第26話
「それもあるが、ルシェーはまだ成竜ではない。成長したら、もっと安定するはずだ」
「成竜? 成人ってこと?」
「ああ。ルシェーはまだ子どもだ」
見た目はジェイドとそう変わらないルシェーが子どもと言われても、すぐには信じられない。
「火竜族の寿命は長い。人間でいえば、ルシェーはまだ十歳くらいだ」
「そ、それはたしかに子どもだわ」
もちろん人間の十歳と同じではないだろう。どことなく無垢な感じがするのは、魔族と人間のハーフだということだけではなく、子どもだったからなのか。
ふと寒気を感じて優衣は身体を震わせた。
魔王の城だからか。それとも長い間無人だったせいか、ここはとても寒い。
「ジェイド様」
話を遮るようにして声を掛けてきたのは、ティラだった。優衣が寒そうにしていたことに気が付いたのかもしれない。
「あの、優衣様はまだお着替えもしておりません。少しお時間を頂けませんか?」
「あ、そういえばこんな格好だったわ」
ネグリジェ姿だったことを思い出して、優衣は慌てた。それは寒いはずだ。屋敷の中なら平気だが、さすがにこんなに大きなお城の中だ。
(それにジェイドがちゃんと話をしてくれているのに、この姿っていうのも失礼だよね)
優衣はジェイドを見上げる。
「大事な話をしてくれているのに、ごめんね。ちょっと着替えてきてもいいかな?」
「わかった。ティラ、任せる」
「はい。ジェイド様」
ティラに連れられて向かったのは、魔王城にあるひとつの部屋だった。
「うわぁ、綺麗……」
部屋に入るなり、優衣はそう呟いて目を輝かせる。
金色の花模様が入った壁紙に、細かな彫刻が施された白い柱。調度品は壁紙と同じ花模様が入っていて、とても美しい。
「お城って感じで、すごい。ゴシックっぽい」
ジェイドの屋敷も王城も綺麗だったが、ここは別格だった。
「こちらはルクレティア様のお部屋でした」
「ルクレティア……」
ティーヌ王国の王妹で、ジェイドの母の名がルクレティア。父である魔王の名はグィードだとティラが教えてくれた。
「グィード様は、ティーヌ王国のある秘密を探るため、人間に扮して王都に潜んでいました。そこにルクレティア様が現れて、急に勝負をしろと迫ったそうです」
「え? 王妹殿下が何しているの?」
あれほど美しく、比類なき魔力を持っていた女性だ。
さぞ高潔で慈悲深いだろうと思っていたのに、やっていることは脳筋の剣士のようだ。
「どうやら強い者と戦うのがお好きだったようで……。正体を隠していても、グィード様も魔王ですから」
いくら強くても、さすがに人間では魔族の王に勝てない。グィードに負けたルクレティアは、その場で結婚を申し込んだという。
「え? 何でそんな展開に?」
「お美しかったルクレティア様には、たくさんの求婚者がいらっしゃったそうです。ですが、いちいち相手にするのは面倒だとおっしゃって、自分よりも強い者でなければ結婚しない、と」
「……面倒」
何だかとても、聞き覚えのある言葉だった。説明を求めるたびに、面倒だと言われた記憶が蘇る。
(ジェイドの性格って、まさかの母親似?)
肖像画に描かれていた美しい女性が、面倒だと不機嫌そうに顔を顰める姿を想像してしまう。
(うん。そのままジェイドだわ……)
色彩は父親似だが、顔の造作と性格はどうやら母親似だったらしい。
「魔族は人間を……。とくにティーヌ王国の王族を憎んでいましたから、グィード様もその求婚を跳ねのけたそうです。ですが、この魔王城まで押しかけられて、ついに根負けしたというか、その……。押し切られてしまったようで」
言葉を交わし、ときには戦いながら、ふたりは互いをよく知り、愛し合うようになった。
「ふたりは、守護者契約を結んだの?」
亡くなったという前の守護者は、もしかしたらジェイドの父だったのだろうか。そう思いながら尋ねると、ティラは複雑そうな顔をして、首を振る。
「いいえ。契約などではありません。あれは魔族に掛けられた、解除方法の見つからない呪いなのです」
(呪い……?)
守護者契約について聞いたとき、優衣もまるで洗脳のようだと考えたことがあった。それを思い出す。
「ああ、申し訳ございません。つい話し込んでしまいまして。まずお着替えをいたしましょう」
だが詳しく尋ねる前に、ティラが我に返ったようにそう言う。
「え、あ、はい。お願いします」
気になるところで、「次週に続く!」とお預けをされてしまった気分だが、ティラとしても立ち話で済ませられる話ではないのだろう。
用意してくれた服は、今までとは比べものにならないくらい軽く、動きやすい服だった。それでいて、優美さも失っていない。
「すごく楽! 動きやすい」
思わずそう言うと、ティラが笑う。
「はい、ルクレティア様のものですから。動きやすさが一番大切だとおっしゃっていました」
だから胸の部分が余っているのにウエストはきついのか、と納得する。典型的な日本人を、あのモデルのような体型と比べてはいけない。
(それでも動きやすさ重視って、王家のお姫さまなのに……)
伝説の美女は、色々な意味で伝説だったようだ。
着替えをすませると、ようやく話の続きを聞く。
「優衣様、あらためて自己紹介をさせていただきます。私は魔王様の配下、魔族のティラエールと申します」
「魔族……。やっぱりティラさんも魔族だったのね」
「お気づきでしたか」
「うん。前にルシェーが、自分はハーフだから「誓約」できないって聞いたの。でもジェイドは、ティラさんには使っていたから」
「はい。「誓約」は魔王様のみが使える魔法です。ジェイド様は、グィード様の力を受け継いでいますから」
魔王の魔法だったのかと納得する。
「そうやって、ずっと次代に力を受け継いでいったら、魔族ってとてつもなく強くなりそうね……」
「いえ。さすがに一定以上の魔力と、寿命まで生き残る強さがなければ使えません。今の時代では、力を受け継がせるのはグィード様しかできない魔法でした。そのグィード様も、少しでも出産の危険からルクレティア様を守るために使われたのです」
「えっと、それが危険回避になるの?」
「はい。最初は魔族も、魔力の制御を覚えるところから始まります。魔力が強ければ強いほど制御ができず、生まれる前に暴走して、母体を弱らせてしまうのです。ですが親の力を受け継ぐことができれば、魔力の制御など簡単にできます」
そう言ったあと、ティラはふいに険しい顔をして口を閉ざした。固く握りしめた両手が震えていて、彼女が何かに強い憤りを覚えていることがわかる。
「ティラさん?」
「いえ、申し訳ありません。ええと、ティーヌ王国では、ルクレティア様のことはどう伝わっていましたか?」
「わたしがマルティさんに聞いた話だと、事実と全然違うわ。たしか……」
王妹が魔王に攫われ、何とか倒したが、その子どもを身籠ってしまった。さらに、その出産で命を落としてしまった。そう聞いたと伝える。
「何ということを」
それを聞いたティラは、怒りを露わにした。
「ルクレティア様は、グィード様の継承魔法のお陰で、無事に出産を乗り切りました。ですが相当お身体が弱ってしまい、魔王城を出て静養されていたのです。ここには、人間を忌み嫌う魔族が多かったものですから」
そしてジェイドの誕生から数時間後、父であるグィードは息を引き取っていた。六百年ほど生きた魔族は、今までほとんどいなかったらしい。その大魔王の死で魔族も混乱していた。
魔法が使えないほど身体が弱り、しかも人間であるルクレティアが、ここに滞在するのは危険だった。
そうしてルクレティアは自分の身と、生まれたばかりのジェイドを守るため、ティーヌ王国の辺境に移り住み、そこでひっそりと静養していた。
だがそこを、彼女の兄であるティーヌ王国が送り込んだ兵士達が襲撃する。
「どうしてそんなことを……」
「もちろんティーヌ国王は、自分の妹を殺そうとしたわけではありません。脅威だったのは、魔王の血と力を受け継ぐその子ども。ジェイド様です」
今ならルクレティアも思うように魔法を使えない。
いつか人間を脅かす存在になる前に殺してしまおうと考えたのだろう。
だがルクレティアは大切な我が子を守ろうと、弱った身体で長距離の転移魔法を使った。生まれたばかりの子どもをなるべく遠くの孤児院まで移動させ、そのまま力尽きてしまったのだと言う。
向こうが確実に魔王の子どもを始末したと思うように、魔力で赤子の死体まで偽装して、我が子を守ろうとした。
「……そんな」
産まれたばかりの子どもでも、父の記憶と力を受け継いでいたジェイドには、その様子がはっきりと理解できたはずだ。
この国の人間を信じるな。
そう言った彼の心情が理解できて、優衣は唇を噛みしめた。泣くつもりなんかなかったのに、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「優衣様、申し訳ございません」
泣きじゃくる優衣を見て、ティラが慌てて椅子に座っている優衣の足もとに跪く。
「この件に関して、ジェイド様から優衣様に伝えても良いという許可をいただいておりません。それなのに、勝手にお話しをしてしまいました。ですが私はあんなに愛し合っておられたおふたりが、敵同士で殺し合っていたなどと伝えられているのが、どうしても許せなくて」
「うん。わたしもそう思う」
涙を拭うこともせずに、優衣は頷いた。
「マルティさんの話を聞いたときから違和感はあったけど、でも真実を知ることができてよかった。話してくれてありがとう」
ティラはほっとしたような顔で、優衣に促されて立ち上がった。
真実。
優衣はもうひとつ、知らなければならない真実があることを思い出した。
「ねえ、ティラさん。さっき言っていたことなんだけど、守護者契約が呪いって……」
「はい。それをお話しするはずでした。守護者契約と人間たちが呼んでいるものは、複雑な術式で編み出された呪法です」
「呪法? 魔法と呪法の違いって、何だっけ?」
優衣は図書館で読んだ本の内容を、必死に思い出そうとする。
「えーと、魔法っていうのは魔力が必要なもので、呪法っていうのは手順が複雑で、発動条件が限られる。さらに主となるアイテムが必要で、魔力がなくても使えるもの、で合っているかな?」
「はい、その通りです。守護者契約の始まりは、本当に純粋な愛情でした。何の制限も取り決めもなく、ただ愛した人を守りたいと思ったからです。ですが人間達は、しだいに契約の証を望むようになりました」
その末に生み出されたのが、守護契約だった。
「ティラ、あまり詳しく話さなくてもいい」
話を遮るように声を掛けてきたのは、転移魔法で移動してきたジェイドだった。
「ジェイド様。ですが……」
「急にすべて打ち明けても、優衣が混乱するだけだ。少し時間を空けよう」
そう言うと、ふいに優衣を覗き込むようにして、悪戯っぽく笑う。
「すでに混乱しているんじゃないか?」
「ぐっ」
大切な話なのだから、きちんと聞かなければと思っていた。だが、立て続けに聞かされた真実に、少し混乱しているのもたしかだった。
「ティラ、御苦労だった。あとは俺が話す」
「はい。ジェイド様」
ティラは恭しくお辞儀をすると、立ち去っていく。残された優衣は、隣に立つジェイドを見上げた。
「あの……」
「ティラが、余計なことまで話したようだな」
「でも、わたしは聞いてよかったと思う。だって、ちゃんと真実を知ることができたから」
もしかしたら、ティラが叱られてしまうかもしれない。そう思って、優衣は必死にアピールした。
「……そうか」
だがジェイドは、静かな声でそう言っただけだ。
(な、なんか……。いつものジェイドじゃないみたい……)
不機嫌でも傲慢でもなく、冷静に見える。
「でも、どうしてあんな真逆のことが伝わっているのかな」
「さあ。向こうの都合だろう。人間がどう誤解しようが、どうでもいい」
(ああ、そっか……)
ティラは、ジェイドが穏やかな理由を理解した。
ここには人間がいないからだ。ジェイドは本当に、人間を心の底から嫌っている。
(ジェイドだって半分は人間なのに。何だか悲しいな……)
だがあのような経験をしてしまえば、誰だってそう思うに違いない。
優衣は、肖像画に描かれていたルクレティアの美しい微笑みを思い出して、切ないような気持ちになる。
「複雑な話ばかりで疲れただろう。少し歩くか」
そんな優衣の気持ちには気付かず、ジェイドはそう言って手を差し伸べる。
「うん」
たしかに衝撃的な話ばかりで、心の整理がまだできていない。優衣が素直にその手を取ると、ジェイドはゆっくりと歩き出した。
広い廊下に出ると、天井近くに設置されたステンドグラスから、色とりどりの光が降り注ぐ。
「綺麗……」
思わず声を上げると、ジェイドも立ち止まり、優衣と同じように上を見上げた。
金色の髪が光に反射して輝いている。整った横顔に思わず見惚れていると、視線を感じたのかジェイドが振り向いた。
「どうした?」
「ううん、何でもないよ」
慌てて首を振る。
穏やかなジェイドというものに、どうしても慣れない。
(何か裏があるんじゃ、と思っちゃうのよね)
「そんな顔をしなくとも、もう何も隠しはしない。庭に行こうか」
優衣が何を考えたのかわかったようにそう言うと、ジェイドはそのまま庭園に向かった。
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