6-7 リインカーネーションと最後の巡礼

 は、は、は。

 呼吸が短く、浅く、何度も弾む。

 なりふり構わず走るうちに足元を飾っていた魔法ガラスの靴は脱げ、その辺りに放り出されて転がった。

 いつも丁寧に飾り付けられていた祭服やヴェールは走るうちにすっかり乱れ、ぐちゃぐちゃだ。

 靴を介さずに触れる神殿の床は冷たく、床に散らばった調度品や家具の破片がリーリャの足を傷つけ、痛みを放つ。


 わずかに血が滲んでいるが、それでもリーリャは構わずに前へ前へと走り続けた。

 ただ、己の手元にだけ意識と注意を向けて。

 手元から溢れる白い光が消えるのを見逃してしまわないよう、光が強まる瞬間を見逃すことがないよう、存分に注意を払いながら。


「ッ早く、早く、早く……!」


 指輪から溢れる白い光は、リーリャが前へ進むごとにどんどん強まっている。

 つまり、リーリャが進む道はおそらく間違っていない。このまま前へ進み続ければ、何か得るものがあるはずだ。

 希望と呼ぶにはあまりにもか細い導きを信じ、走り続けるうちに一つの扉が見え――リーリャが扉のすぐ近くに立った瞬間に指輪の光がいっそう強まった。


(ここだ――!)


 痛みも忘れて扉へ駆け寄り、両手で思い切り押す。

 どうやら鍵はかけられていなかったようで、閉ざされていた扉はあっさりと開き、リーリャにその先の風景を見せた。


「……あ……」


 扉の先には、リーリャが何度も目にしていた――けれど、どこか様子がおかしいと感じられる部屋が広がっていた。

 かつては綺麗に掃除されていたはずの部屋は荒れ果て、並べられた椅子は全てが朽ち果て片隅に寄せられている。

 足元に敷かれたカーペットも薄汚れ、ほつれ、破れ、かつての姿を完全に失っていた。

 けれど、それ以上に目を引くのが敷かれたカーペットの先にあるものだ。


 朽ち果て、壊れ、一体どのような姿だったのかわからなくなってしまった彫刻。

 昔は物が置けたのだろうけれど、今は足が折れ、斜めに傾いた小さな机。

 天上から溢れてくる外の光と――その下に広がった、異様さを引き立てる赤黒い汚れ。

 この部屋が何なのか、入った瞬間に理解した。


 ――祈りの間。

 リインカーネーションが神々に祈りを捧げる神聖な場所であるはずの部屋だ。

 アヴェルティールも指輪が示す先にあるのはおそらく祈りの間だと言っていた。

 言っていたが、まさか本当にそのとおりだったとは。


(……一種の処刑場だとも言ってたけど……それは、多分……)


 ひた、ひた。

 扉を閉め、止まっていた足を再度動かす。

 一度足を止めてしまえば、神殿の床から感じられる冷たさや走るうちにできた傷の痛みがよりはっきりと感じられるようになった。

 カーペットの上に足を乗せた瞬間、毛羽立って手触りが悪くなったカーペットが傷に触れて鋭い痛みを放ったが、リーリャの足を止める理由にはならなかった。

 何かに導かれるかのように祈りの間の奥へ、赤黒い汚れが付着している床の前まで移動する。


 ゆっくり上を見上げると天上にステンドグラスの窓が取り付けられているのが見え、そこから外の光が差し込んできていた。

 この下に立ったリインカーネーションたちは、きっととても神聖な雰囲気を放つ人物のように見えるのだろう。


(だから、多分この場所で、リインカーネーションたちを)


 足元に視線を落とし、ぐっと苦い顔になる。

 おどろおどろしさを感じさせる赤黒い汚れの正体は、なんとなく予想がついている。

 これまで命を落としてきたリインカーネーション全員が己の死を素直に受け入れられていたとは思えない。今のリーリャのように、中には生きたいと願っていた人もいたはずだ。

 不当に殺されてきた彼ら、彼女らも、虐げられてきた民の一人といえる。


(……終わりにしなくちゃ)


 何も変わらないままリーリャが命を落とせば、また何年か先で新たなリインカーネーションが誕生する。

 新たなリインカーネーションが誕生すれば、その人もまたここで命を落とすことになる。

 何度も同じ悲しみを繰り返させないためにも、リーリャがなんとかしなくてはならない。

 リーリャがそう思った瞬間、まるでその思いに呼応するかのように、手元の指輪がさらに強い光を放った。


「わ……!? な、何!?」


 祈りの間に繋がる扉の前に立った瞬間から強い光を放っていたが、それ以上だ。

 驚いて己の手元へ視線を落としたとき、視界の端――ちょうど薄汚れた奥の壁に、何やら同じ色をした何かが浮かび上がっているのがちらついた。


「……え?」


 ぽかんとした顔で、声で、リーリャは奥の壁に目を向ける。

 気のせいかもしれないと思ったが、確かに奥の壁に何かが浮かび上がってきている。

 指輪の光がさらに強まる前には浮かび上がっていなかったはずだ。もし浮かび上がってきていたとしたら、すぐに気づくだろう位置だ。

 なんともいえない緊張感のようなものが広がり、軽く深呼吸をする。

 赤黒い汚れを避けて前へ歩を進め、何が浮かび上がってきているのかを確かめた。


(これは……文字?)


 壁に浮かび上がってきていたのは文字――何者かが刻んだと思われる文章だ。

 リーリャが身につけている指輪と同じ色をした光で綴られている辺り、指輪を身に着けた者のみが読み取れる仕組みになっているのだろう。

 おそらくこれが、リベラリタス神殿の祈りの間に作られている仕掛けだ。


「ええっと……何が書かれてるんだろう……」


 手元の光と、目の前にある光の文字で綴られた文章。

 白い光で目が少しちかちかしそうだが、何が綴られているのか確かめるため、じっと目を通した。


「純潔と奇跡の装身具をつけ……光輝く神の膝元へ……。我らが母に祈りを捧げ……目にしてきた痛みと嘆きを……告白せよ……」


 純潔と奇跡の装身具を身に着け、光輝く神の膝元へ。

 我らが母に祈りを捧げ、目にしてきた痛みと嘆きを告白せよ。


「天の国に……愛されし御子……その兄弟姉妹の声が届いたならば……」


 天の国に愛されし御子の声、そしてその兄弟姉妹の声が届いたならば。


「奇跡は……形となる」


 神の奇跡は形となる。

 強欲の王は討滅され、再生の光が世に降り注ぐ。


「――……これって……」


 浮かび上がった文字を読み終えたリーリャの唇から、わずかな声がこぼれた。

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