第6話 後を追う者-⑤

 元々コクレア王国はもちろんのこと、大陸全土を見渡しても湯船に浸かるという文化を持つ国は無かった。


 体を清めるといえば濡らした布で体を拭くか、桶に汲んだ水を浴びたりする程度で皆済ましてしまう。


 だが、大昔に遥か東、海の向こうにあるという小さな島国から流れてきた人物によって温泉や湯治という文化が伝えられた。


 当時の国王が医者に掛かっても治らない病を患っていたこともあり、噂を聞き付けた国王はその流れ者を召し抱えると温泉を探させた。


 流れ者は国内を隅々まで探し回り、ちょっとした冒険譚になる程の苦労の末に温泉が湧き出る地を見つけ、王を招くと湯治をさせたそうだ。


 最初は探させた国王自身も湯に浸かるだけで病が治るなど半信半疑であったそうだが、半年程毎日湯に浸かっているとみるみる内に病は良くなり、完治にまで至った。


 国王は温泉と流れ者に心から感謝し、国民達にも湯治を勧める為に流れ者に温泉を中心とした街を作らせ、温泉発見の褒美に彼をその長として任命した。


 その時、流れ者が恋しくなった故郷に似せた建物を建てさせたことで、木造の独特な建物が立ち並ぶ変わった街並みが出来あがったらしい。


 それが後にサックと呼ばれる温泉街の始まりだと書かれた立て看板を使いながら、ルナを少し落ち着かせようとクロノアは説明する。


「なるほど、確かに怪我だらけの我々にはうってつけの場所なんだな。ところでクロノア、あのサック名物オンセンマンジュウとはどんな食べ物なんだ?」


 豪快に腹を鳴らしながら興奮収まらぬ様子で訪ねてくるルナに、これはどうやってもしばらく落ち着かないと察したクロノアは、朝食代わりに袋一杯の温泉饅頭をルナに買い与えるのだった。


「これは甘くておいしいな。中身は一体何なんだろう」


「カボチャを甘く煮てペーストにしたものらしいですよ。もう一個下さい」


 早朝でまだ人通りがまばらな通りを二人はカボチャ餡の温泉饅頭を頬張りながらのんびりと歩く。


 サック名物温泉饅頭とは、これまた流れ者が故郷の味を懐かしんで王国内で再現したのが始まりの歴史の長い食べ物で、日持ちがしないのでここでしか食べられない名物として有名で観光客に大人気のお菓子である。


 あっという間に袋にはち切れんばかりにあった筈の饅頭を食べ終えた二人は、そのまま硫黄の匂いに混ざる食欲を刺激して仕方ない美味しそうな香りに釣られて露店や茶屋を次々に梯子していく。


「どれも美味しかったが、私はマンジュウと肉の串焼きが好みだな。クロノアはどうだ?」


「ぼ、僕もマンジュウです。流石にもう何も食べれそうにないですけどね」


 街の広場に置かれたベンチで二人は座って一休みしているのだが、美味しい物を沢山食べてご機嫌なルナに比べてクロノアはお腹を摩って苦しそうにしている。


 普段、クロノアは食にあまり興味が無く小食なのだが、観光地特有の雰囲気でテンションが上がったのと、隣でルナが美味しそうに食べるのに釣られてしまってついつい食べ過ぎてしまったらしい。


「そろそろ宿を取りに行きませんか? 僕達、食べ歩きに来たんじゃなくて一応湯治に来たわけですし」


 クロノアに言われてルナはそういえばそうだったとでも言いたげな顔をする。


 早速宿を探そうとベンチから立ち上がったルナは辺りを見回して困惑してしまう。


 何せ湯治の街として有名なだけあって宿屋の看板を掲げる建物だらけだからだ。


 ルナも食べ歩き中に何となく宿屋の看板をよく見るなとは思っていたのだが、改めて探してみると、とんでもない数の宿屋がある様で、宿屋の隣が宿屋、そのまた隣も宿屋、といった具合である。


「ルナさん、向こうを見てください。あそこは案内所といって宿屋の世話から名所の案内までしてくれる所なんです」


 クロノアが指さす場所を見ると、他の建物に比べてやたらと人の出入りが多い建物があった。


 クロノアと共に案内所に入ると、ルナはギルドに似た雰囲気の場所だと感じた。


 カウンターではギルドと同じように受付嬢が次から次にくる観光客の相手で忙しそうにしており、壁や掲示板には所狭しと宿屋や土産物屋のチラシ、名所までの地図等が張られていて、視界に入る情報量の多さが依頼書だらけのギルドをより強く連想させた。


 ただギルドとは違い、案内所に溢れかえる人々は戦う者特有のプレッシャーを放つ冒険者や依頼の受理を待つイラついた依頼人ではなく、温泉や観光を楽しみしている浮かれた観光客ばかりのようだ。


「ようこそサック温泉街案内所へ。本日はどのようなご用件でしょうか」


 初めてギルドを訪れた時と同じようにキョロキョロと案内所内を見るルナとは違い、クロノアは一直線にカウンターへ向かい、今夜の宿探しを始める。


「実はしばらく湯治をする予定なんですが、どこか良い宿を教えてもらいたいんです。出来れば食事が美味しくて部屋に専用のお風呂が付いているよう所が良いんですが」


「畏まりました。少々お待ちください」


 受付嬢はしばらくカウンターの下をまさぐり、数枚のチラシを出してきた。


「こちらは由緒あるお宿で少々お値段は張りますがお部屋に付いているお風呂も大きくお勧めです」


 チラシを使って受付嬢は宿屋の説明を始めた。


 クロノアはしっかりと説明を聞きながらもチラシを隅から隅まで読み込み、宿屋を吟味する。


 下手な宿屋に泊まってしまい色々台無しにしたくは無いし、かと言って奮発し過ぎればいくら懐具合に余裕があるとは言え滞在期間が短くなってしまう。


 一応は湯治で来ているのだからそれでは意味が無いし、ルナとイチャつく時間も減ってしまうのでそれも避けたい。


 そんな欲望満天の基準でクロノアは予算と条件に合いそうな数件の宿屋をじっくりと吟味し、時間は掛かったものの何とか理想的な宿屋を見つけ出した。


「ルナさんお待たせてしました、ってあれ? ルナさーん!」


 宿屋選びに熱心になり過ぎていたクロノアは背後にいた筈のルナがいつの間にかいなくなっていることに気づいた。


 急いでクロノアは、ルナがいなくなったことに気づかなかった自分に腹を立てつつルナを探し始める。


 流石に人攫いにあう訳は無いが、世間知らずなルナのことなので観光地によくいるチャラついた奴らのナンパに引っかかってしまった可能性は無きにしも非ずだ。


 チャラついた奴らに騙され辱められるルナの姿を妄想してしまったクロノアは、頭の血管を切りそうになってしまう。


「こっちだクロノア」


 どこからか聞こえるルナの声を察知したクロノアが声の元へと向かうと、ルナは案内所併設のカフェで呑気にケーキとお茶を楽しんでいた。


 自分がしてしまった最悪の妄想が現実になっていないことに安心したクロノアはへたり込むように椅子に座る。


「ルナさん、どこか行くときは声を掛けて下さいね。心配するじゃないですか」


「すまない、遂に匂いに誘われてしまってな。お詫びに一口どうだ」


 そう言いながらフォークでケーキを一口分取るとルナは対面に座っているクロノアの口に持ってくる。


 ルナは特に何も意識せずの行動であったがクロノアは顔を真っ赤にしながら狼狽えてしまう。


 最愛の人からのアーンな上に間接キスなのだからクロノアが興奮するのも無理はない。


 クロノアは嬉しさを嚙み締めながらも口は開け、ケーキを受け入れる。


「おいしいだろう。今まで余り甘い物は食べたことが無かったがこんなにも美味しい物なんだな」


 ヴァーリウス時代は体作りの一環として食事も厳しく管理されていた為、ルナは甘味の類殆ど口にしてこなかった。


 だがサックに来てからの食べ歩きですっかり目覚めてしまったらしく、甘味に対する欲求が止められなくなってしまっているようだ。


 そんな甘味を楽しむルナと対照的にクロノアは今のケーキの味はアーンと関節キスの衝撃でさっぱり分からず、ただ頷くことしか出来ない。


「美味しいのは分かりますが、食べ過ぎると体に毒ですから気を付けて下さいね」


 辛うじてそれだけ言葉を絞り出したクロノアは、気分を落ち着ける為にハーブティーを注文するのだった。

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