004 契約書にサインする

「…………!」


 押し出されるように店内に入った佳穂の足が止まった。

「おい! 誰かいるか?」

 佳穂をひょいとかわして、男は店の奥へと進んでいく。


「はいはーい!」

 声と共に店の奥から小柄な人物が走り出て来た。

 女の子? いや、男の子だ。

 背丈のせいか、やけに幼く見える。小学生と言われても納得してしまうだろう。

 店員なのだろうか? 道化師のような不思議なデザインの服を着ている。

「注文品を届けに来た」

 男はドスンと荷物を床に置くと、ポケットから伝票らしき物を取り出した。

「受け取りのサインをくれ」

「はいはーい!」

 少年は、明るく返事をするとまた店の奥に駆けて行く。


 佳穂は、というと──

 エントランスを抜けた店の入り口に、呆然と立ちすくんでいた。

 眼の前には、テニスくらいならできそうな空間が広がっている。


 ジャングルのように所狭しと植えられた観葉植物。壁の一面を覆いつくすガラス窓。まるで植物園の温室のようだ。


 傾きかけた春の反射光に照らされたアンティーク物のテーブルと椅子。

 傍らにはトルソーとメジャー。

 テーブルの上にはこれまた骨董品のようなパソコンが一台。

 目に映るものはそれだけだ。

 だが、ここがビルの最上階であることを忘れさせるにはそれで充分だった。


「コホン……」

 咳払いが一つ。

「ひ……!?」

 振り向いて、佳穂は飛び上がりそうになった。

 いつの間に近づいたのだろう。そこには一人の男が時代掛ったお辞儀をしながら立っていた。

「いらっしゃいませ。お客様」

 配達の男の応対をしていた少年とは別人だ。サラサラの銀髪頭がこうべを垂れている。


「ようこそコルボへ」

 流暢な日本語だが、日本人ではないのは間違いない。

 男はゆっくりと頭をあげて、佳穂に微笑みかけた。

 作り物というか、らし過ぎて嘘っぽいというか、呆れるほどの整った顔立ち。

 身につけているファッションもそれにふさわしい貴族のようなものだ。

 年齢は──よくわからない。

 二、三十代に見えるのだが、漂う雰囲気はもっと年月を経ているようにも思える。

 まるで、そう、ビスクドールのように年齢不詳だ。


「さあ、こちらへ」

 男はそう言うと佳穂へと手を差し伸べた。

(ええっ!?)

 あらがいたいのに、あらがえない。

 佳穂はテーブルまでエスコートされ、そのまま椅子の座面に着地させられた。

「あらためまして──

 ようこそコルボへ。私は店主で仕立て屋のランカスター・カラスと申します」

 男はそう言うと佳穂の正面の椅子に座り、輝くような笑みを浮かべた。


(な、なな、なに? ここ!?)


 店舗が、店員が、店主が、全てが、おかし過ぎる。

 怪しいチラシではあったが、まさかここまでとは。

「す、すみません……! 間違えました!」

 佳穂は椅子から身体を引き剥がそうとした。

 だが……逃げられない。まるで見えない力で優しく押さえつけられているかのようだ。

「どうかされましたか?」

 ランカスターと名乗った男が涼しい顔でこちらを見ている。

 佳穂は必死にもがいたが、身体はびくとも動かない。

「チラシ、お持ちですね。では早速、この契約の説明を始めますね」

「ま、ま、待ってください! 契約って!?」

 いきなりの事に意味がわからない。

「で、しょうね。それがどうしましたか?」

 ランカスターは続ける。

「ここに来たなら、どんな方であろうと、その方にふさわしいコーディネートを提案する。それが私の仕事です!」

 そう言うとランカスターは年代物のパソコンを操作した。

 画面が瞬く。

「これが私の実績です」

 それは1本の動画タイムラプスだった。 

 パソコンの画面には少し地味な感じの女性が映し出されていた。それがみるみるうちに輝くような女性に変わっていく。

(この人って!?)

 画面の女性を見て佳穂は驚いた。それはテレビでもよく見かける人気の女優だった。

 画面が瞬く。

 次々と現れるビフォー&アフター。有名俳優や、アイドル、アスリート、誰でも知っている顔ぶれが流れてゆく。

 だが、何より驚くのはその面子ではなく、その変わり様だ。ビフォーとアフターでは全くの別人と言っても過言ではない。

「これって!?」

 佳穂は我慢できず、声を上げた。

「全部、本物です」

 ランカスターは事も無げに言った。

「断っておきますが整形とかではありませんよ。すべて私のコーディネートとカウンセリングによる実例です」

────信じられない。

 それが佳穂の素直な感想だ。

 事実なのだとしたら、相当特別な事をしているとしか思えない。

「ちなみに、メイクも、ヘアメイクも、コーディネートもごくセオリー通りの指導をしているだけです」

 佳穂の考えを見透かすようにランカスターは言った。

「違うのは──。

 私が、ちょっとした魔法を使えるという事くらい」 

 眼前の仕立て屋は指先で宙にウエーブを描き、ウインクをした。


 全然説明になっていない。

 この仕立て屋の言うことが本当なら、確かにここは魔法使いのお店なのだろう。

 だとしたら、尚更──。

「私は……こんなすごい人達みたいなことは求めていません!」

 佳穂はかぶりを振った。

 自分の望みは、こんな一流の人達のようなレベルではない。

 ちょっとおしゃれな姿の写真を撮って、祖母に送ることができればいいだけなのだ。やはりここは自分にとって場違いな店なのだ。


「安心してください。ここまでは、只の余談ですから」

 仕立て屋が笑みを浮かべる。

「余談?」

「そう──

 普通の人。その言葉に佳穂は少し安堵した。

「ですが!」

 佳穂の気持ちとは裏腹にランカスターの言葉が翻る。

「ですが──

 そう言うとランカスターは立ち上がり、佳穂に向かって、うやうやしくお辞儀をした。

「あなたがここに来るのをお待ちしておりました。──月澄佳穂さん」

「ええっ!?」

 佳穂は驚いた。エスコートされてテーブルに着いてから、一度だって自分の名前を言ったことはない。

「どうして私の名前を?」

「さあ、どうしてでしょう?」

 ランカスターはとぼけたような顔をしながら続ける。

「あなたは小さい頃、高熱を出して意識がなくなった事、ありますよね?」

「――――!?」

 佳穂は言葉を失った。仕立て屋の言葉が本当だったからだ。


 その日に何があったのか、佳穂はよく覚えていない。

 8年前の春。

 この横浜で、何か大きな事故があったのだと言う。

 巻き込まれて気を失った佳穂が、目を覚したのは病院だった。

 聞けば高熱を出して、生死をさまよっていたのだという。

 ショックによる記憶喪失──それが医者による診断だった。

 だがそれ以来、佳穂は目立つのが苦手になり、前髪も伸ばして瞳を隠すようになってしまった。


「その時以来、あなたは少し困ったことになってしまった。だから、今ここに来ている。違いますか?」

 佳穂は呆然と聞き入るしかできなかった。

「それは、一種の呪いのようなものです。普通の方法で解くことなど、出来はしないでしょう。私は、それを解決する手段を提供したい。

 そのために──!」

 ランカスターは振りかぶった掌をテーブルの上に叩きつけた。

「そのために、あなたには、変わってもらう貰う必要があります!

 さあ、ぜひ、契約を!」

 

「ちょっと、ランカスター! この荷物どこに置くのさ!」

 その時、佳穂の背後から能天気に呼ぶ声がした。

 驚いて振り返る。

 先ほど、荷物を受け取っていたあの少年だ。手に抱えた荷物がグラグラと揺れている。

「って、やめてください。今、大事なところなんですから!

 あぁ、ちょっと!?」


 佳穂は逃げ出した。

 急に身体が動くようになったのだ。


(やっぱり、ダメだ……私は)


 これが呪いだといわれると、そうなのかもしれない。

 肝心な所でいつも逃げ出してしまう。

 体が勝手に動いてしまう。


 どうして自分はこうなのだろう――――

 駆けながら自分の不甲斐なさを呪った時だった。

 ドシン!

「…………っ!」

 佳穂は何かにぶつかってしりもちをついてしまった。

ぇ……」

 先ほどの配達の男だ。

 配達を終え、佳穂と同じく出口に向かって歩いていたのだ。

「す、すみません……」

「お……、おう。そっちは、大丈夫か?

 …………大丈夫そうだな」

 男は向き直り、再び通路を歩いて行こうとして、立ち止まった。

「お前さ。その鬱陶うっとうしいの、切ったらどうだ? ぶつかっちまわねえか? 電柱とかに」


――――前髪の事だ。


 佳穂は黙りこくる事しかできなかった。

 その姿を見て、男はあきれたような口調で付け加えた。

「余計なお世話か。まあ、コウモリにでもなっちまうんだな。そしたら見えてなくったってよけられるだろ」

 いつから持っていたのだろうか、男は一本の黒い傘をくるくる回しながら、ドアの外へと歩いてゆく。

(コウモリ――――)

 前髪越しにそれを見ながら佳穂は唇を噛んだ。

(どうして────)

 佳穂の心の底で、渦巻いていた感情が膨れ上がる。

 佳穂はきびすを返すと、もと来た方へと駆け出した。


「えっ!?」

 途中、佳穂を追いかけて来たランカスターとすれ違う。

 ポカンとした顔でいるが、気にしない。

 佳穂は契約書のあるテーブルまで一気に駆け寄よると、勢いそのままペンを取った。


「どうして──!?

 どうして、みんな私に変われって言うんですか!?」


 さっきの配達の男も、このランカスターも、そして──祖母も。

 目立ちたくない、友達がいない、一人でいたい。それのどこがいけないというのか。

 そんなに言うのなら! 変わってやる!

 外見だけなら、いくらでも変えてやる!


「あ、ちょっと待っ……」

 ランカスターが止めるのも構わず、佳穂は契約書にサインをした。

 書き終わるか、書き終わらないかの瞬間だ。

「えっ……!?」

 契約書がまばゆい光を放ち、輝きだした。

 真鍮色の光が吹き上がり、佳穂を飲み込んでゆく。

(な、なに? これ!?)

 光に圧倒され、佳穂は意識を失った。


   *          *


「だめだよ、あんな言い方しちゃ。カラスぅ」


「ついついノっちゃいました。いけませんねこのクセ」


「あれじゃ、絶対契約してくれなかったよ」


「まあ、なんとか契約してくれたんだから、結果オーライじゃないですか」


「ダメだよ。もう祭礼ゲーム始まっちゃう。何もわからないのに、どうやって今日切り抜けるのさ」


「んー、どうしましょう? もう契約しちゃいましたし、私らでは直接手を下せませんからねえ」


「もう! 本当に終わらせる気あるの?」


「さあ、どうでしょう?」


 カラン!

 ドアベルが鳴った。


「畜生! あのクソ親父、代引きなら代引きって最初に言っとけよ!」


 誰かがブツブツ言いながら店内へと入ってきた。


「あー、スマン。さっきの荷物。代金払ってくれ」


 配達の男は頭を掻きながら、顔を見合わせている二人に向かって伝票を突き出した。


「──なんだ? 取り込み中か?」

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