第25話
周囲を見渡してみれば、ここはジェイドの屋敷にある庭のようだ。
「ティラさん」
屋敷の中に向かってそう呼びかけてみると、彼女はすぐに駆け付けてくれた。
「優衣様。お帰りになられたのですね」
「うん。ジェイドを休ませたいの。手伝ってくれる?」
「はい。もちろんです」
ティラの手を借りて、ジェイドをなぜか優衣のベッドに休ませる。
(どうしてわたしのベッドに? もしかして本当に寝室がないのかしら)
困惑したまま別室で着替えをしてから様子を見に行くと、朝のようにしっかりと抱きしめられてしまった。
(どうしよう……)
ジェイドの腕の中で、優衣は困っていた。
でも本当に具合が悪そうだったから、これで体調が良くなるのならば、少しくらいは仕方がないと思ってしまう。
優衣は昨日もほとんど眠っていない。疲れているはずだが、こんな状態で眠れるはずがない。
ちょっと視線を上げると、息が止まりそうになるくらい綺麗な顔があって、胸の鼓動は早くなるばかりだ。
(背が高いのはわかっていたけど……。こうしてみると思っていたよりも大きい……)
でも最初と違って優衣にも少しは余裕があるようで、そんなこと考える。小柄な優衣の身体は、ジェイドの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
(手も大きいし……)
彼にしてみれば、心地良い抱き枕くらいの感覚かもしれない。それでも少しでも楽になるのなら、抱きしめてあげたい。
そんな気持ちになっていたことに気が付いて、思わず笑みを漏らす。
(最初は寝室に入られただけで、絶対に許さないと思っていたのに)
笑ったら何だかとても安らかな気持ちになって、いつの間にかジェイドを抱きしめたまま、眠ってしまっていた。
疲れていたし、たくさん心配もした。
だから、ジェイドの寝顔を見て少し気が抜けてしまったようだ。思っていたよりもぐっすり眠ってしまったらしい。
目が覚めてみれば、こんな状況のときはいつも隣にいたはずのジェイドの姿がなかった。
「え?」
慌てて起き上がる。
周囲を見渡してみても誰もいない。
「ジェイド?」
まさか、また魔族討伐に駆り出されたのだろうか。不安になって、そのまま部屋を飛び出す。
どこに行けばいいのかわからないまま、廊下を走った。ふと、ティラの姿を見かけてそのあとを追いかける。
「ティラさん!」
「優衣様?」
彼女と一緒に飛び込んだ部屋に、探していた人がいた。
部屋の中央にあるソファーにジェイドの姿がある。
「……よかったぁ」
思わずそう呟くと、そのままジェイドのもとに駆け寄る。
その手を取り、熱が高くないか確かめる。いつもよりは少し高いが、それでもかなり良くなったようだ。
安心したら、涙まで出てきた。
「本当に、よかった……」
ジェイドの手をしっかりと握りながら、そう繰り返す。
「優衣」
囁くような声で名前を呼ばれて我に返った。
「ご、ごめんなさい。つい心配で」
部屋に入るなり駆け寄って手を握りしめるなんて、まるで恋人同士だ。
焦りながら手を離し、ジェイドの顔を見つめて、そうしてしまったことをものすごく後悔した。
今まで見たことがないほど整った顔立ちが、少し照れたように視線を逸らす、という恐ろしい光景を見てしまったからだ。
(し、心臓が止まるかと思った……)
両手を自分の胸に当ててみると、鼓動が早くなっているのがよくわかる。
「優衣、僕もいるよ?」
ルシェーの寂しそうな声で我に返る。
ジェイドの隣にいたことに、今更ながら気が付いた。
「よかった。ルシェーも無事だったのね。魔族はどうなったの?」
「うん。ちゃんと倒したよ。これで予定通りだね」
「……予定?」
「あっ」
ルシェーは慌てて口を押え、伺うようにジェイドを見た。優衣も釣られて彼を見つめる。
「そうだな。もう充分追い詰めた。そろそろ最後の仕上げだ」
ジェイドはルシェーの失言を咎めず、静かにそう言った。
「俺では魔族の襲撃を食い止めることができないと知れば、強引にでも守護者を選出しようとする。今日のことで、ルシェーの実力も思い知っただろう」
そう言った彼の表情は、今までにないくらい真剣だった。
「ジェイド……」
どうして追い詰めるのが魔族ではなく、人間側なのか。
聞きたいことがたくさんあるのに言葉にならない。そんな優衣に、ジェイドは手を差し伸べる。
「今まで何の説明もせず、こちらの都合だけを押しつけて、悪かった。すべて話す。聞いてくれないか?」
ティラが言っていたそのときが、とうとう来たようだ。
「……うん、わかった」
優衣は一度だけ深呼吸をすると、ジェイドの言葉にしっかりと頷いて、彼の手を取った。
「全部教えて」
ジェイドは優衣の手を握ると、そのまま部屋を出る。
「少し移動する」
目的地は、あの荒れ果てた中庭だった。後ろから、ルシェーとティラもついてきた。ふたりはすべてを知っているようだ。
「ここから、魔族の国に続いている。そこに向かう」
「……うん」
手を繋いだまま中庭に足を踏み入れると、瞬時に景色が変わる。ルシェーと初めて会った場所だ。
ジェイドは優衣の手を取ったまま歩き出す。
森によくあるような、地面を踏み固めたような獣道。だがそれも長くは続かず、やがて綺麗に整備された街道に出た。それは、森の中からも見えていた大きな建物に続いている。
(これはお城よね? 王城みたい…)
古びた城にはゴシックの聖堂建築のような尖塔が左右にあり、大きな窓には見事な細工が施されている。だが王城とは違って城門は閉ざされたままで、人影もまったくない。無人のようだ。
「ここは……」
「魔王の城だ。だが、ここには二十四年前から誰もいない」
「え、魔王?」
優衣は、マルティから聞いた話を思い出す。
王妹が魔王に攫われ、何とか倒したものの、その子どもを身籠っていたという悲劇。彼女は出産のときに、子どもと一緒に命を落としたと言っていた。
「中に移動する」
「……わっ」
ジェイドはそう言うと、優衣の返事も待たずに魔王城の中に移動した。そこは大きなホールのようで、見上げるほど大きな肖像画がふたつ、壁に飾られている。
「これは?」
「魔王と、ティーヌ王国の王妹の肖像画だ」
「あのふたりの? でも、どうしてふたりを並べて肖像画なんか……」
ふたりは殺し合った敵同士のはずだ。
だがジェイドは、その問いには何も答えない。優衣はまず、目の前にある王妹の肖像画を見つめた。
(うわあぁ……。本当に綺麗……)
ジェイドもありえないくらいの美貌だと思っていたが、女性のせいか、王妹はそれ以上だった。艶やかに光る黒髪。そして、意志の強さを感じさせる、宝石のように美しい紫色の瞳。
優衣は思わず、隣にいるジェイドのことも忘れてその肖像画に魅入っていた。これでは、魔王を魅了してしまうのも仕方がないのかもしれない。
(肖像画でこれだなんて、実物はどれほど……)
目を離したくない。いつまでも見ていたいと思ってしまうほどだ。
しばらく見つめたあと、優衣はようやく視線を魔王の肖像画に移した。
(これまた美形よね……)
魔王は想像していたような恐ろしい男ではなく、美しい青年だった。豪奢な金色の髪に、深い藍色の瞳。その表情には魔王という名にはあまりふさわしくないような、繊細さを感じる。
(似てる……)
その金色の髪といい、深い藍色の瞳といい、誰かによく似ている気がする。
「まさか……」
振り返り、背後に立っているジェイドを見つめた。魔王の肖像画から繊細さを取り去り、代わりに傲慢さを足すとその姿になる。
「ああ。このふたりは俺の両親だ」
ジェイドはあっさりとそう答えると、目を細めてその肖像画を見上げた。
魔族の王と、ティーヌ王国の王妹。
やはりジェイドも、ルシェーと同じように魔族とのハーフだったのだ。
「言っておくが、ティーヌ王国に伝わっている話はでたらめだ。父と母は殺し合ってなどいない。ふたりは深く愛し合っていた」
ジェイドはそう告げると、目を閉じる。
その美貌が、肖像画のふたりと重なる。
恐ろしいほどの美しさに、人間の枠を超えていたとまで言われる魔力を持っていた王妹が彼の母であり、魔族を従える魔王が父。
ジェイドが桁違いに強いのは、当たり前かもしれない。
そしてふたりが愛し合っていたという言葉は、マルティの話を聞いたときから感じていた違和感を取り払ってくれた。
「やっぱりそうなのね」
優衣は頷いた。
「マルティさんからその話を聞いたときから、変だと思っていたの。魔族の子どもを産むには、危険が伴うんでしょう? 嫌いな人の子どもを、命を懸けてまで産むなんてありえないと思っていたわ」
どうして殺し合ったなどという、物騒な話になったのだろう。
「父が亡くなったのは寿命だ。力の強い魔族は寿命も長いが、父は六百年ほど生きた。魔族は命が尽きて亡くなるときは、その子が力と記憶を受け継ぐことができる。俺は父から魔王としての力と記憶を受け継いだ」
「魔王としての力……」
それなら、ジェイドが規格外に強いのも無理はない。
「だからハーフなのに、ルシェーと違って力が安定しているのね」
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