恋の音はまだ (「5分で読書」2022応募時のもの)

雪よもぎ

恋の音はまだ

「通しでいきま〜す。いち、に、さんっ」


 先生の合図に合わせて、部員たちは演奏に気持ちを集中させる。

 西羽にしばね中学校の吹奏楽部は、現在夏休み中だった。しかし、吹奏楽部は夏休み中に吹奏楽の大会があり、今はその練習中である。毎年のことだ。

 

 私、内田 海うちだ うみにとって、この大会は中学校生活最後の大会だった。西羽中学は五年前まで県大会に出場していたが、ここ最近は地区大会止まりとなっている。皆、今年こそは県大会に出場して金賞をと意気込んでいた。


 それにしても、今日は暑い。

 音楽室の窓から見える空は青く、雲一つ見えない。


 あ、まずい。

 ぼんやりしていて、トライアングルを打つ箇所をすっ飛ばしてしまった。


 指揮をしながら先生がちらりと、こちらを見てくる。

 すみません。

 これは後で小言を言われそうだ。集中、集中しなければ。


 サックスの池原友樹いけはら ともきが、こちらを見てにやにやしている。嫌なやつだ。ちょうど打楽器パートのいる位置から、サックスパートはよく見えるのだ。そのせいで、しょっちゅう目が合う。


 私は次のバスドラムの演奏箇所に備えて、トライアングルを置いてバスドラム用の年季の入ったマレットに持ちかえる。


 ドン、ドン……。


 担当箇所を慎重に、けれど大胆に決める。

 打楽器は重要だ。いや、どの楽器も重要なのだけれど、こうして打楽器パートとして演奏していると何となく疎外感そがいかんを覚えることがある。

 だってほら、だし。




 通しの演奏が終わり、先生は「集中力が切れている人がいますね。大会が近いので、休む時は休んで、演奏中はしっかり集中するようにしてください」と、主に私の方を向いて言った。それで今日の練習は終わり。


「海、ちょっと」

 

 使用した楽器を拭いていると、部長の鈴香すずかに呼ばれた。


「ん? 何?」


 部長は怖い顔をして、私の手首を掴んで引っ張っていこうとする。


「あっ、待って。あ〜、知恵ちえちゃん、ちょっと抜けるね!」


 同じく打楽器パートの後輩である知恵に声をかけて、私は部長に引っ張られるまま音楽室を出た。


「ねえ、さっきのは何? 自分の演奏箇所忘れるとか、大会前ってことわかってるの?」


 やはりバレていたか。部長、怒ってる。


「ごめんなさい。ちょっと考え事してて。次から気をつけます」


「今年最後の大会なんだから、気をつけてよっ!」


 あぁ、ほんとうに。どうしていつも、私はこうなんだろうか。


「わかったよ。うん。大会に向けて頑張るから」


 なんとか部長に謝って許してもらい、音楽室に戻る。


「おつかれ。また、怒られたのかよ」


 池原だった。こいつ、何かと私をからかってきて鬱陶うっとうしいのだ。この吹奏楽部全体で二割しかいない男子部員の一人。同じクラス。担当のサックスもそれなりに上手い。

 

「おまえ、やる気ないよな」


 彼は他の人には聞こえないように、わざわざ私の耳元でささやいた。別に悪意があるわけではない。面白がられているだけだ。

 私は無視して、打楽器パートの定位置へと足速に戻る。やはり、この場所がいい。大きな楽器に囲まれているこの空間が一番落ち着く。


「海先輩、おかえりなさい」


「ただいま〜。片付け、ありがとう」


 知恵のおかげで、楽器の片付けはほとんど終わっていた。打楽器パートは私と知恵の二人だけ。知恵はまだ一年生だというのに、ピアノを習っていたこともあって、演奏は私なんかよりずっと上手い。教えることなんか、ほとんどなかった。やる気もあって、性格も明るくて、私はそんな彼女が好きだ。恋愛的な意味ではなく。


 しかし、私はどうか。演奏は上手くないし、性格は適当で大雑把だし、後輩に尊敬されているとは到底思えない。でも、知恵はとくに不満は無いように見えるから、私もまたそれで良いと思っている。きっと来年、知恵は良い先輩になるんだろうなぁ。

 

 話がそれた。

 一番の問題は、私はそれほど音楽に熱心になれなかったことだ。

 音楽は好きだと思う。でも、大会とかそういうのはどうしても興味が持てないのだ。だから、毎年この季節は苦手だ。周りのみんなが必死に練習していて、私も真面目に練習してはいるけれど、どこかで冷めている気がする。


 別に大会で勝とうが負けようが、きっと私はそんなに感情が動かない。





 そんな感じで練習して、大会本番を迎えた。

 私たち西羽中学校吹奏楽部は、大きな失敗もなく練習どおりの演奏ができたと思う。しかし、結果は銅賞。今年も地区大会止まりだった。


 中学校生活最後の大会はあっさりと終了した。


 泣いている部員たちを宥めながら学校に戻って、先生から有難いお言葉をいただいて、部長の挨拶があって、それで解散になった。


 大会が終わったから、夏休み後半の練習は大部分が無しになった。





 お盆前最後の部活。今日で三年生は引退するが、あまり実感はない。

 これからは高校受験に向けて、三年生は勉強に集中することになる。ただ、私は高校卒業したら働こうと思っているから、正直言って高校はどこでも良かった。第一志望は近くてこの辺りでは一番レベルの低いところだ。


 早く働けるようになりたい。そうすれば、家族の負担を減らせるだろうか。

 

「あ、カエル」


 お盆前の大掃除で出たゴミを校舎裏のゴミ捨て場に投げ込んで、音楽室に戻る途中、校庭の見える外通路の脇にある生垣の隙間から、カエルが一匹飛び出してきた。緑の小さなカエルだ。

 私はその場にしゃがんで、カエルを観察する。日差しが暑いからだろうか。ちょうど屋根がある通路の下は日陰になっていたから、避難してきたのかなと思う。


「おい、さぼってんなよ」


 振り返ると、池原が立っていた。自分と同じ、学校指定の青を基調とした運動着を着用している。違うのは、この暑いのに池原は長ズボンを履いていることか。

 私は口を尖らせる。


「サボってないし。ゴミ捨ては終わったよ」


 池原は仏頂面で私の隣りにしゃがみ込んだ。


「何それ。カエル?」


「そう。かわいいでしょう」


「何で自慢げなんだよ」


 池原は呆れた顔で言ったが、すぐにぴょこぴょこと動き始めたカエルの進路を指で邪魔して遊び始めた。妨害虚しく、カエルは生垣の方に戻ってしまう。


「池原がいじわるするから、カエル隠れちゃったじゃん」


「いや、海も止めなかったじゃん」


「だって、こんな通路にいると踏まれちゃいそうだし」


 私は立ち上がる。そろそろ音楽室に戻らないと、サボっていることがバレてしまう。まあでも、その場合は池原も同罪ということで、一緒に怒られてもらうが。

 

「おまえ、高校でも吹奏楽やる気あるの?」


 歩き出そうとした私は、池原に腕を掴まれて停止する。唐突な質問。池原はしゃがんだままだ。私は掴まれた方の腕の手の平をぎゅっと握りしめた。


「どうかな。まだ決めてない」


 本当は吹奏楽を続ける気はない。でも、私はそう答えた。


「高校入ったら、アルバイトしたいし。部活はできないかも」


「ふうん」


 池原は私の腕から手を離した。私はなぜか少しほっとする。


「何? 言いたいことがあるなら言っていいよ。

 

 あえて、幼い頃のように下の名前で呼んでやる。池原とは小学校の頃からの腐れ縁で、小学校までは下の名前で呼び合っていた。けれど、中学で「友ちゃん」と呼んだら付き合っているのかと誤解されたことがあって、以来「池原」と名字で呼んでいる。とはいえ、池原の方はずっと私のことを下の名前で呼んでくるせいで、時々ネタにされるのは困りものだ。


「やる気ないよな」


「……うん?」


「部活だけじゃなくてさ、勉強とか、進路とかも」


 池原の口調は、私を責めるものではなかった。


「海はさ、成績だって平均くらいだし、本当はもっと上の学校目指せるじゃん。吹奏楽だって、打楽器パート二年の子と二人だけでよくやってたと思うし。なのに最初から全部諦めてる感じするから、いつもちょっと勿体無いなと思う」


「よく見てるねえ」


「……海が誘ったんじゃん、俺を」


 不満そうに池原がこちらを見上げてくるが、はて。

 私が何のことか考え込んでいると、池原は大仰にため息をついた。


「吹奏楽」


「あぁ! そういえばそうだったかも。でもそれは、池原が『俺、帰宅部でいっか』とか言ってたからじゃん。本当に入ると思ってなくて、私の方がびっくりだったんだけど」


 懐かしい。思い出して、自然と頬が緩んだ。

 まだ中学に入学したばかりの頃の話だ。私は音楽が好きだからという安易な理由で吹奏楽部に入部することにした。まだ担当楽器も正式に決まっていなかったが、先輩の雰囲気から打楽器が良いなあと考えていた。

 そんな時に、教室で前の席だった池原が「俺、帰宅部でいっか」と言うものだから、「なら、友ちゃんも一緒に吹奏楽やろうよ。音楽好きでしょ」と誘ってみたのだ。けど、どうせ入らないだろうなあと思っていた。

 その日の放課後、体験入部に池原が来てあっという間に入部した時は「え、本当に入るの?」と思った。しかも、人気だったサックスの担当をくじ引きで勝ち取ったと聞いて、またまた驚かされた。


「俺は高校入っても吹奏楽続けたいと思ってる」

 

「うん、いいんじゃないかな。池原はサックス上手いし、確か志望校も吹奏楽強かったよね」


 池原はきっと高校の吹奏楽部でも活躍できるだろう。そう思う。


「……なあ、海さぁ」


 池原が立ち上がる。


「うん?」


 なぜか、池原は変な顔をしていた。ちょっと泣きそうに見えるのは、気のせいだろうか。


「もし、一緒に同じ高校で、また吹奏楽やろうって言ったら、どうする?」


「……え?」


 思いもよらない言葉に、私は間抜けにもポカンと口を開けて固まった。


「えっと……」


 何か返さなければ、と思う。でも、咄嗟に言葉が出てこなかった。

 私が口をパクパクさせていると、池原はだんだん顔が赤くなってきて、くるりと後ろを向いた。


「いや、やっぱり何でもない」


 それだけ早口で言い残して、音楽室の方へ走っていってしまう。遅くなった私たちを呼びに来たのか、遠くから知恵が手を振っているのが見えた。


「あっ、えっ!? ちょっと、置いてかないでよ!」


 私も池原の後に続いて走る。が、すでに池原は校舎の中に入っていってしまった。

 とりあえず、私は迎えにきてくれた知恵と合流する。


「海先輩、池原先輩と何話してたんですか? 池原先輩、めっちゃ全力で走り去っていきましたけど」

 

 私は首をかしげる。


「なんか、私と同じ高校で吹奏楽やりたいみたいだった」


 歩きながらそう答えると、知恵は「きゃー」と可愛らしく叫んで自分の両頬を両手で覆った。


「告白ですか? 青春ですね、先輩!」


「いやいや、別に好きとか言われたわけじゃないし!」


「でも、好きな女の子にしか言わなくないですか? そういうこと」


 知恵は楽しげだ。ちなみに、彼女にはイケメンの彼氏がいる。

 私は知恵の言葉を否定しようとして、数秒考えを巡らせた。

 否定できなかった。今になって、頬が熱くなる。


「たしかに……」


「海先輩、私もできれば先輩とまた一緒に吹奏楽したいですよ。海先輩のご家庭の事情もありますので、無理強いする気はないですけど」

 

 私の家の事情を知っているのは、知恵も池原も同じ。それでも一緒にやりたいと望んでもらえるのは、きっとありがたいことなのだろう。


「知恵……。う〜ん、知恵がそう言うなら、ちょっと考えてみるよ」


 私がそう答えると、知恵は笑顔で頷いた。


「そうですね。でも、先輩、それは私が池原先輩から嫉妬されちゃうので、建前でも池原先輩の言葉で考えたことにしてくださいね?」


「あ、はい。了解です」





「ただいま〜」

 

 家に帰宅すると、真っ先に耳に響いたのは弟の盛大な鳴き声だった。リビングの扉を開けると、まだ一歳になったばかりの弟を母が抱っこしてなだめている。


「海、おかえり。……あぁ、よしよし。空、泣かないで」


 空は、弟の名前だ。十四歳差の弟だ。まさか、この年齢になって自分に弟ができるとは思わなかった。最初は驚いたものの、今はこの生活にも慣れてきた。母は現在育児休暇中だ。

 

「お母さん、昼寝してきて良いよ。空は見とくから」


 まだまだ空は夜泣きがひどく、母の睡眠不足は深刻だ。体力的にも若くない出産だったから、身体的な負担が大きいのだろう。今日も目のクマがひどい。


「海、ごめんね。ちょっとだけ、お願い」


 泣いている空を私の腕に預けて、ふらふらと母が部屋を出ていく。

 私はソファに座り、空をあやしながら考える。


(お母さんずっと仕事頑張ってきたから、早く復帰したいんだろうな。まだ無理しなくても良いって、お父さんは言ってたけど)




 泣き止んだ空が静かな寝息を立て始めた頃、リビングの扉が空いた。


「ただいま〜。あれ、母さんはお休み中かな?」


「お父さん、おかえり。どうしたの? 今日早くない?」


 入ってきたのは父だった。私は驚いたが、父と同じように小声で「お母さんは昼寝してる」と付け足す。父はネクタイを緩めながら、困ったように笑った。


「今日の朝、母さん具合悪そうだったからさ。早退してきた」


 父は壁掛けのカレンダーに『父 早退(半有給)』と記入しながら、思い出したように私に尋ねる。


「お盆、母さんと空は実家に帰るみたいだけど、海はどうする?」


「え、私も一緒に帰るつもりだったよ?」


「そうだと思った。でも、海は一応受験生だし、父さんは仕事で家にいるし、好きにしていいよ。いつも空のことでバタバタしていて、海も大事な時期なのに落ち着かなくてごめんね」


「大丈夫だよ。空は私にとって大事な弟だもん。でも……」

 

 私は空の寝顔を眺める。スヤスヤと気持ちよさそうに眠る弟の姿は、私の心を安心させた。だから、迷いながらも言葉を続ける。


「今日、友達に、同じ高校で吹奏楽続けようって言われて。でも、今さら志望校変えるの厳しいよね」


 海、と父に名を呼ばれた。静かな声だったけれど、怒られるかなって私は思った。

 でも、違った。


「いつも空の面倒を見てくれてありがとう。でも、子育ては親の務めだ。海が我慢する必要はないよ。受験だって、吹奏楽だって、海のやりたいことを父さんは応援するよ」


 はっとした。そんなつもりはなかったけれど。

 心のどこかで、私は弟の世話を言い訳にして自分の将来と向き合っていなかったのかもしれない、と。





 夏休みが明け、久しぶりに学校の教室を開けるとまだ一人しか来ていなかった。部活の朝練があった時の癖で、学校に来る時間が早くなってしまったようだ。それは、もう一人も同じようで。

「おはよう」と呼びかけると、「おはよ……」と眠たい声が返ってくる。

 私はそんな彼の座る机に近づいて、「友ちゃん」と呼びかける。

 

 言わなくちゃ、ちゃんと。


「私、友ちゃんと同じ高校受けてみる。吹奏楽も続けようかなって」


「まじで!?」


 パッと花が咲いたような笑顔。彼があまりにも嬉しそうな顔をするから、私は急に恥ずかしくなった。心臓が速くなって、私は「それだけだからっ」と足早に自分の席へ移動する。「頑張ろうな!」と彼の声が背後から響いた。


 願わくば、また音を重ねたい。彼と、そして仲間たちと。




 

 





 

 










 

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恋の音はまだ (「5分で読書」2022応募時のもの) 雪よもぎ @YukiYomogi

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