第4話 アバターデザイナー
遅すぎる昼食を終えた僕たちが外に出ると、オレンジ色に染まりつつある西の空の下、一日の活動を終えて自宅へと向かう人達で街は活気に満ちていた。
日が落ちれば少し肌寒いが、もうコートはクリーニングに出しても良い頃、そんな時期だ。幸い、80年間で気候が大きく変動したりはしていないようである。
道行く人々の恰好は様々だ。スーツを着たサラリーマン、セーラー服、学ランの学生に買い物帰りの主婦。よくよく見れば、若者も中年も老人も皆、シミやしわの無い肌、白髪のない髪である。皆、
自己表現に貪欲な若者の格好を見ればそれがさらによく分かる。ギターケースを背負った若者の髪は自ら発光しているばかりか、その色をゆっくりと七色に変化させているし、はじけるような笑い声のした方を振り向けば、動物の耳と尻尾を生やした女子高生の集団が談笑しながら通り過ぎていく。感情に合わせてピコピコと動く尻尾が彼女らのこだわりだ。あのくらいならヒューマノイド率の下限規制には引っかからないのだろう。
ランドセルを背負った小学生達が、光のエフェクトを発する足跡を残しながら道を駆けていく。彼らが付けている大きめのゴーグルは脳のインプラントの代わりに
今目の前にいる、人々のうち、一体どのくらいが
人種も国籍も種族さえも、アバターの皮の下で溶けて混ざりあった社会、それがこの時代の知的生命体達の世界だ。
そんな世界にあって今の僕は、またしてもアバターを纏わない生身の姿だった。人のあふれるこの時間帯であれば、不気味で無表情なアバターよりはまだ生身の姿の方が目立たないからだ。
「この時間に駅前に来るのは久しぶりです。やっぱり人多いですねぇ。」
と、その美しさゆえに雑踏の中でも目立つ隣の少女が言う。
「しかし、
「仮想世界での完全テレワークが流行った時代もありましたけど、また直接会うスタイルに戻ってきましたね。この時代でも触覚、嗅覚、味覚は仮想世界では再現出来ませんから、やっぱり何か足りないんじゃないですか?」
人は外向型と内向型に分かれるという。外向型は人に会うとエネルギーが補充されるが、内向型は逆に一人の時間がないとエネルギーを消耗してしまう。イルカがどうかは知らないが、人類では7〜8割くらいは外向型だと言われていて、自然と組織は多数派の外向型に合わせて作られる。人に直接会わないことでエネルギー不足に陥った外向型の人達が多かったのかも知れない。
「やぁ、ちょっといいかな、そこのキミたち。」
ウィリーが誰かに声をかけられている。つい5分前もナンパされて丁寧にお断りしている姿を見たばかりだ。
「ええと……すいません。私急いでいるので……」
「あれ、何か勘違いさせてしまったようだね。キミのアバターに興味があるんだ、仕事の関係で。良かったら話をさせてほしいんだ。」
そこに居たのは、きりっとした目元と赤く光るメッシュの入ったセミロングの黒い髪が印象的な人だった。背の高さは僕より少し高く、面長の顔立ち、ウエストの絞られたタイトなジャケットに、すらっとした脚がよくわかる細身のパンツと、全体的にクールな雰囲気を纏っていた。
「私はシロキという者なんだ、アバターデザイナーをやっている。」
名前からして人間であろうその人は、まるで舞台の上の役者のような張りのある声で名乗った。
「アバターデザイナーのシロキさん?って、あのシロキですか?!」
「おや、ありがとう、私のことを知ってるんだね。では、話が早い。」
「ウィリー、この人は?」
目を輝かせたウィリーの反応から、どうやらこの時代では有名な人らしい。僕の知らない有名人が、僕の方をちらりと見た。
「こんにちは。私はシロキ、ホビーアバターのデザイナーをやっている。知らないだろうか?結構いろんな動画チャンネルに出させてもらったりしてるのだけれど。」
「ええっと、僕は最近まで入院してまして……」
「先輩、有名な天才アバターデザイナーの方です。世界的なコンテストでたくさん賞を取っていて、シロキさんのホビーアバターは全女子の憧れなんですよ。」
「おや、ありがとう。しかしそこまで大した者では無いよ。」
ホビーアバターのデザイナー。80年前には無かった、この時代ならではの表現者。しかも世間に広く認められた一流となれば、「大した者」以外の何者でも無い。
「キミの名前はウィリーというのかい?その公共アバターはとても良いね。少しそこで話をしないかい、お願いがあるのだけれど。」
そう言って、シロキさんは近くの喫茶店を指さした。有名人に会えて興奮しているウィリーには悪いが、アバター無し状態を余儀なくされている僕は正直早く帰りたかった。そのことにはウィリーも気づいてくれているようだが、全女子の憧れのアバターを作り出す有名人と話せる機会には女子としては捨てがたいものがあるのだろう。何か言いたそうな顔で僕の方を見つめている。
「えーっと、先輩……」
「青年、ちょっとガールフレンドを借りても良いだろうか?安心するといい、取って食ったりはしないから。」
シロキさんはウィリーの言葉を遮り、僕の方にぐっと顔を近づけ、僕とウィリーの間に割り込んできた。距離の近さに少し苦手意識を感じる。きっと外向型人間なんだろう。
「ええっと、ウィリーはガールフレンドというか……いや、そんなことより、僕らは早く家に帰らないといけなくて、」
「おやおや、キミ!よく見たらアバター無しだね!素晴らしい!どうしてなのかな?どうしてアバター無しなんだい?」
ウィリーのおまけくらいの扱いでろくに目に入っていなかったのか、顔を近づけて初めて僕の顔が生身であると気が付いたらしいシロキさんは突然興奮し、両手を大きく広げて大声をあげた。シロキさんの反応がダイナミックだったせいで、道行く人の注目を集めてしまう。有名人と美少女が並んでいるところに、スパイスよろしく不審者をひとつまみ、してあるのだから注目度は抜群だ。
ねぇ、あの人シロキじゃない?
うそ! 本物?
横にいる可愛い子は誰かな?
えっ、というかあの男の人ってなんでアバター無しなの?ヤバくない?
「あれ、困ったな。」
「ああっ、これには深い理由があるんです!すみません、先輩を許してあげてください!」
ウィリーがなぜか僕に代わって謝りながら、慌てて僕たちを引っ張って喫茶店の中に逃げ込んだ。幸い喫茶店内まで追いかけてくるような人はいなかったが、僕たちはそのままの流れで店員さんに案内されて席へ座ってしまい、僕の帰宅時間はさらに遅くなることが確定してしまった。シロキさんを見ると、今更申し訳程度にサングラスを装着していた。
「いやいや、すまない。いきなり大きな声を出してしまったね。でもなんでアバター無しなんだい?何か理由があるのかな?」
「はぁ、この時間帯に店を出たのが私の失敗でした。先輩、シロキさんに説明しても良いですか?」
一瞬、会ったばかりの人に話して良いものか考えたが、コードPの件はORCAシステム管理局のお偉いさんが合法だと言っているのだから別に問題ないだろう。それにアバターのデザイナーなら仕事柄何か知っているかも知れない。
僕が頷くと、ウィリーはシロキさんに僕のことを説明した。
「ほう、設定が無制限ね。でも自動生成が使えないわけか。へぇ。」
「何か、お仕事で似たような事って聞いたことありますか?不便で困っているんですよ。」
シロキさんは何やら下を向いて考えていたようだが、僕の問いにすっと顔を上げ、満面の笑みで答えた。
「知らないね!」
「ああ、そうですか……」
「アバターの専門家のシロキさんでも知らないなんて、困りましたね、先輩。」
「専門家といっても私はホビーアバターだからね。ま、そんなことより興味深いのは冷凍睡眠!キミはある意味で旅行者というわけだ、80年前から来た。是非聞かせて欲しい、キミから見たこの世界の印象を。」
少し変わった話し方なのは世界を飛び回って日本語を忘れているからなのかな、なんて思いながら、僕は答える。
「ええと、色々ありますけど、一番はやっぱり……喋るのが人間だけじゃないってことですね。」
この時代の差別的発言にならないように慎重に言葉を選んだ。ダイナミックな反応で怒られてもかなわない。
「それはそうだろうね。私は25歳だから逆に人間しかいない社会が分からないよ、冷凍睡眠もしていないし。いったい、どんな世界だったんだろうね。」
「私たちイルカがあのクジラとかシャチと似たような扱いだったなんて、信じられないですよ。」
イルカが喋らない世界。インターネットが無かった世界。飛行機が無かった世界。電話が無かった世界。電気が、自動車が、蒸気機関が、無かった世界――
パラダイムシフトと呼ばれる世界が一変する出来事は何度もあったが、実際のそれは一瞬にして起こるわけではない。人々はゆっくりとその変化の中で生きていく。後から思い返して大きな変化が起こっていたことに気が付くものだ。そして変化の後に生まれた者にしてみれば、変化の前の世界は
「あとはORCAシステムですかね。脳に直接視覚情報を上書きしたり、魔法みたいですよ。残念ながら僕のは一部上手く動いてないようですけど。」
「十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない、というやつかな。でも、キミの自動生成が使えないのはなぜだろうね。不完全なのかな?何かが。」
「何なんでしょう?そのせいで素人の僕にはまともなアバターが作れなくて、仕方なくアバター無し状態だったんですよ。」
「なるほどね。良いかな、設定画面を見せてもらっても。」
僕が良いですよ、と答えるとシロキさんから申請がきた。ウィリーの家でやったように申請を許可してミラーリングする。
シロキさんは信じられないという顔をしながら、設定項目を確認していった。
「ええっと、自動生成でベースさえ作れれば、まだ何とかなると思うんですけど……」
「これは……すごい、すごいよ、ついに。これは、おお……わぁ……」。
「ええっと、どうしました?シロキさん。」
「あ、ああ……いや、まさに無限大のキャンバスじゃないか。キミはどんな格好も出来るんだよ。つまり……最強の自己表現だ!」
「ええ……」
シロキさんは今回は大声を上げないように気を付けているようだが、両手は興奮を押さえきれずにわなわなと震えている。僕とウィリーは思わず顔を見合わせた。
「……すまない、興奮してしまった。いや、私は前から思っているんだ、本当は公共アバターも自由にデザイン出来るべきだと。出来るのにやってはいけない事ばかりを増やすのは、もったいないと思わないかい?私は許せないんだ、出来るのにさせないというのが。」
「うーん、僕も正直、なんかちょっと変な時代だな、とは思ってますね。」
「先輩、自分で管理局で言ってたじゃないですか。みんなが勝手な恰好をしたら社会が混乱しますよ。」
「あはは、それは私もわかってるよ、ウィリーちゃん。私みたいな人の欲求不満のために、仮想世界でのホビーアバターが用意されている、ってこともね。だから私はデザイナーになったんだ。まあ、とにかく、御影君のこれは厳しいよ、素人には。私も知らなかった、本来ここまで自由度があるとは。」
なんでも、公共アバターとホビーアバターはそもそもの形式から違い、簡単にいうと公共アバターのほうがリアルに作れるらしい。超高深度リアルタイムレイトレーシングとか、高精度高精細な揺れ物シミュレーションとコリジョン設定とか、エクストラリグの個数無制限とか色々言っていたが、僕にはチンプンカンプンだった。
「ともかく、私が最高のアバターを作ってあげよう、キミの無限大のキャンバスに。タダというわけには行かないけど、私も一応プロだから。」
「えっ、良いんですか?」
僕の今一番の悩みにプロが手を貸してくれるのであれば、願ったり叶ったりだ。とりあえず人目を気にせずに外出出来るようにしたかった。だが僕とは対照的に、ウィリーは少し困ったような表情をしている。
「シロキさん、ありがたいですけど、さすがにそれは……」
「ウィリー、ここはお言葉に甘えようよ。もうびっくり人間でハンバーガーを食べるのはいやだよ。」
「それはわかりますけど。いくら何でもいきなりシロキモデルなんて。それに……」
ウィリーが口を僕の耳に近づけてささやく。その仕草にちょっとドキッとした。
「シロキさんデザインのホビーアバターって、その辺の家よりも高価ですよ。」
「なっ!?」
「しかも特注の公共アバターなんて。先輩、一生借金まみれですよ。いや、一生かかって払えるかどうかも怪しいです。」
出来の良いアバターは高いときいてはいたが、想像以上にとんでもない人だということに今更気づかされた。
「おや、内緒の話かい?私にも聞かせてくれないか。」
振り返った僕の顔は完全に引きつっていた。いきなり多額の借金を背負ってしまっては、幸せな人生とはほど遠い。
「ええっと、そのですね。その、僕は今まで眠っていて、仕事もしてないので……つまりお金が無いのです。」
「あれ、もしかしてそれを心配していたのかい?お金を請求するつもりは無いよ。もともとキミ達に声をかけた目的に戻るのだけれど。サンプリングさせてほしいんだ、ウィリーちゃんの公共アバターデータを。それが条件ってことでどうだろうか。」
ようやくウィリーの家に帰り着いた頃には、僕たちの頭の上では星と月が輝き、西の地平線に残る赤色のなめらかなグラデーションだけが太陽の名残を感じさせた。
退院初日から色々と振り回された一日だった。
僕の公共アバターを作ってくれる代わりとしてシロキさんから提示された条件、それはウィリーの公共アバターの形状データのサンプリングだった。
曰く、ウィリーの公共アバターの天然の美しさを今後の作品作りの参考にしたい、ということだった。
知性イルカの公共アバターは遺伝子情報を元にORCAシステム独自の換算式により人間の姿へ変換される。その変換式を経たとしても、そこにはデザイナーが到達出来ない天然の美があるらしい。
良いアウトプットのためには、良いインプットが必要なのだ。
特にウィリーの公共アバターはシロキさんに言わせると極上品で、今後の作品のクオリティアップで得る利益に比べれば、僕の公共アバター一式作るくらいの労力はまったく問題ないそうだ。もちろん、スキャンしたウィリーのデータをそのままホビーアバターとして売るわけではなく、各部のバランスの参考や、インスピレーションの元にするのだという。
データのスキャンは時間がかかるということだったので後日とし、この街にあるというスタジオの場所を教えてもらった。
前金だよ、と言ってシロキさんは僕の公共アバターを10分ほどでササっと修正してくれた。数ミリずつ顔の部品を動かしてバランスを調整し、表情が少しだけ変化するようにアニメーションのループを組んだという。感情連動の表情を作りこまなくても、これだけでずいぶんと違和感がなくなり「人の顔」になった。おかげで帰り道はアバターを纏って帰ってきても、変に目立つことは無かった。
「それにしても良かったですねぇ、先輩。宝くじに当たったようなものでは?」
自宅の玄関をくぐり、脳波コントロールによる遠隔操作で照明を操作しながらウィリーが言った。設定を変えたのか、今回は玄関をくぐったとたんにイルカに戻ることは無かった。
一方の僕は照明の灯りの下で公共アバター表示をOFFにし本当の姿に戻る。玄関でコートを脱ぐような気分で。
「あんな有名人と知り合えたのも、ウィリーのおかげだね。ああいうことはよくあるの?」
「あのシロキさんに認められるなんて、私も信じられないですよ。今までもモデルにスカウトしてくるとかはありましたけどね。公共アバター用のファッションのモデルです。まあ、興味なかったので断ってましたけど。」
「ふーん……」
モデルにスカウトされるような美少女と同じ家に暮らすのだということを思うと、突然緊張してきた。高校生の時に紗由の家に行ったことはあったけど、泊まったことは無かったな。青年男子らしい想像がもやもやと頭によぎったところで、ウィリーがイルカであることを思いだして、複雑な気分で想像を頭の隅に押しやる。
「先輩、何玄関でぼうっとしてるんですか?疲れちゃいました?先に夕飯にしようと思ってましたけど、シャワー浴びますか?」
「……! いやぁ、なんでもない。ご飯にしよう。俺、二階で着替えてくるよ。」
自分の一人称が思わず変わってしまったことにも気が付かず、早足で階段を上がる。
まるで新婚みたいだな、なんてことを考えて、自分の軽薄さに自分であきれた。暗い部屋の中で自分の頬を叩き、なにを浮かれているんだと、自分に言い聞かせる。
そして、あることに気が付いた僕は気まずい思いで階段を降りることになった。
「そういえば、まだ着替えなんて持って無かった……」
「先輩、やっぱり疲れていますね。」
その後は、ウィリーの作ってくれた少し塩辛い魚料理を食べながら明日の予定を決めた。着替えなどの生活に必要な物は明日買いにいくことにし、ついでに病院にもコードVのことを訊いてみようということになった。
公共アバターの件はとりあえずシロキさんのおかけで何とかなりそうだが、原因がわからないのはなんとも気持ちが悪い。システムのエラーではない、とは言われているものの、埋め込まれたインプラントの方に何か異常があったら体に悪影響があるかも知れない。
顔に思わず感情が出ていたのだろう。ウィリーがそんな僕の顔をまっすぐ見つめながら、明るく言った。
「先輩、私が力になりますから、安心してください!泥船に乗ったつもりでいてください!」
「ん?いや、泥船だったら沈むだろ。」
「あれ?そうですねぇ、えへへ。じゃあ、イルカに乗ったつもりで。沈みませんよ!」
「あはは、確かにそっちのほうが良いね。」
僕とウィリーは二人で笑った。ウィリーがわざと言い間違えたのには気が付いていたが、ウィリーの気遣いが単純にうれしかった。
最初こそ過去の思い人の姿を重ねていたが、あの子とは違う、ウィリーの個性や性格がだんだんと見えてきた気がした。
「ウィリーはさ、なんでそんなに僕に優しいの?」
「んー、私も色々とあるんですよ。そのうち話します。」
「そう……まあ、ともかく。これからもよろしく。」
「はい、先輩。」
こうして、イルカが人の姿でしゃべる世界での僕の退院一日目が終わった。
一方その頃、
子供の頃は深夜の病院にまつわるオカルト話に心躍らせたものだが、自分が医師になって病院が職場になってみると、忙しさのせいでどうでも良くなっていた。今夜は急患も無く、執筆は珍しく捗っている。満月の光が窓のブラインドから差し込む、静かな夜だ。
とうの昔に、人間とイルカの遺伝子は完全に解明されていた。
人間の場合は23対、イルカの場合は22対の染色体。そのDNAに書き込まれた、30億個の塩基配列が作る生命のレシピ。この時代では既にそれを編集して生命を自由に作り変える技術が実用化されていた。
例えば、地上でポッドに入って暮らしている知性イルカ達は自分たちの体を小さくして暮らしやすくしている。彼らには宗教が無いこともあって遺伝子編集に対する反発も少ないようで、技術を様々に活用している。そもそも「知性の高いイルカ」という、彼らの生まれ自体が遺伝子工学の賜物だ。
人間の場合はこうは行かず、倫理的な問題や宗教的な問題から遺伝子編集の技術は主に病気の治療に限られていた。鹿追は遺伝子編集技術を応用した治療法を専門にしている医師だ。つい先日も、80年前に治療不可能とされ冷凍睡眠をしていた青年の治療をしたばかりだった。
青年の病気は一部の遺伝子に異常が起きることで引き起こされるものだったが、当時は原因の遺伝子の場所すら突き止めることができず、そのままだとやがて死に至るというものだった。
遺伝子編集技術による治療は非常に複雑な手続きと各所への許可申請が必要になっている。保険も適用外だし、そもそも今は事前に発病を予防する方法も発達していることから、あまり行われなくなっている。
申請の煩雑さは倫理的な問題から乱用を防ぐためだったが、ORCAシステム管理局にも申請が必要だったり、とにかく面倒だった。何かと理由を付けて研究にも予算がなかなか出ないし、そんなわけで人間の医師で遺伝子編集技術を専門にしている人は最近はほとんどいなくなっている。
そんな中、とある理由から遺伝子編集に可能性を感じていた鹿追は、面倒な手続きと業界の逆風に逆らっていた。
「異常のあった部分は全て治した。今のところはあれに対する拒否反応も無いようだ。やはり彼は『陸奥鉄』だったか。娘からの情報も気になるところだ。もしかすると……しかしなぜ?」
鹿追は目当ての情報を探そうと、ガサガサと卓上の紙の山を漁り始めた。彼はこの時代でも、紙で物を考えるタイプだった。
「XXとXYの差異が要因だろうか?それとも何か別のエピジェネティックな影響が……」
彼の思考は個室の扉をノックする音に中断された。
「?……はい、どうぞ?」
急患の連絡であればORCAシステムの通信機能で直接脳内に通信が入るはずだった。直接、物理的にこんな時間に部屋に来る人に心当たりはない。
「鹿追先生ですね?夜分遅くにすみません。少々、お話があります。」
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