010 階段で転ぶ

「どうする──たって」

 何もかもが無茶苦茶だ。

 選択の余地がないのに、何をやったらいいのかわからない。


 その時だ────

 突然通りの向こうからけたたましい音が輝いた。

「え? 何?」

 2つのエンジンの音がこちらに近づいてくるのが「見えた」。それと、それぞれ違う輝きを放つ光が3つ。

 燃え盛るかがり火のような緋色。

 そして、鈍く光るメタリックブルーとメタリックグリーン。

 交錯する音と光から感じられたのは、むき出しの敵意だ。

(に、逃げなくちゃ!)

 どうしてそう感じたのかは、自分でもわからない。体が勝手に反応し、佳穂は逃げ出した。

「え!? おい! ちょっと待て!」

 後ろではエンジン音が角を曲がり、道の向こうに躍り出る。

「なんだよ? 今度は!」

 便利屋が遠目に確認したのは、2台のマシン。バイクとバギーカーだ。


「ほら、ちゃんといたでしょう!?」

 バギーの助手席に座っているメガネの男が叫んだ。

「ガラクタじゃなかったんだな! ほめてやるよ!! バット…なんだっけ?」

 ガタイのいい運転手の男が答える。

「ディテクターです!」

 助手席の男が手に持った端末を振る。

 二人に向かって、バイクのライダーが親指を立てる。狙うは道の先に見えるコウモリ女。

「ちゃんと運転してくださいよ! マシンのせいにされたくありませんからね!」

「言ってろ! 振り落とされるなよ!!」

 バイクとバギーが加速する。


「あー終わったな。これは。」

 目の前を通り過ぎてゆく2台を見つめながら便利屋はため息をついた。

「そもそも 雇用主そのものがヘタレだった場合、契約はどうなるんだっけ……?」


 佳穂は必死で逃げていた。なぜ追いかけられなきゃいけないのか。

 追いかけられる──。

「鬼ごっこ」という文言が頭をよぎる。

(契約書にあった祭礼──!?)

 逃げ出す前に遥か遠くに見えた、あれが追撃者なのか。


 一台は4輪車。むき出しの座席には男が二人。バギーカーというのだろうか。

 もう一台はバイク。フルフェイスヘルメットのライダーが一人。

 サーキットを走りそうなオンロードバイクだ。

(絶対ムリ、絶対ムリ! あんなのと鬼ごっこして逃げ切るなんてできっこない!)

 足を運び、腕を振る。相手は乗り物。敵うはずがない。しかも、肝心な時に思ったように走れない。

(これ、邪魔……!)

 邪魔をしているのは、あのコウモリの翼だ。

 たたみ方がわからない。

 強風の日の折りたたみ傘のように、風をはらんで佳穂の走りを妨害する。

(捕まったら…… 捕まったら 一生、この姿のまま)

 息があがって、呼吸が引き攣れる。


 走りながら必死に考える。目の前の見覚えのある交差点、佳穂は倒れこむようにそこを曲がった。

「しめた! あっちは、行き止まりです!」

 バギーの助手席の男がナビを見て叫ぶ。

「回すぞ!」

 運転席の男が急ブレーキを踏む。

 キイイイイイイイイイイイッ!

 バギーはドリフトしながら道を塞ぐように停車した。

 遅れてバイクも到着する。

 男たちは佳穂の逃げ込んだ袋小路を覗き込んだ。


──行き止まりの道に、コウモリ女の姿は無かった。



 佳穂は石段を駆け降りていた。山手は抜け道が多い。

 中には、地図にも載っておらず、住民しか知らないような抜け道もある。

 袋小路に飛び込んですぐ、佳穂はその脇にある鉄柵をあけ、抜け道を駆け降りた。

 ここは佳穂の家の裏手だ。庭の延長といってもおかしくない。走りながら見上げる。夕闇の空に白い壁が光っている。佳穂の家だ。

 時間稼ぎができたかもしれない。佳穂は、少しだけ安堵した。

 しかし──

 石段の上のほうで緋色の光が輝いた。

 バイクの激しい音が辺りに響いたかと思うと、何かが壊れた音がした。

 閉めてきたはずの鉄柵だ。


 振り向かなくてもわかる。炎の緋色が煌めいている。

 追手のバイクだ。


「コウモリっ! ケイキンが一族の瀬々理、一族の名誉のため、あんたを捕まえる!」

 フルフェイスのライダーが叫んだ。

(女の人!?)

 ガガガガガガガガ

 派手な音を立てながら、オンロードバイクが狭くて急な階段を駆け下りる。

「わわわわわわわ!」

 正気の沙汰とは思えない。バイクは怯む事なく階段を駆け下りてくる。

(ひーっ! 無理無理無理無理!)


 今すぐやめたい。やめたいが、止まる事ができる訳もない。

 佳穂は踏み外しそうになりながら、なんとかつま先で階段を蹴ってゆく。

 しかし、足と車輪。

 転がり落ちるのも、車輪のほうが有利なのか。

 すでに、真後に感じるエンジン音。

(だ、ダメ……)

 諦めかけた、その瞬間──

 ドカン!

 激しい音とともに、背後で爆発が起こった。階段の上、住宅街の方だ。

 爆風が狭い階段を駆け下りる。

「きゃあああ!」

 佳穂は足をすくわれ、つまづいた。何段かはこらえたが、加速に足が追いつかない。

 そのまま階段を踏み外し、空中に放り出される。

(し、死ぬ……!?)

 ゆっくり回る世界に、大怪我を覚悟したその時、一瞬、なにかが閃いて、佳穂は地面に着地した。


「はあ、はあ、はあ、助かった?」

 コウモリの翼が開いている。

(これ──?)

 佳穂は立ち上がり、山の上を見上げる。

 爆発。

 いったい何が起こったのだろうか?


 警官の言葉が思い出される。

(ガスだ……)

 燃えカスが上から降ってくる。サイレンと怒号が聞こえてくる。

──山の上?

 佳穂は自宅のあるあたりを見上げた。山の木々の間から燃え盛る炎がチロチロ見えている。

 思わず、その場にへたり込みそうになる。

 さらに──

「っ、イテテテ! クソっ! 手間かけさせやがって!」

 追い打ちをかけるように、爆風で倒れていたライダーが立ち上がり、佳穂に向かって歩き始める。

(──もう、だめかも)

 気力が削がれかけて動けない。

 その時、佳穂の前方からエンジン音が聞こえてきた。

 走ってきたのは年代物のオープンカー。

「乗れ! コウモリ姉ちゃん!」

 曇天から降る雨粒を思わせる水色が弾ける。便利屋だ。

 よれよれの佳穂に横付けすると、腕を掴んで後部座席に放り込んだ。

「出すぞ!」

 便利屋がアクセルを踏み、オープンカーは急発進した。

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