも。」

 アルの秘密基地と、謎の「支援者」の事が浮かぶ。「支援者」がイルカ中心主義者で、僕を狙っている?アルは、イルカ中心主義者?

 証拠は無い。だが、否定する情報も、同じく無い。

「……」

「心当たりがありそうだね。私を信じるなら、協力してほしいことがある。コードV保持者の君にしか出来ないことだ。人類のために。」

「……もうたくさんです……みんな意味の分からない話ばかり……実験ですって?管理者権限?そんなこと、知らないですよ!僕は…僕は普通に暮らしたいだけなのに。テロだとか、人類を救うとか、そんなの勝手にやりたい人がやればいい!巻き込まないでください……!」

 僕の頭の中はもう限界だった。こんな事なら、ずっと冷凍睡眠して起きなければ良かった。いや、冷凍睡眠なんてしないで、いっそ治療なんでせず、自分の時代で……

 —―未来で幸せになって。

 最後に見た両親と、紗由の顔が浮かぶ。

 そんなこと言ったって、じゃあ、どうすれば良いんだ。これではまるで呪いだ……

「君の大切な人をイルカから守る事にもなるんだよ。」

「!」

 僕の心理を読んだようなタイミングで、シロキさんは僕が一番訊きたかった話題を口にした。

「彼女を知っているんですか?」

「……会いたいのかい?会えるかも知れない、私に協力してくれれば。」

「紗由が生きているんですね。会わせてくれるんですね?」

「協力してくれれば、あるいは。」

「わかりました。じゃあやります。」

 僕は疲れていたし、怒っていたし、迷っていて、そしてもう考えたくなかった。

 僕に、幸せになってと言った人に会えるなら、僕はどうしたらいいのか、聞きたかった。

 この時、シロキさんは嘘はついていなかった。人は自分の聞きたいように聞いて、理解したいように理解する。結局、人が認識する世界なんて、その人だけの世界なのだ。

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