043 コルク弾を撃ち落とす

 そう言うと便利屋は上の方を見上げ、背後に飛び退いた。 

 釣られて佳穂も上を見上げる。

「…………!?」

 橋の上から、突然、炎の緋色と、風の緑が降ってきた。

「「コウモリ!?」」

 ニワトリと犬上が同時に声を上げた。

 口論のせいで、頭上の橋にニワトリと犬上が近づいていたことに全く気が付かなかったのだ。

「獲った!」

「させねえ!」

 蹴りと拳が激突する。

 先程は顔を見られまいとして、見送ってしまったが、あらためて見るとものすごい撃ち合いだ。

 蹴り技を繰り出す女に対して、犬上は徒手を駆使して対抗する。

 獣の爪を模した犬上の構えは、佳穂が普段目にするボクシングや空手などとは全く違うもののように思えた。

(……すごい。)

 身近な同級生の、知らない一面を目にして佳穂は呆然となった。

「強いな! あんた!!」

 犬上が笑う。

「ハン! アタシらだって譲れない事情があるッ! だから通せぇええ!!」

 そう言うと、女は一層早く蹴りを繰り出した。

 一撃、二撃。

 目にも止まらう速さで繰り出される踵が、空気を切り裂くたびに加熱し、灼熱していく。

「熱っ……!?」

 その熱量は、後方にいる佳穂ですら感じられる程だ。

「喰らえ!」

 ニワトリが、翼を閃かせジャンプした。

 前宙の体勢から、発火点に達した踵が炎を纏い、犬上へと落下する。

灼裳シャモッ!」

 弧を描く炎が、鶏の尾羽根のように燃え上がる。

「そうか、それがアンタの本気の技か!」

 嬉しそうに叫んだ犬上が大きく腰を落とす。

 腕を大きく振りかぶり、そのまま炎の弧へと掌を捻り込む。

 風が吹いた。

 それは草原くさはらを不意にざわつかせる旋風つむじ

 どこまでも澄み切りも乾いている。冷涼な颯。

 佳穂にはそう見えた。

 緑の旋風が、緋色に燃える尾羽根に触れる。

 圧倒的な熱量に、空気は膨れ上がり、爆ぜる。

「────っ!」

 爆風に押され、佳穂の足元がふらついた。吹き飛ばされないよう、踏ん張るのが精一杯だ。火焔と颯風、全く違う属性を纏いながら、戦う二人。

(これがクオリア使いの力……)

 でたらめ過ぎる。

 こんな能力を使う追手たちから、自分は逃げ切る事が出来るだろうか。

 圧倒的な事実を目の前に、佳穂の気持ちが挫けかける。

 と、その時だ。

 半ば絶望しながら、二人のやり取りを見ていた佳穂の視界に光が閃いた。感じたのは、かすかに遠いメタリックグリーン。

 続いて、輝く視界の中を何かが切り裂いて来る音。

──コルク弾!?

 遥か彼方からコルク弾がこちらに向かって飛んでくるのが感じられた。

 描かれる軌跡の先。狙われているのは、自分ではない。

 犬上だ。

 犬上は────気付いてない!?

 激しいニワトリとの格闘に集中し、飛翔するコルク弾に感付いている風ではない。

 同級生は、間違いなく直撃を喰らう。そう思った瞬間、佳穂は声を上げていた。

『危ないっ!』

 自分ではそう叫んだつもりだった。しかし。

「━━━━━━……ッ!!!」

 発せられたそれは、聞こえる声にはならなかった。

 矢のように絞り込まれた無窮の声は、真鍮色の刃となって、飛翔するコルク弾に向けて集中した。

 眩い光を発し、犬上を狙ったコルク弾は真っ二つになり弾け飛んだ。


 自分でも驚いた。

 一体、何をやったんだろう?

 そういえば、さっきの船溜まりでも同じようなことが起こった。

 足に絡まりついた投網銃ネット・ランチャーの網。

 あれを切ったのは確かに自分だった。

 そう思えた。

 口から迸った無窮の声。それは鋭い刃のイメージだった。

 高い声でグラスを割る人の動画を見たことがある。声でグラスに共振を起こし割ったのだという。

 実際は、正しくはないのかもしれない。だが、細かいことはどうでもいい。

 出鱈目な技。自分でも出来てしまった。


「サンキューな! コウモリ!」

 女の攻撃を受けながら犬上が笑う。

 その表情も一瞬。真顔に変わって犬上が叫んだ。

「来るぞ! コウモリ!」

 佳穂は頷いた。

 何かが近づいてくるのが感じられる。

 ブオオオオオーー!

 地鳴りのような轟音を響かせ、山下埠頭に巨大なトレーラーが現れた。

 タイヤを軋ませ、ジョイントをくの字に曲げながら、突堤に急停止する。

「姐さん!」

 焦げたタイヤの臭いの中、男が運転席から拳を出して合図する。

「オラァ!」

 女は犬上の一瞬の隙を突き、攻撃をいなすとトレーラーに向かって駆け出した。

「コウモリ!」

 犬上が叫んだ。

 そうだ。逃げなくてはならない。佳穂は駆け出した。

 パ、パ、パ、パ、パ、パ!

 その足元をコルク弾が狙う。

 颯が吹いた。犬上が駆け抜け、コルク弾がバラバラと転がってゆく。


「くっ!」

 佳穂は力いっぱい地面を蹴った。そのまま翼で空を掴む───前へ!

 ベイブリッジを右手に見ながら佳穂は空へ舞い上がった。

 ほとんど同時にトレーラーからけたたましい音がし、中から何かが飛び出した。

 オフロードバイクだ。追手の女が乗っている。山下埠頭のコンクリートを食み、二輪が駆けてゆく。

 続いて飛び出したのはバギー。


「追わさねぇ!」

 犬上は風を纏って疾走はしりだした。


「フン……」

 目の前で再開した非現実的な鬼ごっこを眺めながら、便利屋は呆れたように鼻を鳴らした。

「コウモリと獣──。あのおっかねえ鳥女の言葉が本当なら、オオカミか。

 ……………………

 ……………………

 ……………………

 ……………………

 知らね、任せた!」

 便利屋は呆れたような顔をしたあと、くるくると傘を回しながら、踵を返して歩きだした。

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