002 空から落ちてきたチラシをつかむ

 生き物には2種類のタイプがある、と月澄つきすみ佳穂かほは思っている。

 それは 群れを作る種の生き物と、作らない種の生き物である。

 佳穂は当然後者である。

 一匹オオカミ────などという上等なものではない。


 集団の中にいると落ち着かない。

 人前に立たされようものなら、固まってしまって動けない。


 そんな調子だから、佳穂はいつも一人で行動している。

 好んで一人になっているのだから、やっぱり、一匹オオカミではないのか?──違う。

 断じてそうではない。

 聞くところによると、そもそも一匹オオカミとは何かをやらかして、群れからはじき出されたオオカミなのだそうだ。

 だから、一匹オオカミはいつも不安で仕方がない。

 やはりオオカミは群れで行動する生き物なのだ。


 一人でいることが落ち着くのだから、佳穂は群れを作らない生き物で間違いない。


 黒いウェーブのある前髪は頬に掛かるほど長く、表情を外から窺うことは全くできない。背丈は一際小さく、その姿は煌びやかなショッピングモールの人の中で完全にしていた。


 ここは横浜。

 佳穂は自宅近くの山手駅から電車に飛び乗り、目的のお店のある”みなとみらい“へとやって来た。

 

「いくらなんでも悪戯いたずらのレベル超えてるよ。おばあちゃん……」

 呟きながら、足早に進んでいく。目立たないように、音を立てないように。


 向かっているのは、あらかじめネットで調べておいた洋服店。

 カラフルなスカートやワンピースが並んでいる人気のお店だ。

(我慢しろ、私)

 苦手な人混み。激しく抵抗する気持ちを押さえつけて、お店に入る。


「なんか、お探しっすかー?」

 間髪入れず、ラフな感じの女性の店員が近寄ってきた。

 タイトなパンツに、Tシャツ。ジャラジャラとパーカッシブな装飾品。

 耳にはピアスまでしている。

 お店の雰囲気と違いすぎる。

「ひ!?」

 佳穂はたじろいだ。足が外の方を向きかける。

(ダメだ……、ダメなんだ……これじゃあ)

 自分に言い聞かせ、声を絞り出す。

「ぁ、あの……あの」

「ん?」

「ぅ、上から下まで……」

 要領を得ない応えの自分が嫌になる。


「んー、お客さん初めてっすよね~」

 店員は首を傾げながら、佳穂の姿を言葉通り上から下まで観察する。

(見ないで欲しい……)

 佳穂は天を仰いだ。


「ん? その制服、鳳雛ほうすうっすか? すごいっすねー、お客さん」

「ぇ……あ、あの。す、すみません!」

 佳穂は思わず俯いた。

「オッケーっす。お客さん、予算、いくらくらいっすか?」

「ぇ、ぁ、あの、五万円……」

 カバンの中の封筒。

 その中には祖母から渡された五万円が入っていた。

 それは、佳穂の今のだった。


 全ては祖母による悪戯いたずらだ。

 事の発端は、2ヶ月前。

 大学の海外赴任へ単身向かう祖母が、一人暮らしとなる孫の身を案じて出した無理難題。

 とっても簡単な無理難題。


『あなたの姿が見たいわ』


「好きな色とか、ありますか~?」

「ぃ、色ですか……グ……」

 レー、と言いかけて佳穂は言葉を飲み込んだ。

「ぉ、お任せします……」


 人付き合いと目立つ事が苦手。前髪で瞳を隠すメカクレ。

 制服以外の服は、グレーのタートルネックしか着ない――中学校でついたあだ名はコウモリ女。

 そんな佳穂にとって、その『宿題』はあまりにも難しいものだった。


『ちょっとはおしゃれしなさいな。そしたら友達もたくさんできるわよ!』


 明るくて人懐っこい、悪戯好きな祖母。

 祖母には、この『宿題』の難しさが理解できていなかった。

 そして、佳穂には祖母の悪戯好きな性格が理解できていなかった。


 祖母を見送り、始まった念願の一人暮らし。

『宿題』の提出を伸ばしに延ばし、気がついたのはつい先ほど。

 明日はいよいよ入学式という日になってからの事だった。


 手元にあるのは、カバンの中の封筒に入っている五万円。

 祖母がこれで服を購入するように、と残していった現金だけだった。


――まさか本当にこんなことをするとは。


「あー、ハイハイ。大丈夫っす」

 言いながら、ラフな店員はハンガーから選んだ服を手際良く組み合わせ、佳穂の前に吊り下げていく。

「お客さん、髪型ワイルドっすから、こんな感じすっかねー」

「……………………」

 並べられたコーディネートを目の前に佳穂は絶句をしてしまった。

 一体この店舗のどこから出してきたのだろう?

 そこにはパンクでロックな感じのコーディネートが並んでいた。

 ワイルドな感じ──。この人にとっては佳穂は、そういう解釈になるのだろうか?

「一度、試着してみるっすか?」

 自信ありげにコーデを差し出してくる。


──無理。


 無理。無理。無理。無理。無理。

 絶対目立つ。

 これでは、ライブステージにだって立てるだろう。

 目立つ、目立つ、目立つ、目立つ。

──ダメだ。

 絶対ダメだ。こんなの。

 頭が一杯になり、思考が完全に停止する。


 その時だ。

「キャー!」

「人が落ちたぞ!」

 怒号が飛び交い、にわかに外が騒がしくなる。

「んー、なんすかねぇ……」

 ラフな店員がぼんやり店の外を向く。

 それをきっかけに、佳穂の足は動き出した。

「ご、ごめんなさい! また、今度で」

 佳穂は店の外に逃げ出した。


   *          *


「あーあ」

 取り残された洋服店の店員は、佳穂に差し出したコーディネートをハンガーに掛けると店の外に出た。

 吹き抜けになっている通路の周りは騒然として、人集りも出来ている。

「どうしたんすか?」

 同じく野次馬になっていた隣の店の店員に声を掛ける。

「上から、が落ちたんだって」

 隣の店員は目を丸くしながら答えた。

「へー、それで大丈夫なんすか?」

「いやね、下には誰も落ちてないんだとさ」

「へ?」

「落っこちてないって、誰も」

「はあ……?」

「もしかしてアレ……かもな」

「あ、あぁ!『天使様と獣』」


   *          *


 どれくらい走っただろう。佳穂は、ビルの谷間の路地に迷い込んでいた。

 壁にもたれながら天を仰ぐ。


(私は、ひっそりと生きていたいだけなのに。なんでこんな事をしなくちゃならないの……)


 春の日差しに輝くビルの壁面が、飛行機雲を映している。平和な光景を見上げている自分が、とても惨めな存在に思えてくる。

 その時だ。

(!?)

 摩天楼に切り取られた空を、何かが掠めていくのが目に入った。

――鳥?

――人?

──まさか?!

 そう思いながらも、佳穂の脳裏には一つの都市伝説が浮かんでいた。


『天使様と獣』


 ここ、横浜では20年ほど前から、翼の生えた人や、獣のような姿の人、不思議な人間を見たという噂が絶えなかった。

 出所も、証拠も何もかも不明。科学的には完全に否定されている噂。にも関わらず湧いては消える不思議な噂。


――もしかして!?


 おかしな考えを否定しながら、もう一度、目を凝らす。


 ビルの谷間を何かがひらりひらりと舞っている。

 一片の紙切れだ。

 やはり見間違えだったのだ。緊迫した気持ちが落ち着いてく。


 ひらりひらり。


 その紙切れが、春の微風にひらめきながら佳穂のすぐ近くまで落ちてくる。

 どう見たってただの紙切れだ。だが、不思議と気持ちが惹かれてしまう。

 あと少し……

 佳穂は腕を伸ばしてそれを待ち構えた。

 だが突然、ビル風がそれを攫うかのように吹き抜けた。

「あっ!」

 佳穂は咄嗟にジャンプした。間一髪、紙切れは佳穂の手の中に収まった。


 それは何の変哲も無い印刷物だった。


──チラシなのかな?


『ファッションカウンセリング

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 仕立て屋・コルボ

 おしゃれはお任せください。なりたい自分に変身できます。』


「これって……?」

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