第2話、秘密の関係

 夏休みが明けた直後だった。

 一学期と変わらず僕は学校へと向かい、窓際の一番後ろにある自分の席につく。


 その隣の席には夏休みにも会った姫川さんの姿があって、彼女の周りをたくさんのクラスメイトが囲っていた。


 姫川さんは相変わらず人気者だ。テストの成績は常に上位で運動神経も抜群、ギャルっぽい見た目もとても似合っていて学校一の美少女との呼び声も高い。そんな姫川さんの周りには常にたくさんの人達が集っている。姫川さんはいつも笑顔で明るくて、誰に対しても優しくて、性別の壁を越えて多くの人達から慕われて愛されていた。


 クラスの隅で小さくなっている僕とは住んでいる世界が違う。いわゆる陽キャと陰キャ、僕と姫川さんの席は隣でも会話を交わす機会なんて殆ど無い。


 しかし今日の姫川さんは一学期の時とは少し様子が違った。たくさんの生徒達に囲まれているにも関わらず、隣にいる僕の事をちらちらと横目で見てくるのだ。けれど僕は姫川さんに特に用事があるわけではないので、彼女の視線を気にする事なく読書を続けている。


 ――そして放課後になり、僕が帰宅の準備を始めている頃、姫川さんは意を決したように隣の席から立ち上がった。


「あ、あのさ、武森。ちょっと話があるんだけど、いいかな……?」

「え? 話? 別に構わないけど、何の話?」


「ここではちょっと話しにくい事なんだ。だから場所を変えたいんだけど……ダメ?」

「話しにくい事? まあ別に良いけど」

「ありがとう……じゃあ屋上で待ってるから」


 姫川さんはそう言うとすぐに教室から出て行ってしまった。


「どうしたんだろう、姫川さん。朝からなんか様子がおかしかったけど」


 突然の出来事に僕は首を傾げながら鞄を肩にかける。


 姫川さんが何を考えているか分からないけど、とりあえず言われた通りに屋上へ向かう事にしよう。


 ※


 校舎の屋上は夏の日差しが強くて、少し歩いただけでも汗ばむような暑さになっていた。


 扉を開けると強い風が吹き込んできて一瞬だけ涼しい気分になる。

 

 屋上の奥の方には手すりに寄りかかりながら外の風景を眺める姫川さんの姿があった。


 その姿はまるで一枚の絵のように綺麗で思わず見惚れてしまう。

 

 そして姫川さんは僕が屋上に来た事に気が付いたようで、こちらを振り向くと真剣な眼差しで僕の方を見つめていた。


 やっぱり姫川さんは可愛いなあと思いつつ彼女の元へと歩いていく。


 そして姫川さんの前に立つと、彼女は大きく深呼吸をしながら口を開いた。


「あの、まず初めにね。夏休みに武森とコミケで会ったでしょ、あの事をちゃんと黙っていてくれた事……お礼言いたくて。約束を守ってくれてありがとね」

「あーその事か。大丈夫だよ、言ったでしょ。僕は口が固いって」


 友達が居ないから話す相手もいないし、口が固い事もあって妹にすらこの事は言っていない。だから秘密は守られているし、姫川さんには安心して欲しかった。


 そんな気持ちを込めて僕は言葉を続ける。


「あの後さ、調べてみたんだ。姫川さんが着ていた服、ブルアカっていうスマホのゲームに出てくるアスナってキャラクターのイベント衣装だったんだね。すっごく似合ってたよ、あのゲームのバニーガール衣装。キャラそのままみたいで本当に凄かった」


 彼女を褒めてあげようと思っての事だったのだが、何故か姫川さんはぷるぷると震えながら顔を真っ赤にして俯いてしまった。そして言葉を続けようとする僕の口を手で塞ぐと大慌てで首を横に振る。


「ま、待って……! それ以上は言わないで……誰かに聞かれたりしたらやばいから……」


 姫川さんは慌てた様子で屋上の下に広がるグラウンドの方を見つめる。野球部が大声で練習している声がここまで聞こえてくるくらいで、他の誰かに今の会話を聞かれた様子なんてない。


 その様子にほっと胸を撫で下ろしながら、姫川さんは僕の口から手を離していた。


「え、えと……武森。あのね、夏休みのあの時にも言ったけどね、わたしがコスプレイヤーだって、その事はこれからも内緒にしていて欲しいの……」

「これからも内緒、っていうのは分かったけど。どうして? すっごく似合ってたよ、あの時のコスプレ。あれとか文化祭に着たらクラスのみんなも喜ぶだろうし、むしろ姫川さんの人気だってもっと上がると思うけど」

「そ、それはダメ……! 絶対にダメなの……!」


 僕の言葉を聞いて姫川さんは大きく首を振る。


 どうしてそこまで嫌がるのかよく分からず、僕が不思議そうな表情を浮かべていると姫川さんは恥ずかしそうに下を向いてしまった。


「えと……じゃあ武森にはもうバレちゃったから、全部教えるけど……実はわたしさ、その……それなりに有名なコスプレイヤーで、えっと……えっちな服をメインにしてるって言えば分かるかな。それでSNSとかでフォロワーもたくさんいるし……過激なことばっかりしてるから、それがクラスメイトのみんなにバレたらやばいっていうか……とにかく、そういう事情があってみんなには黙っていて欲しくて……」


 姫川さんは早口になりながらも、なんとか言葉を紡いでいく。しかしその内容は僕にとっては衝撃的な内容だった。


 姫川さんが有名なコスプレイヤーでえっちな服を? しかも過激な事ばかりしている? 本人の口から並べられた事実なのだけど、正直あまり信じられなかった。


 姫川さんはとても可愛らしい女の子だし学校でも人気者だ。それに成績優秀で運動神経も良い。明るい性格でいつも笑顔を振りまいている。


 だからそんな彼女がえっちなコスプレをして活動しているだなんて普段の姿からは想像も出来ない。けれど実際に夏休みのイベントで姫川さんのそんな姿を見ているわけだし、彼女が話す内容は全部本当の事なんだろうと僕は納得する事にした。


「うん、分かった。誰にも言わないよ。約束するよ」


 僕が笑顔で答えると姫川さんはほっとしたような笑みを浮かべる。


 そして小さく息を吐くと、嬉しそうにはにかんでいた。


 姫川さんって笑うとこんな感じなんだなあと思いながら、彼女の可愛らしさに見惚れてしまう。


「武森の事は信用してる……だって、夏休みの事も黙ってくれてたから。それでね、もう一つお願いがあるんだけど……」

「ん、何?」


 僕は首を傾げながら姫川さんに問いかける。


 すると姫川さんは少しだけ視線を泳がせながら、上目遣いで僕を見ていた。


 そして恥ずかしそうにしながらも小さな声で呟いたのだ。


「その……わたしね、写真撮るのはいつも一人で、誰かに協力してもらえたらもっと綺麗な写真が撮れるって今まで思ってて。他のレイヤーさん達はプロのカメラマンさんとかと仲良くなって撮影会を開いてるみたいだけど……わたしは高校生っていうのもあるし、実はそういうの苦手で。だからね、その……良かったら武森がわたしのカメラマンになって、写真を撮ってくれない……かな。今まで誰にも言ってなくて内緒にしてて、その……この事を知ってて信用出来る武森にしか頼めないんだ」


 姫川さんは真剣な眼差しで僕の瞳を見つめる。


 その様子はどこか切羽詰まっているようにも見え、必死に何かを訴えかけているように見えた。


 そんな姫川さんの姿に僕は思わず見入ってしまう。そして学校のアイドル的な存在である姫川さんが、普段なら接点の作りようがない僕のような日陰者を頼ってくれている事が凄く嬉しかった。


「うん、いいよ。僕なんかで良ければいつでも協力させて貰うよ」

「ほ、本当!? ありがとう、武森!」


 僕が快く引き受けると姫川さんは目を輝かせて喜ぶ。彼女は僕の手を握りしめて、それはもう嬉しそうにしていた。


 姫川さんの手の柔らかさと温かさにどきりとしながら僕も自然と笑みを浮かべる。


 ――こうして僕と姫川さんの二人だけの秘密の関係が始まったのだった。

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