第6話 後を追う者ー⑥

「ほうほう、あの筋肉ダルマめ中々味な真似をしよるわ。クロノアもクロノアじゃ、あんな色気よりも食い気な奴に現を抜かすとは」


 案内所の人目に付きにくい位置からカフェを覗きながら、ルナと世間話をした旅行者、もといクノイチはカモフラージュにと手に持っているチラシを握り潰す。


 はた目から見るとイチャ付くカップルか仲の良い姉妹に見える二人に怒りと嫉妬の炎を燃やしているからだ。


 宿場町で一旦二人から離れた様に見えたクノイチは、今度は騎士に変装して街道を巡回する騎士の部隊に紛れ込んだ。


 流石に二人の移動にずっと付きまとっていてはクロノアに勘づかれる可能性があったので、クノイチは行き先が分かっていた二人を先回りして待ち受けるつもりだったらしい。


 しかし、途中野盗との戦闘や魔獣退治に巻き込まれてしまい、想定より到着が少し遅れてしまった。


 結局先回りに失敗したクノイチは観光地では騎士の格好の方が目立つと判断して再び旅行者に変装すると、大量の温泉饅頭をパクつく二人を見つけ、二人の食べ歩きをずっと尾行していた。


 そんな最中、ふとクノイチは考えてしまった。


 本当にベリルスの依頼通りにルナを殺してしまっていいものかと。


 クロノアのヴァーリウスへの執着が異常なのはクノイチも分かっており、死の偽装に関わっているのに気付いた時は、まさか二人がここまで仲良くなっているとは思ってもみなかったからだ。


 どうせルナに利用されているだけかクロノアが勝手にルナを、それこそ半ば脅すような形で付きまとって助けているのだろうと考えていたのだが実際は違った。


 ルナはクロノアを受け入れるどころか恋人にしていたのだ。


 我ながら馬車でルナと話した時、よく驚きが顔に出なかったな思う程に想定外な事態だ。


 自分のストーカーとしか言えないクロノアを恋人にするなど、ルナも相当おかしいのではとクノイチは思っている。


「あれ、ルナさん、僕また寒気がしたんですどやっぱりおかしいですよね」


「やはり風邪か何かじゃないのか。宿が決まったのなら今日は早く休んだ方いい」


 半分くらい残っていたケーキを大きく口を開けて一口で食べたルナと、残っていたハーブティーを急いで飲み切ったクロノアは支払いを済ませるとカフェを後にする。


 二人は案内所で貰ったチラシの地図を頼りに少し歩き、立派な店構えの宿屋、リュウ亭に着いた。


「変わった名前の宿だな。クロノア、高そうなところだが大丈夫なのか?」


 散々好き放題食べておきながら今更財布の心配をするルナに、今度きちんと金銭感覚を身に着けさねばと思いつつルナは問題ないことを伝える。


「温泉を見つけた人物の故郷の言葉でドラゴンの意味があるらしいですよ。確かに普通の宿よりは高いですけどゴブリンの一件でかなりの額を稼ぎましたから少しくらい贅沢しても大丈夫ですのでご安心を」


 それならばとルナも安心したらしく、二人はリュウ亭へと入っていく。


 幸いにも部屋は空いており、おまけにクロノアの希望通り風呂付の部屋に泊まれることになった。


 溢れんばかりの喜び隠しながらクロノアは部屋へと向かうが、一緒に居たルナと案内をしてくれた宿の人間には小刻みに震えて大丈夫なのだろうかと心配されているのにクロノアは気づかない。


「それではごゆっくりお寛ぎ下さい」


 宿の人間が下がると島国風の部屋に慣れていないルナにクロノアは座布団を勧めて座らせる。


「床に座るのは何だか落ち着かないな。それにこの床、何だか変わっているな」


「タタミという草を編んだ物らしいですよ。サックが出来て以来、温泉を見つけた人と同郷の人が集まる様になったらしくて、宿屋の多くが彼らの故郷の様式になっているそうです。慣れると案外落ち着きますよ」


「タタミか。確かにこの独特の匂いは何故だか分からないが落ち着く感じがする」


 すっかりとリラックスしたルナは座ったまま船を漕ぎ始め、流石のクロノアも疲労の限界が来たらしく、座布団を枕に眠ってしまう。


 夕刻、クロノアよりも早くに目覚めたルナは、夕食まではまだ時間があったので楽しみにしていた温泉に入りに行こうと思い立つ。


「確かこのユカタというのを着るのだったな」


 寝ているとはいえすぐそこで男が寝ていると言うのに、何の躊躇いも無く鎧と服を脱いだルナは初めて着る浴衣に悪戦苦闘しながらも、宿屋の人間の説明を思い出しつつ着崩れてはいるものの辛うじて浴衣着ることが出来た。


 よく眠っているクロノアを起こすのが忍びなかったルナは、書置きを残すと部屋を後にした。


「……起きてるのバレなくて良かったあ」


 ルナの気配が部屋から遠ざかったのを感じたクロノアは鼻血を啜りながらむくりと起き上がる。


 実はルナが服を脱ぎだした辺りで目覚めてはいたのだが、間近でルナの裸体が見れると欲望に負けてしまい、寝たフリをしながらバレない様にルナの着替えを拝んでいたのだ。


「ってしまった! ルナさん大浴場の方へ行っちゃったら混浴出来ない!」


 目の前の獲物に飛びついて大物を逃がした狩人の気持ちなりながらも、クロノアは今日は一度諦めて明日仕切り直そうと自分に言い聞かせる。


「……僕ならバレずに女湯覗けるよな」


 しかし、一度火が付いた欲望を年若い男が抑えきれる訳も無く、クロノアは自分も大浴場へ向かう為に浴衣へと着替え始める。


 流石に女装で男湯に入ると悪目立ちしてしまうと考えたクロノアは、化粧を落として浴衣も男物を着た。


 髪もいつものツインテールを止めて適当に後ろで括ったが、それでも少女と言われたら信じてしまいそうな風貌であった。


「これが温泉か。確か入る前に体を洗えとクロノアが言っていたな」


 事前に温泉でのマナーをクロノアに仕込まれていたルナは、キチンと言いつけを守って体を洗ってからようやく念願の温泉に体を漬けた。


 最初はオーガとの戦いで負った無数の傷にお湯が染みて少し痛みを感じたものの、次第に慣れてくると今度はかつて味わったことの無い気持ちよさに襲われ、ルナの顔は未だかつて誰も見せたことが無いほど蕩け切ってしまう。


 もしクロノアが今のルナを見たら卒倒していただろう。


「クックックック、えらく気持ち良さそうでは無いか。温泉は初めてかえ?」


 時刻が早いのと今日は宿も空いているらしく、一人しかいない先客にルナは声を掛けられた。


「ええ、湯に浸かるのさえ初めてなのですが、こんなに気持ちがいいとは知らなかった」


「この大陸には風呂に浸かる習慣が無いからのう。わしらからしたら湯に浸からんと一日の疲れが落ちた気がせんから難儀するんじゃがな」


「もしや貴女は海の向こうの島国から来られたのか?」


 女は風呂桶に乗せてある徳利から注いだ酒を飲みながら頷く。


 初めて会う異邦の人間に興味をそそられたルナがもっと話をしたくなり近づこうとした時、どこからともなく女に向かって風呂桶が飛んできた。


 瞬時に反応した女は徳利が入った風呂桶を投げ、飛んできた風呂桶を弾く。


「ルナさんに何する気だ師匠!」


「ふむ、気配は消していたつもりじゃったが気づくとは腕を上げたなクロノアよ。……いや、ムッツリのお前のことじゃからさてはこ奴の裸を見たいが為に女湯を覗きおったな」


 図星を付かれたクロノアは動揺で顔を真っ赤にする。


 クロノアは、男湯には誰もいないことをこれ幸いにと女湯と男湯を隔てる壁に穴の一つでもないかと目を皿の様にして探した。


 もちろんそんな穴は存在する訳が無かったのだが、諦めきれないクロノアは湯煙に紛れて、万が一見つかっても素性がバレない様に風呂桶を被って壁を昇った。


 傍から見ればもちもちした尻を丸出しで壁をゴキブリが如くカサカサ上る様は何ともマヌケとしか言いようがなかった。


 何はともあれ壁を昇り切り、ようやく素晴らしい景色が拝めると思ったのに、目的のルナよりも先に視界に入ったクノイチに驚いたクロノアはルナの裸を見るどころではなくなってしまう。


 瞬時に自分を連れ戻す為にルナに何かする気だと思ったクロノアは、被っていた風呂桶を投げてルナとクノイチを引き離そうとしたのだ。


「ルナさんとりあえず離れて下さい! そいつはとんでもなく危ない奴なんです!」


「実の師匠を危ない奴とは何事じゃ馬鹿弟子が!」


 困惑するルナを余所に手に持っていたおちょこを視界から消えたと錯覚するほどの速度でクノイチが投げると見事にクロノアの額に命中する。


「ぎゃん! あ、しまった……」


 痛みに驚きクロノアは壁から手を放してしまう。


 そうなってしまえば後は重力の力によって落下するのみ。


 ルナはクロノアが大怪我するのではと驚き咄嗟に湯から立ち上がるが、何も出来る訳も無くただただ立ち尽くすことしか出来ない。


 だが幸いにも大きな水音がクロノアが湯船に落ちたことを教えてくれた。


「大丈夫かクロノア! 怪我は無いか!」


「だ、大丈夫です! とにかくルナさんはそいつから離れてください」


 大声でやり取りする二人を置いてクノイチは湯船から上がる。


「おいヴァーリウス、いや、今はルナだったか。主らの部屋で待っておるからゆっくり浸かってから戻ってくるがええぞ。馬鹿弟子もちゃんと体を洗って肩まで浸かって百数えてから出てこい」


 一方的に言いたいことを言ったクノイチは脱衣所へと消えていった。

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